Paradise Lost @ 音楽図鑑 (坂本龍一)
<ただ好きな曲を紹介するだけのコーナー>
このアルバムには すごく多くの思い出がある
いろんなことが 去来する
個人的なことはさておいても これは名盤だ、 と思う!
必聴!
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前便 「《外部》 の体験、 その聖と俗」 より つづく
====================
さらに引きつづき 作者 田中ユタカさん のコトバを
引用紹介させていただきます
この作品は 大変な傑作だと思うのですが
その世界観、 SF的な設定云々ではなく
“セカイ” の現前の様態が どのようなものとしてあるのか
主人公たちがおかれる情況、 巻き込まれる力学
それによって練り上げられていく内面のセカイが
どのようなものとしてあるのか
作者と作品と読者とのあいだで おのずと共有されるだろう
そのような意味での セカイ観がどのようなものであるのか
田中さんご自身が 非常に的確に コトバにしておいでです
ちょっと長くなりますが、 どうぞお付き合いくださいませ
現代は、 万人に通用する既製品としての “しあわせ” や “生きることの意味” が役に立たなくなってきている。
神様や国家や会社やおカネ、 あるいは仲間や家庭や恋人、 正義や愛といったいままであった、 人を “しあわせ” にしてくれるもの、 “生きる意味” を与えていくものにかかっていた魔法が片っ端から解けていっているそんな時代だと思う。
足場が崩れてきている。 どこにも属するべきアテが見つからない。
そうゆうメンドクサイことはとっとと麻痺させてしまうのが世の中に適応するコツ、 だとか今が楽しけりゃそれでいいじゃんなんてのは、 今さらって感じがする。 なげやりで空疎な強がりだ。
もっとリアルで切実なんだ。
今やボクたちは自分の人生の結末についてかなりヴィジュアル的にさえイメージできる (事件や事故に遭わない限り) 老いて、 病んで、 死ぬ。 他にはないと知っている。 生まれる前から山ほどのハンディキャップを背負わされていると知っている。 癒えることのない傷を生涯抱えていく以外ないと知っている。 そこから目をそらせば卑しくなるとわかっている。 今日より明日が必ずよくなるということはないと知っている。 次の代が今より豊かになることはおそらくあり得ないと知っている。
逃げ場所はもはやどこにも転がっていない。
後戻りはない。
みんな魔法は解けてしまった。
もう、 知らないどこかの大きな立派な人が 「君はそこにいるだけで価値があるんだ」 などと安心させてくれることはない。
自信がなくても誰も保証してくれなくても遂に最後まで曖昧なのもの [ママ] でしかなくともひとりひとりが一度しかない自分の生涯を使って自分で探す以外の選択肢は残されていない。
どれほど苦しくて惨めで寂しくとも半歩間違えれば一生を役立たずのまま棒に振ることになろうとも自分で罪を背負って自分のしあわせは自分の現実は生きることの意味は自分で決めていかなければならない。 ボクもボクのマンガを読んでくれる人もそうやって今日生きている。
上巻 「愛 [AI-REN] 人2巻のためのあとがき」 468頁
旧版第2巻 (2000年9月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた
「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 上巻に再録されている
そこからの引用でした
====================
このような 《生》 のただ中から 作品のキャラクターたちは
どのような 《生・愛・死》 を 自らのものとして引き受けていったか
このこともまた、 田中さんご自身が
とても鮮明なコトバにしておいでです
次便にて!
<つづく>
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次のお知らせがきました
とても興味ぶかい講演会です
X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X
戦略・情報研究会 2009年度東京第10回講演会
http://mixi.jp/view_event.pl?id=50080449&comm_id=481052
~ 国家をまもれるエリートは出現するか
-わが国を取り巻く危機と危機意識の実情 ~
日時: 2月13日(土) 18:30~20:45 (開場18:00)
内容: 講師基調講演 ⇒ 質疑応答&全体討論 <会後、講師交えて懇親会>
場所: 文京シビックホール スカイホール(文京シビックセンター26F)
http://www.b-civichall.com/access/main.html
東京都文京区春日1-16-21、03-5803-1100
Ξ 東京メトロ丸ノ内線後楽園駅4bまたは5番出口徒歩3分
Ξ 東京メトロ南北線後楽園駅5番出口徒歩3分
Ξ 都営地下鉄三田線/大江戸線春日駅連絡通路徒歩3分
Ξ JR中央・総武線水道橋駅徒歩8分
講師: 河添 恵子 氏 (ノンフィクション作家、 近著 『エリートの条件』)
参加費: 1000円 (事前申し込みの学生に限り500円☆)
定員: 100名 (定員になり次第申し込み締切)
【講師 プロフィール】
○ 河添 恵子 (かわそえ けいこ) 氏
―― 1963年千葉県生まれ。 名古屋市立女子短期大学卒業後、 1986年より 北京外国語学院、 遼寧師範大学へ留学。
主な著書に 『エリートの条件 -世界の学校・教育最新事情』(学研)、 『台湾新潮流』(双風舎)、 『アジア英語教育最前線』(三修社)、 『世界がわかる子ども図鑑』(学研)、 『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など。 訳書に 『中国マフィア伝』(イースト・プレス) など。 取材は30ヵ国以上。 産経新聞社【40×40】や『正論』『W〓LL』など。 言論界でも執筆中。
お申込/お問合せ先: 久野 潤 kunojun@amethyst.broba.cc
[当日] 090-2933-8598、kunojun@ezweb.ne.jp <「@」は小文字で>
<御名前・御通勤/御通学先を明記のうえ事前お申込頂きますと 当日の御記帳無しで入場頂けますので御協力頂ければ幸いです>
X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X X
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大阪国際大学現代社会学部 講師
久野 潤(くの じゅん)
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前便 「自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか」 より つづく
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前便につづいて 再び
作者 田中ユタカさん のコトバを 引用させていただきます
一つの物語を長期間かけて描くというのはボクにとっては 「愛人 [AI-REN]」 が初めての経験です。 やってみてわかったのですが、 長い物語を長い時間をかけて描くという作業は、 予め決められた予定を順次消化していくような行為とはまったく違ったということです。 それはむしろ発掘作業に近いと感じました。 きっとここにはこういう素晴らしいものがあるはずだ、 と信じて少しずつ少しずつ注意深く掘り出していく。 もちろんそれが大体どんなものかは分かってはいる。 だが、 この手で掘り出してみるまでは本当の姿は分からない。 おかげでボクと担当の中澤さん (ショーちゃん) は大発見を信じる砂漠の考古学者の有様です。 また、 こんな感じでもあります。 どんなに悩んだ時でも、 その言葉や絵や展開が 「正しい」 かどうかというのは瞬間的に厳然として分かります。 頭の中のランプがオール・グリーンに変わって 「それが正解だ!!」 と教えてくれます。 まるでどこかの空間に 「愛人 [AI-REN]」 最終話までの厳密な設計図がすでにちゃんと用意されているんじゃないかという感じで。 逆に台詞一つでも間違うと 「違う!! 違う!! それじゃない!!」 と警報が発せられます。 その警報は強烈でとても無視して作業を続けることが出来ないほどのものです。
しかも、 その設計図は意地が悪く、 決して積極的に正解を教えてくれたりはしない。 正解かどうかの判定を無慈悲に下すだけです。 どうやら今のところ設計図からは外れていないみたいです。
下巻 「愛 [AI-REN] 人3巻のためのあとがき」 84頁
旧版第3巻 (2001年7月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた
「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている
そこからの引用でした
====================
ギリギリのところまで 自分を追い込みながら
何かのモノを作り出す作業をしたことのある方なら
皆さん 共有されている感覚であり、 体験でありましょう
一介の無名学者である僕にすら これは強烈にあるぐらいですから
田中さんのコトバで 宗教学者として注目しておきたいのは
創作活動 (まったく 《世俗的な》 概念です) の極点における
自己の 《外部》 の体験 です
もうすでにそこにあって、 掘り出されるのを待つ 「素晴らしいもの」――
正しさを 「教えてくれる」 何か――
どこかの空間に用意済みの設計図というイメージ――
無視できないほどに強烈な警報――
こちらに対して 「判定を無慈悲に下すだけ」 の何か――
《外部性》 の体験は こうしたコトバに鮮明です
では、 いつも掲げる問いを ここでも
この体験と いわゆる 「宗教体験」 は同じなのか、 違うのか?!
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4年間は模索の日々だった。 あちこちの大学や専門学校で教えながら、 小さな部屋で同じような話をしている自分が 「消費される存在」 に思えてならなかった。 狭い空間の中で、 教師としての演技をしている自分とは何者だろう?
AERA 2010.2.8 号, 57頁
AERAの人気連載 「現代の肖像」。 最新号は
現代美術家
やなぎみわ
あおり文には こうあります
“少女” という神話を揺るがす老少女
1999年に現代美術の登竜門VOCA賞受賞のインタビューでこう語った。
「どの作品も 『これが最後』 の覚悟で全力投球しています」。
10年前と同じ切迫した言葉を、 私たちは聞くことになった。
ライターと写真として
文 = 千葉 望 写真 = 渡辺誠
とある。 「ちば のぞみ」 「わたなべ せい」 のルビ
====================
美術家は いつも僕のロールモデルです
自分が論文を書くとき、 いつも美術作品を作っているような気になるから
美術家の苦闘が、 いつも自分のことのように聞こえるから
====================
上の文章は
大学は居心地のいい温室
何も作れない焦りと不安
と題されたパート (56-7頁) より
ライターの千葉さんが書いた地の文から 引用です
京都芸大の大学院に進んだやなぎさん
「卒業後は就職はせず、 美術教師のアルバイトで食いつなぐ」
その頃を回想して やなぎさんはこう語ったそうです
「あれほど作品作りに打ち込んでいたのに、 温室みたいな大学の外に出たら作品が風邪を引いちゃったというのかな。 何にも作れなくなっちゃった」
で、 最初の引用文につづく というわけです
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『トイ・ストーリ1&2』 が 名作だっていうのは
今更 言わなくてもいいわけだけれども
僕にとって両作は 《宗教学のための映画》 として
特別な重要性をもっているのです
何がどうなって どんな重要性が… というところは
以前のエントリ
から ダウンロードに進んでいただけるとありがたい
で、 本便で言いたかったのは 二つ
(1)
『トイ・ストーリー 3』 が 今年中に公開されるぞ! 楽しみ ![]()
(2)
そのキャンペーンで 『1&2』 が 3Dになって再上映されている
昨日から! 上映館は けっこうたくさんだ!
====================
そして、 僕のツブヤキ を再録します
mittsko トイ・ストーリー1&2 3D 観に行きたい でも独りってのは…
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前便 「空知太神社判決 フォーローアップ」 より つづく
====================
朝日新聞 2010年1月27日付 朝刊に
という記事が載った
例の最高裁判決 を受けて、 各地の同様事例が
あらためて注目を集めている、 ということだ
政教分離原則は 憲法上の原則だ
しかし、 その具体的な適用解釈には かなり幅がもたされてきた
それを、 公私区分の不徹底を法解釈が是認したものだとして
徹底的に脱宗教化された公共領域の確立を優先事として掲げるか
はたまた、 いわゆる 「目的効果基準」 を
近代日本の歴史のなかで 独自の仕方で
しばしばなし崩し的に構成された公私領域/聖俗領域の構成への
法的な対応だとみなすか
その辺りで ちゃんと議論がなされるべきだ、 と思う
具体的な作業には かなりの手間隙と予算が必要だろうから
原則が哲学的、 社会思想的に 合意形成がなされていないと
混乱は増すばかりだろう
この方面において 宗教学者 (とくに 宗教社会学者) が
果たすべき役割は 決して小さくない
====================
以下引用
http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY201001270123.html
「違憲」 神社判決に悩む自治体 売却なら重い住民負担 (1/2ページ)
2010年1月29日19時15分
[北海道が所有する土地に立つ中の島神社 = 札幌市豊平区、 諸星晃一撮影]
北海道砂川市が市有地を神社に無償で提供しているのは 「政教分離原則に反して違憲だ」 とした最高裁大法廷判決 (20日) の波紋が広がっている。 全国で同様のケースが次々と判明。 ただ、 提供の経緯をたどると江戸時代までさかのぼるような 「地域密着型」 の施設もある。 違憲解消のために有償に切り替えるのも容易ではなく、 各地の自治体は頭を抱えている。
■無償提供、 全国に多数
問題の 「震源地」 となった北海道。 明治から昭和初期にかけての開拓時に道内各地で神社が建てられた経緯がある。 こうした中には、 自治体が公有地をただで貸している例が少なくない。
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何きっかけだったか 忘れたけれど
1年ほど前に購入し、 ずっと積ン読状態だった
先日 読了した
えらい本にぶつかっちゃったもんだ、 と大満足!!
全然知らないけれど 凡百の “セカイ系“ とは
一線を画すんじゃないだろうか・・・
こういう作品は めったにお目にかかれないはずだから
====================
たくさん書きぬきメモをしておきたいコトバがあった
まずは 一つ目
ごく私的なノートとして、 自戒をこめて
「愛人 [AI-REN]」 はボクにとて職業人としての 「青春の賭け」 の作品です。
「賭け」 の結果がどうなるかボクにもまだわかりません。
でも、 一度は自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうかを見極めなければならないのだと思います。 ちゃんと自分の足で、 行けるところまで、 その一番果てまで行ってみなければならないのだと思います。
下巻 「愛 [AI-REN] 人4巻のためのあとがき」 315頁
旧版第4巻 (2001年12月) に 作者 田中ユタカ氏 が寄せた
「あとがき」 が 上記 『愛蔵版』 下巻に再録されている
そこからの引用でした
====================
自分の仕事がこの世の現実に対してしっかりと立っていられるものなのかどうか
何度も読みかえして覚えてしまいたい
僕にとっては そんなコトバです
<つづく>
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『スポニチ』 のサイトで
という記事をみつけた
山川あずささん がお書きになったもので
2009年2月23日付 である
山口さんのサイト 「Love&Light」 を拝見するかぎり
氏は 広い意味での スピリチュアル・リーダーのお一人のようだ
「カバラ」、 「ヌメノノロジー」、 「タロット」 そして
「オーラソーマカラーセラピー」(?) なるものなど
その手のキーワードがずらりと並ぶ
さて、 「至高体験」 (the peak experience) とは
たしかに 超常的ではなかろう
では、 「神秘体験」 「宗教体験」 と呼ばれてきたものと
「至高体験」 とは 果てさて 同質なのか、 異質なのか・・・?
====================
以下引用
http://www.sponichi.co.jp/society/special/yamakawa/yamakawa/KFullNormal20090223140.html
人はふとした瞬間に世界と溶け合って一つなるような体験をしてしまうことがあるようです。 いわゆる 「宇宙との一体感」 といわれるような体験は、 何も超常的な現象ではないようです。
アスリートのインタビューを聞いているとそのような体験をしたという事をよく聞きます。 シンクロナイズドスイミングの小谷実可子さんが経験した話を聞いたことがあります。
その日は大切な世界的な競技会だったそうですが、 プールサイドに立つ前から、 不思議と観客との一体感があったそうです。 体が内側で震えるほど喜びのエネルギーが湧いてきて顔が自然に笑ってしまうのを押さえられないほどだったそうです。
水に入ってからは、 無心。 いつもなら 「ここのポイントは審査の対象だから気をつけて」 とかいろいろなことが頭の中を巡るのですが、 この時は完全に体と水が一体化して自然に体が導かれるように動いていくのだそうです。 呼吸も全く苦しいということがなく、 心が落ち着いてまるでひとつひとつがスローモーションの瞬間、 瞬間のように感じられたそうです。
その大会ではみごとに優勝したそうですが、 なによりもその不思議な一体感がとても印象的だったと語っていました。 彼女はその体験をピークエクスペリエンス (至高体験) と呼んでいました。
同じようにアスリートで、 トリノオリンピックで見事に優勝を果たしたアイススケートの荒川静香さんもきっとその体験をしたのではないかと思います。 これは、 あくまでも私の推測になってしまいますが、 トリノオリンピックで最後の演技をしている瞬間、 彼女の中には、 金メダルのことやライバル選手のこと、 審査員のことなどまったく心の中にはなかったであろうということが伺えます。 彼女は完全に観衆の中に音楽の中に溶けていました。 喜びと美のエネルギーが輝きとなって彼女からほとばしりでているような感じでした。
テレビで中継を見ている私でさえ、 共感して鳥肌が立つほどでしたから、 その場にいた観衆がスタンディングオベーションになるのも無理はないでしょう。 うまく滑ろうとか、 点を取りたいという欲もすでにすっかり抜け落ちて、 その瞬間を味わいつくし、 満喫しているようすが手にとるように伝わってきました。 ああいう瞬間は、 見ている者たちをも至福の体験へと連れ去ってしまうのでしょう。
しかし、 至高体験は、 なにもアスリートの人々にのみ起きることではありません。 先日 「奇跡のリンゴ」 という本を読みました。 青森のリンゴ農家のおじさんが、 無農薬でリンゴがつくれないものかと、 研究に研究を重ね、 苦悩と葛藤の末に一つの答えを見出していったという実話です。
彼はある日、 無農薬りんごの栽培があまりにもうまくいかない事に絶望し疲れ果て、 自ら命を絶とうと、 ロープを持って山に入ったのです。 しかし、 そこで一本のどんぐりの木と出会います。 人の手が全く入っていない自然のまんまのこの木にはなんでこんなにたわわに実がなるのだろう? その瞬間、 彼の中で何かが変わってしまうのです。 彼の心を覆いつくしていた黒い霧がすーっと晴れ、 ぴかっとひらめきを得るのです。
彼は、 自分というめがねをかけて物事を見ていたことに気が付きます。 彼が闘い続けてきた 「害虫」 が、 自然の中で必然として存在している虫に変わります。 必要の無い虫も草もありません。 雑草ということばも人間が勝手につけた呼び名です。 必要の無い草など一本だってないのです。 世界がつながりあって一つの命となっている。 害虫も益虫もなく、 雑草も狸やきつねもバッタも小動物もみんなで調和しあって自然が営まれていることを悟るのです。 彼の場合、 一体感はその摂理を理解するという形をとって訪れたのでしょう。
ここに挙げた3人の共通点は、 「一心不乱に一つのことに打ち込んだ」 ということでしょう。 一つの道を究めるとそこに至高の状態、 宇宙との一体感が姿を現すのです。 それが究極の真理だからということもできます。 人間がいろんな道を通して最終的に到達しうるひとつの気付き、 それが至高体験なのかもしれません。
映画 「禅 zen」 で道元禅師も至高体験にいたります。 彼は一心不乱に坐禅に打ち込んだ人です。 打ち込むものは何であれ、 人が行き着く答えはたった一つなのかもしれません。
[ 2009年02月23日">]
引用おわり
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前便 「スリランカ大統領 再選」 のフォローアップです
====================
2010年1月31日付 朝日新聞 朝刊
社説2本のうち ひとつは
だった。 (下に 切り貼りさせていただきます)
====================
南アジア研究者の端くれとしては ありがたいことに
朝日新聞は スリランカ情勢に 比較的大きな注目を
継続的にはらいつづけている
この社説も、 そうした積み重ねを感じさせるものになっている
スリランカの紛争は とても根が深いので
一朝一夕に 解決だのなんだのとはいかないだろう
短い社説では触れられない事情もたくさんある
(たとえば、 武器の調達と費用はどこから・・・?)
しかし、 まずはこの社説に書かれていることが 最低限のところ!
日本の外交関係者は 包括的な “対南アジア政策” を
あらためて固めなおす必要がある!
これは 本当に、 本当に そうなのだ
一人でも多くの日本人に この地域と国への関心をもっていただきたい
====================
http://www.asahi.com/paper/editorial20100131.html?ref=any#Edit2
以下引用
スリランカ ― 紛争後への新たな懸念
インド洋に浮かぶ島国スリランカ。 この20年余り、 民族対立を背景に、 おびただしい犠牲者を出してきた内戦がようやく昨年終わった。 新生スリランカの再出発のための大統領選があり、 現職のラジャパクサ大統領が対抗馬のフォンセカ前政府軍参謀長を退け、 再選を果たした。
日本政府は、 この国の安定のために10年近く前から紛争の調停に力を入れてきた。 7年前には復興開発への国際会議を東京で催した。
内戦は反政府武装勢力タミル・イーラム解放の虎 (LTTE) が壊滅することで終わった。 今後の国づくりで日本が手助けできることは多い。
両候補は共に、 LTTEを相手に戦ってきた指導者だ。 ラジャパクサ氏は多数派シンハラ人の支持を多くつかんだ。 フォンセカ氏は少数派タミル人の支持を得たが、 及ばなかった。
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漫画マニアでは 全然ッ ない!
そもそも あんまり読まない
が、 思うところあって マンガ強化月間 を自らに課してみた
この秋、 アニメ強化月間をやってよかったので 性懲りもなく
アンテナが反応した作品を ただいくつか読んだだけだが
あらためて ジャパンのMANGAはクールだ、 と
ログとして 読んだ作品を こちらにあげておきます
「読書メーター」 には ヒトコト寸評を書いていますので
あわせてご覧いただければ うれしいです
「mittskoさんの読み終わった本」 にあります
====================
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前便 「インドの神秘を売り物にするのは」 より つづく
====================
あとがきに当たるエッセイ 「熱球の下」 (418-25頁) より
この 『印度放浪』 は、 私が二十三歳の時、 はじめてその熱球の下の大陸に遊んだときの記録である。 はじめて、 その土地を踏んだ一九六〇年代の終りのころ、 日本はちょうど高度経済成長を最中だった。 物質的な豊かさを求めて、 誰もが一所けんめいに働いていた。 この国の近代化と、 経済の豊かさを求める過程において、 失われて行くものも多かった。 そして、 社会は管理化されつつあった。 管理化のシステムの中で人間的なる息吹は隠滅され、 それに対する抵抗もあった。 そういう状況の中で、 私は大学を捨て、 自分の経歴のすべてを捨て去るようなかたちでインドに行った。 この国は貧困であった。 ただ、 そこに私が見たものは、 その物質的貧困と同時に、 あの、 我我が今現在失いつつある、 熱、 であった。 つまり、 ちょうど日本では、 この熱という一つの生命の根本が、 何か巨大なものによって管理されて行こうとしている最中だったから、 私はその国の熱にうかされた。 そして地上における生きものの命の在り場所をはっきりと見たし、 合わせて自分の命の在り場所もはっきりと見ることができた。 それは、 私の二十代の一つの革命だった。
420頁
日付はありませんが、 この 「熱球の下」 の直前に
「あとがき (『印度放浪』 一九七二年版のものをそのまま転載)
がありますから、 1993年の文庫版のために、 つまり
初版から20年以上経った後、 当時をふり返って
書かれたもののようです
ともあれ、 ここでは インド体験を
「自分の命の在り場所をはっきりと見ることができた」
と要約する 藤原さんのコトバに注目しておきたいと思います
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粟津賢太先生 のブログ 『Lab: Kenta Awazu』 に
二つの書評会のお知らせが載った
これは 行かねば!
一つ目 2/26 は たまたま予定の谷間で 行ける (喜)
伊達さんの仕事っぷりは ホントにすばらしい!
こちら参照 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/kiyonobumie/20100202
二つ目 3/10 は 別の予定とドンかぶりだが なんとかして・・・
以前 「アメリカの公共宗教」 というエントリ で紹介した本
インド研究者のとある先生からも この本の話題をふられたりして
静かに注目を集めている本なのだ!
====================
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前便 「インドで自分探し ユーキャンCM」 より つづく
====================
から、 《神秘のインド》 という表象について
藤原新也さん が語るところの引用です
凡百の インド放浪者とは やはり違うなぁ――
そんな感想を 僕などはもちます
つまりね、 七〇年代前半から中盤にかけて、 インド行きというのが非常にポピュラリティを持ってきた。 ちょうど 「自然に帰れ」 とかいう言葉が出てきて、 それに対応する形で 「安らぎ」 とか 「神秘」 という言葉も誕生した。 僕はそこからインドの解釈というのが、 世の中で崩れていったと思っている。 というのも、 インドのあの自然に触れるっていうことは、 安らぎを得るんじゃなくて、 逆にものすごくアナーキーな神経になっていくことだ。 あの自然を模倣すれば、 人間社会の官吏から全くはずれちゃう。 本当は非常に危険なわけだよ。 それが、 昔からどこの国の文化でも、 日本に入ってくると全部咀嚼されて可愛くなっていくということがあるでしょう。 今度はインドが、 全くそのコースにはまっちゃった。
31頁
「語録」 と題された章のなかの一節
いつの年のコトバなのかは 記録されていません
ところで、 藤原さんはここで 日本論としてまとめていますが
《神秘のインド》 という表象を ヨーロッパ史のなかでみれば
どうも同じようなことがあったように思われます
18世紀以降の欧州人により インドは ゆっくりと
「咀嚼されて」 いったようですから
====================
次も 「語録」 のなかの一節です
(したがって 発言の日付は書かれていません)
インド、 チベットに行って来て神秘を売り物にするのは一種の詐欺だね。 瞑想ってのも好きじゃない。 神って言葉も好きじゃない。 そういう形式は信じない。 座禅組んで黙ってたら瞑想かっていうと、 そうではなくて、 知らず知らず瞑想してたってことが日常であるじゃない。 例えば、 火葬なんてのを二十日位、 撮り続けた事がある。 焼けてるのに近づいて焔でムチャクチャ熱い。 まゆげなんかがあとで見るとチリチリになっていたりね。 広角を持って、 頭なんか焼けてる処へ寄ってゆく。 煙の中に入って行っちゃう。 これを二十日間もやると死体の臭いが体に染み付いてしまう。 …… 写真を撮ることとは関係なく、 知らずに死臭がこびりつく。 そういうのも、 一つの瞑想だネ。 知らないうちにやってるってのがいい。
48頁
====================
「神秘」 というコトバの皮相性に 藤原さんは
敏感に反応しておられるわけですが
もちろん 若き日の藤原さんにも 内面的なうずきや
衝動が ありありとあって、 それが氏を インドに
「なぜインドなのか」 は分析されないのですが、 ともかく
インドに 向かわせたのでした
で、 引用をしたいところですが、 例によって長い記事になりました
(長すぎれば しばしば読んでいただけないのが悲しいので)
次便にて その 「向かわせた」 ところのものとは何か
藤原さんご自身のコトバを引用紹介させていただきます
<つづく>
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「生涯学習のユーキャン」 ――
蒼井優さん のCM (2010年1月25日から放送…らしい) は
《神秘のインド》 という表象 の
現代日本における ひとつの変奏としてみることができます
すでに 「ネタ」 と化している “自分探しのインド一人旅”!
ユーキャンHP上のこちらの頁 から閲覧可能です
ぜひ ご覧になってみてくださいませ
====================
「自分探し」 とは なんでしょうか・・・?
はてなキーワード には こうあります
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%CA%AC%C3%B5%A4%B7
幸せと豊かさに麻痺して自分を擬似的に喪失した人などが長旅やボランティア等で本来の (もしくは新しい) 自分自身を発見する (と称する) 行為のこと。 主に、 金持ちは外国に行き、 貧乏人は新興宗教に入る。 若さゆえの存在証明としての青春の自分探しはヒッチハイクなどで一人旅をする傾向にある。
OLの間では仕事や生活から一時的に逃れるためのキーワードとして雑誌で取り上げられるほど流行しているが、 全員が全員何かを身に付けて帰ってきているのかどうかは疑問である。
対義語にみうらじゅんの提唱する 「自分なくし」 の語がある。
皮肉まじりのこの解説は、 上のCMとぴったりです
なぜインド・・・ なのでしょうか?
いつからインドは 「自分」 を 「探し出す」 ための場所に・・・?
いろいろな事情がありましょうが、 ここでは二冊の本を紹介します
一冊は
Wikipedia によれば 1970年代前半の旅の記録
初版は 1986年5月だったのだそう
ドラマにもなって、 今の若い世代にも
多かれ少なかれ 影響を与えつづけている本でしょう
文庫版では 第3巻が 「インド・ネパール」 編になっています
二冊目は
以前のエントリ でも紹介したことがある この本
1969年からの旅の記録で、 初版は72年
しっかり調べたわけではないですが、 この本こそ
日本語で書かれた最初の “インド放浪もの” だったのでは・・・?
(1)
「放浪」 でないインド旅行記としては
- 堀田善衛 『インドで考えたこと』 (岩波新書,初版1957年)
が 何といっても有名だ
インド体験により自己反省をする点では
堀田も、 《自分探し》 派と同じだが
探し出そうとするのが 《自分》 ではなく
《日本》 であるというところが、 精確にいえば
《自分》 とひとつながりのものとしての 《日本》 である
というところが、 本エントリの主旨からすれば 要注目
同書については Sightsong さんのブログ 『Sightsong』
読みやすく ためになりました
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(2)
ちなみに、 下記の井上さんのご著書によれば
ビートルズがインドに惹かれはじめたのは 1965年ごろ
初のインド公演が1968年2月ということのようです
- 井上貴子 『ビートルズと旅するインド、 芸能と神秘の世界』 (拓殖書房新社, 2007年)
さらに、 こちらのサイト によれば
1966年7月には 日本公演の後にインドに立ち寄っているそうです
放浪の地としてのインド――
異界としてのインド――
そうして 自分を見つめなおさせるインド――
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あらためて 「なぜ!インドなのか?」
この問いは残りますが、 ちょっと視点を変えて
《神秘のインド》 という表象に関して
藤原新也さん の言葉を引用してみたいと思います
<つづく>
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