童話と神話 (1/3)

授業をやっていると 思わぬところで

受講者の心を 傷付けることがある

「波立たせる」 ぐらいだったら、 むしろ願ったりなのだが

「傷付ける」 になってくると、 ちょっとさすがに 反省させられる

とくに、 僕が理解するところの 《宗教論》 は

人間の狂気や 「影」 に根ざしていないとどうしようもないものだから

(もっと穏当な、 「市民的秩序にかなった」 宗教論もあるだろうが・・・)

(そのようなものは、 僕の得意とする 宗教論 ではないものだから・・・)

不用意に発言すると、 思わぬ反応を呼びおこす

そうすると 僕は、、、 とても反省して、 少々落ち込むことになる

「かわいそうなこと しちゃったなぁ・・・」 とか

「失礼なこと しちゃったなぁ・・・」 とか

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先日の授業で、 まさに そういうことが起こった

《童話と神話》 というテーマに触れたときのことである

現代日本で (その他の 「先進国」 都市社会においてもそうだが)

《神話》 というジャンルが 自律的に存在することはむずかしい

そういう時空間で、 では、 《神話的想像力》 が消失したかといえば

もちろん 決してそんなことはなく

むしろ それは きわめてさかんに活性化し、 発露している

その代表格が 「文学」 「音楽」 「漫画」 などの 「芸術」 であり

僕ら以降の世代になじみ深いところでは、 「アニメ」 がある

「アニメ」 にも まぁ いろいろあるわけだが

《神話的想像力》 を意図的に、 直接的に 召還するものとして

ジブリディズニー がある

この二つの会社の作品における 《神話的想像力》 の起動――

これだけでも、 ちょっとしたエッセイぐらい書けそうだが

さらに もう一つの要素を 急いで付け加えないわけにはいかない

それは、この二つの会社が 「子ども」 のための映画を作っていることだ

すなわち、 「童話」 !

《神話と童話》 というテーマは、 二つの会社の製作過程において

意図的かつ明示的に 根本的な推進力になっている/されている――

このことに気づくのは、 宗教学への入門として まったく適している

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なぜ 《神話と童話》 は 直結し同一化するのか?

童話という まったく 「近代的な」 ジャンルはなぜ しばしば神話的なのか?

現代の神話はなぜ 童話というジャンルにおいて花開くのか?

そして

《童話=神話》 とは何か?

《神話=童話》 の特質とは何か?

<つづく>

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【メモ】

《宗教と芸術》 というテーマで 一年の講義かゼミをやってみたい――

以前から そう公言してきた

しかし、 これがなかなか難しい・・・

よい参考書がない! からだ

誰かご存知の方、、、 教えていただけませんでしょうか m(_ _)m

しかしそれにしても・・・

《宗教と芸術》 って、、、 ここでもまた 中沢先生が、、、

<連載 中沢新一論> は こちら

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肉の唄

<極私的覚書>

プロレス漫画の傑作・・・ というと なかなかないんではないか

2009年5月31日付け 朝日新聞 朝刊で

  • コウノ コウジ 『肉の唄』 (ヤングマガジンコミックス)

が紹介されていた

知らなかった作品で、 読んでみたいなぁ、、、 と思った

【メモ】  プロレスについて 前便は こちら

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宮崎駿のアニメ世界が動いた

こちらのエントリ で書いたように

『シュナの旅』 を20年ぶりに手にしてみて

宮崎駿について まともに考えてみたことがなかったと気付いた

戦後日本を代表する映画作家の作品が

この社会と世界の 深いところとリンクしていること――

しかも それがファンタジーという 宗教と世俗の通風孔に

素材を得ていること――

こういうことからして、 実際 宗教学者を標榜する僕などは

一度 ちゃんと考えてみるべきことだったのに・・・

ということで

  • 上島春彦 『宮崎駿のアニメ世界が動いた――カリオストロの城からハウルの城へ』 (清流出版, 2004年)

を買って 読んでみた

数ある宮崎本、 ジブリ本のなかで この本を選んだのには

さしたる理由はない

アマゾンの読者評をつらつら眺めて、 評価の高かったものを選んだだけ

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読後感・・・

まずは、 「映画評って こう書くのか・・・」 という感想

『長靴ネコ』 まで含めるなら、 僕らの世代は 宮崎がらまりのアニメ世界に

どっぷりと漬かってきた

身近になりすぎて、 何をどう語ればいいのやら・・・

陳腐にならず、 彼の一連の大メジャー作品群を論評するには

どうしたらいいのやら・・・

素人の僕には 手つかずだったわけだが

この本で 少しは感触がつかめたように思う

しかし そもそも、 である

そもそも、 映画を論評するとは 何をどうすることなのか、、、

「作品」 を評するという 実に二次的な作業が生むものは何なのか、、、

文学部出身でありながら 僕は、 これまでそこに

どれだけ拘泥し 苦悩することができたか・・・ 心もとない

もちろん、 現在では、 インドという 「よその」 時空間を論じるはめになり

その問題には したたかやり込められることになっているのだが

足元の時空間で生じる 「作品」 には 

物書きとしては 関わり合ってこなかったのは 事実!

そういうところを この本で反省させてもらった、 と思う

コトバを連ねるというのは 実に因果な行いだ

大学という制度に納めていただけているので

なんとなく その因業を素通りさせることもできるけれど

やっぱり そこには 単純でない問題構成があるんだな、と

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とまぁ こういう抽象的なことを書いていても面白くないので

上島さんの筆で たとえば こういうのが面白かった、、、

というのをば 一つ二つだけ 断片にてご紹介

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【その1】

『千と千尋』 を

足を取り戻す物語 (144頁, 他)

と読むのには まいった。 なるほど! と思った

子供が大人になることと、、、 自分の足をもった子供、、、

【その2】

湯婆婆 と ドーラ の類型を

死ぬ気のまったくない老人 (149頁)

と書いたりする

これは老人差別ではない (念のため)

物語/神話の 一キャラクターの精髄を述べているのだ

このズバッと来る感じは 読んでいて爽快だ

(ちなみに、 上島さんご自身は 「神話」 でなく 「民俗」 と言う)

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もちろん 各作品と この作品群は

上島さんとは異なる読みかたを 完全に許容する

僕自身、 「この作品は こう読みたいけどなぁ・・・」 という感想が

ないわけではない

しかし、 この本は、 大変尊重に値する 面白い 評論集でありました

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佐々井秀嶺上人 講演の記録

こちらのエントリ にて

佐々井秀嶺上人 の龍谷大学における講演会のお知らせをしました

なかなか 龍谷までは行けないので残念と思っていたら

勤務先のすぐ近く、 護国寺でも講演会があった と後で知りました

残念・・・

龍谷での講演会の様子について、 いくつかのサイトで報告されていました

お話の具体的な内容については

残念ながら これらのサイトからはわからないのですが

佐々井上人の影響力が ジンワリと日本にも及んでいるのはわかります

【追想】

1992年11月か12月、 ナーグプルで 上人にお見かけした、、、 と思う

ストゥーパの建立式典があって、 僕もそこに参加していたのだ

あの乾いた大地に建てられたストゥーパの姿と

何千と集まったダリトの皆さんの姿が思い出される

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アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない

有名な本なので 今更の紹介ということになるが

  • 町山智浩 『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』 (文藝春秋, Bunshun Paperbacks, 2008年10月)

面白かった

アメリカ論 (「アメリカの愚かさ」論) として読むのは 当然だけど

単なる反米プロパガンダの書でないというのは、 強調しておきたい!

その理由は 二つ

  1. 町山さんにインスピレーションと批判精神、 視覚と論拠を与えているのが、 ほかならぬ アメリカのリベラル層であること。 アメリカは (ちょうどインドのように) まったく一つではない。 最良の部分と 最悪の部分が まるっきり同居している
  2. この 「愚かさ」 は 間違いなく 現代日本のものである、 あるいは こう言ってよければ、 実に近代人一般のものであること。 この本を読んで、 自己反省できない人は、 町山さんの意図を 完全に曲解している。 僕らは、 自分たちの日常で 何かをしなければならない、今すぐ! このことに気づかせてくれる本だ (でなければならない)

50ほどのコラムが集められたもの

どれも抜群に面白いのだが、僕が快哉を叫んだのは 次の三本

  • ブッシュと記者団に恥をかかせた勇気あるコメディアン
  • 魔女狩り連合軍と戦った3人の歌姫
  • アニメとオッパイで稼いでプロパガンダ

いずれも 「第五章 ウソだらけのメディア」 に含まれている

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カルト漂流記 オウム篇

<買った本>

  • 早見慶子 『カルト漂流記 オウム篇』 (彩流社, 2009年5月)

内容は 正直まだよくわからないが

著者のブログ 「早見慶子の十条日記」

同じくサイト 「早見慶子公式ホームページ」

にたどり着いて、 直感的に買ってみることにした

著者ご自身による内容紹介は 本便の末尾に採録しました

中西新太郎 (編) 『1995年』 (大月書店, 2008年9月) は名著だったが

いかんせん 宗教の問題がうまく語られていなかった

というか、 ほとんどちゃんと論じられていなかった

早見さんの本は、 まさに中西先生の問題設定のなかで

《宗教》 というこの空白の場を埋め合わせてくれそうな予感がする

あるいは、 村上 『1Q84』 との対比で読まれていいかもしれない

セクトやカルトと上手な距離をとることのできる村上・・・

それらに全身全霊で飛びこみ、 自らに傷を負う早見さん・・・

僕には その対比がとても強烈に迫ってくる

大変アクの強い本だと思うから、 オイソレと学生さんには奨められなさそうだ

しかし僕としては、 ぜひ読んでおきたいと思った

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「カルト漂流記・オウム篇」-彩流社―(定価1890円)の出版によせて

 たった一瞬にして驚くほど人生が変わってしまうこともある。 それが幸せになれる変化ならとても素晴らしいことだろう。 でもたいていは悪いほうの突然の出来事がやってくるから、 この世の悲しみはなくならない。 そう、 私にとっていつまでも頭をもたげて忘れられない出来事が、 あのオウム真理教による一連のサリン事件だ。

 過激派を辞めた私は生きる目的を求めて、 オウム真理教の信者たちと交流し、 道場に足を運ぶようになっていた。 それには理由がある。 セクトを辞めた私にとって、 共産主義は癒しにならなかった。 共産主義は、 むしろセクトを脱退したという自分の汚点を強調する言葉であり、 聞くたびに 「おまえは脱落者」 と言われているような苦痛さえ味わった。 そんな脱落者の私にとって、 宗教は最低の人間でも生きる価値があるとなぐさめてくれるエデンの園のようで、 私の心は少しずつスピリチュアルな世界に魅せられていった。 たいてい社会運動をする人は宗教に批判的だし、 宗教心を持つ人は 「政治は腐敗しているから」 と無関心になってしまう人が多い。 そんな中で私はその両者を見事に統合させたかのような集団、 オウム真理教と出会った。

 出会ったオウムの人々はとても魅力的で、 人間の生きる意味や、 社会、 政治まで幅広く話し合うことができた。 日常生活では軽い話しかできないため、 俗世間を離れて、 こういう人と一緒に修行できるのは、 とても素晴らしいことではないか、 と考えるようになっていった。

 けれど、あのサリン事件で、 その希望は崩壊していった。 そう、 凄惨なサリン事件。 どれほど多くの人々が苦しむことになったのだろう。 被害にあった人々とその家族。 そして殺された坂本弁護士一家、 殺された信者や修行で死亡した家族の人たち。 その苦しみは今も消えないだろう。 けれど加害者だって死刑判決を受けて刑務所を出るときは遺体になったときだけ、 という生き地獄に苦しんでいるはずだ。 組織としての任務でなかったらそこまでしなかったに違いない。

 私はかつて過激派で活動をしてきた。 だから、 あの地下鉄サリン事件に私の分身を見てしまうのだ。 そう、 まるで私の罪を背負って事件を起こしてしまった分身だ。 私は彼らと同じ境遇でもおかしくはなかったのに、 ここで生きている。 だから書こうと思った。

 彼らは真実を求め、 財産を投げ出し、 出家までした勇気ある人々でもあったのだと。 短期間であれほど、 大きな発展を遂げ、 どんなことにも挑戦する集団を私は見たことなかった。 本当にエネルギッシュで理想に燃える魂の集合体だと感じた。 何であんなにも高学歴の若者が魅了されていったのか?

 私の体験したオウム真理教。 その壮大なドラマは一生私の心から離れないだろう。 そう、 それは関わるすべての人が真剣に生き抜いた永遠の物語である。

早見慶子

著者ご自身のホームページより http://hayamikeiko.com/index-2-2.html

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インド中間層の食と母性

粟屋利江先生 より、 講演会の案内をいただきました

とても関心があるので、 ぜひ参加させていただこうと思います

英語での講演、 通訳の有無は不明ですが、 ご興味のある方はぜひ!

(講演題目をご覧下さい すごく面白そうじゃありませんか・・・?!)

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アンジャリー・バティアー氏の講演会のご案内

このたび、 以下の内容で講演会を開催しますので、 ご案内いたします。

アンジャリー・バティアー氏 は、レディ・シュリー・ラーム・カレッジ (デリー大学) で社会学、 ジェンダーを教授なさっています。

インドにおける食とアイデンティティといったユニークな切り口でインド社会を考察する博士論文を提出なさり、 今回のご講演では、 やはり 「食」 の観点から現代インドのミドル・クラスの 「母性」 について論じていただきます。

ぎりぎりになっての案内になってしまい恐縮ですが、 ふるってご参加ください。 関心のある方にも是非、お声をかけていただければ幸いです。

なお、 この講演会は、 人間文化研究機構地域研究推進事業拠点形成支援事業の一環である、 外大の現代インド研究センター設置準備室と、 科件 「ジェンダーを巡る 〈暴力〉 の諸相: 交差 ・ 複合差別における 「家族親密圏」 の学際的研究」 が共催いたします。

日時: 7月6日 6時半より

場所:  東京外国語大学 研究講義棟4階 海外事情研 (427)

報告者: Anjali Bhatia氏

題目: 'Feeding Brilliance: Thinking about a Middle Class Motherhood in Contemporary India'.

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【メモ】    Anjali Bhatia で Google! →

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村上春樹インタヴュー

『1Q84』 出版後 村上がはじめてインタヴューにこたえた

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090616bk01.htm

とても短いものだけれど、 やっぱり注目してしまった記事だった

YOMIURI ONLINE の 「本よみうり堂」 より

【宣伝】  読売新聞の購読は こちら から  YOLツールは こちら から

「オウム」 「原理主義」 「神話」 など、 宗教に直接関連するコトバがいっぱい

あらためて言うまでもないが、 そういう筋が 彼の世界では根幹的なのだなぁ、と

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村上春樹さん「1Q84」を語る

オウム裁判が出発点

 7年ぶりに新作長編 「1Q84」 を発表、 話題を呼んでいる作家の村上春樹氏 (60) が今月上旬、 読売新聞の取材に東京都内で応じ、 「オウム裁判の傍聴に10年以上通い、 死刑囚になった元信者の心境を想像し続けた。 それが作品の出発点になった」 などの思いを明かした。 今回の小説を刊行後、 村上氏がインタビューに答えたのは初めて。

 オウム事件について村上氏は、 「現代社会における 『倫理』 とは何かという、 大きな問題をわれわれに突きつけた」 とし、 この事件にかかわることは、 犯罪の被害者と加害者という 「両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった」 と語った。 また、 「僕らの世代が1960年代後半以降、 どのような道をたどってきたか。 同時代の精神史を書き残す意図もあった」 と述べた。

 こうした社会的な問題意識を背景とする本作は、 長い年月、 互いに思い続ける30歳の男女を軸にした大胆なストーリー展開で読者を引きつけ、 1巻が62万部、 2巻が54万部の計116万部 (15日現在) 。 版元の新潮社によると、 購買者は30代以下が過半数を占める。

原理主義に対抗する「物語」の力

 村上氏は、 「大事なのは売れる数でなく、 届き方だ」 と強調し、 「作家の役割とは、 原理主義やある種の神話性に対抗する物語を立ち上げていくことだと考えている」 「インターネットで 『意見』 があふれ返っている時代だからこそ、 『物語』 は余計に力を持たなくてはならない」 などと持論を述べた。 1 ・ 2巻で描かれるのは 「1Q84」 年の半年分。 続編を期待する声が早くも上がるが、 「この後どうするかということは、 ゆっくり考えていきたい」 と答えた。

 「ノルウェイの森」 などの小説が英語や中国語、 ロシア語など40言語以上に翻訳されている村上氏は 「今後、 欧米と東アジア間の差は縮まり、 文化的なやりとりは一層盛んになる」 として、 「僕が日本から発信できるメッセージは必ずあると思う」 と力強く語った。

村上春樹 1949年京都府生まれ。 早大文学部卒。 79年 『風の歌を聴け』 でデビュー。 長編に 『世界の終りとハードボイルド ・ ワンダーランド』 (谷崎賞)、 『ノルウェイの森』、 『ねじまき鳥クロニクル』 (読売文学賞) など。 2006年にチェコのカフカ賞、 09年にエルサレム賞を受賞。

(2009年6月16日  読売新聞)

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ほとんど小説を読まない僕だが、 ときどき村上は読む

一番好きなのは 『ねじまき鳥』 だ。 いい意味で 壊れちゃってると思う

『カフカ』 は読んでいない。 『1Q84』 はどうなるか・・・ 自分でもわからない

誰か、 信頼できる知り合いの読後感など聞きたいのだが

今のところ 周りで読んで、 話を聞かせてくれた方はいない

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【報告】 宗教に抗する聖者

こちらのエントリ にてご案内しました研究会が 開かれました

外川昌彦先生の 『宗教に抗する聖者』 の書評会でした

その報告、 および次回以降の予定について、 南アジア系ML "SAAF" に

杉本浄さん が投稿してくださったものを再録させていただきます

【メモ】 杉本浄さんのご著書は 末尾に!

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第32回月例懇話会報告、 および次回以降の企画について

今回は、 外川昌彦著 『宗教に抗する聖者: ヒンドゥー教とイスラームをめぐる 「宗教」 概念の再構築』 について、 澁谷俊樹さん (慶応大学大学院) に報告していただきました。

他の行事と重なったためか、 参加者は7名と少なかったものの、 大変充実した話し合いができました。

本書は、 ベンガル地方出身の聖者フォキル・ラロン・シャハと彼の弟子たちの活動を捉えることによって、 「南アジアの複合的な宗教文化の存立構造」 を解明するだけでなく、 近代の 「宗教」 概念を問うという意欲的なものです。

まず、 報告者の澁谷さんが 「序論」、 「第1~3章」、 「第4~6章」、 「第7章」 の順でまとめていき、 その都度議論を挟んでいくやり方をしました。

議論は、 著書の性格を反映して、 かなり多岐にわたりました。 たとえば、 構築主義と本質主義の 「永遠の」 対立は、 本書の主題のひとつでもあり、 かなり多くの議論がおこなわれました。 また、 開発 ・ 民族誌 ・ 宗教学が重なりあう点が常に議論の的となり、 それに関する参加者による多角的な検討がなされました。

結局予定を大幅に超過し、 3時間以上にわたる熱の入った会となりました (参加者7名のうち、 3名が書評を書くことが決まっていたからか?)

今回、 2名の大学院生の方に来ていただけたのは、 主催者としてはとてもうれしく思っております。 今後とも若手の積極的な参加を希望しております。

関係各位におかれましては、 お声かけ等をよろしくお願いいたします。

次回懇話会は、 7月中旬から下旬を予定しております。

目下、 幹事のあいだで話題にのぼっている本は、 次の二冊です。

● 青木健 『アーリア人』 (講談社選書メチエ, 2009年5月)

● S・スブラフマニヤム 『接続された歴史  インドとヨーロッパ』 (三田昌彦 ・ 太田信宏訳, 名古屋大学出版会, 2009年5月)

これらの著作について、 要約と発表をしていただける方を、 随時募集しております。 ご関心ご興味をおもちの方、 どうぞお気軽にご連絡をくださいませ。

また、 別様の企画案などありましたら、 ぜひお聞かせくださいませ。

月例懇話会幹事

近藤光博 ・ 杉本浄

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中世の都市

<いただきもの>

同僚の 加藤玄 (まこと) 先生 より ご著書をいただきました

  • 高橋慎一朗・千葉敏之 (編) 『中世の都市: 史料の魅力、 日本とヨーロッパ』 (東京大学出版会, 2009年5月)

加藤先生> ありがとうございます

出版社の頁 より

【内容紹介】

都市とは何か, 日本史 ・ 西洋史 ・ 建築史の気鋭の研究者たちが, 巡礼案内といった絵図, そして都市図や屏風絵, 文書にえがかれたさまざまな手がかりから, 中世の空間 ・ 社会を活写する. 個性豊かな史料を素材として中世に暮らす人々とその時代を比較の視点から描き出す. (図版多数)

【主要目次】

序 (高橋慎一朗)

第一部 都市の空間構造

第一章 都市の塀――洛中洛外図屏風にみる京都 (高橋慎一朗)
第二章 都市を描く――イタリア都市図にみる空間の変遷 (横手義洋)
第三章 都市を測る――フランス測量術書にみる尺度と境界 (加藤 玄)
第四章 都市化する霊場――参詣曼荼羅にみる宗教空間 (岩本 馨)

第二部 都市の信仰と生活

第五章 都市を見立てる――擬聖墳墓建造にみるヨーロッパの都市観(千葉敏之)
第六章 都市の信仰――像内納入品にみる奈良の年中行事(藤原重雄)
第七章 町の経済――算用帳にみる京都の人的結合(及川 亘)
第八章 都市の地主――敷地絵図にみる鎌倉の寺院(秋山哲雄)

結(千葉敏之)

ご覧の通り、 加藤先生は第3章を書いておられます

宗教研究者にとっては、 とくに第2部 「都市の信仰と生活」 が

興味の的になるかもしれません

史料がふんだんに紹介されていて、 そういうのは やっぱり面白いですね!

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つづきまして、 高橋慎一朗先生 の 「序」 より

「日本とヨーロッパの中世都市を研究すること」 のおもしろさを、 できるだけ多くの人に知ってもらいたい。 簡単に言ってしまうと、 本書のねらいはこのことに尽きる。

1頁

現代の都市化社会を考える際に、 源流である中世の都市を探ることで、 現代の都市、 さらには現代社会そのものを相対化する視点が提供できると思われる。 現代都市と共通する点と、 異なる点の両者を含み込んだ、 多様な中世都市の姿を、 どのような方法で探っていくのか。 中世都市研究のさまざまな方法論を、 本書では具体的な研究を通じて示していきたい。

2頁

都市そのものの中に興味関心を閉じこめるのではなく、 都市から中世社会を考える、 中世社会の中に都市を位置づける。 そのような立場を堅持しつつ、 中世都市研究の魅力を広く読者に訴えかける書物を作成したい。 そう考えた編者二人は、 必ずしも都市史のみを専門分野とはしないものの、 都市には興味を持つという、ほぼ同年代の研究者に声をかけて研究会を立ち上げたのである。

4-5頁

最後に、 千葉敏之先生 の 「結」 より

 都市とは何か。 都市とは、 文明が創造しえた最も重要な文化の発信手段である、 と言われる。 とすれば、 中世文明とは何かを知るためには、 中世の都市を読み解くことが最良の方途となる。 本書は、 中世を専門とする八名の執筆者 ―― 日本史、 建築史、 西洋史 ―― が、 一つの個性的な史料、 あるいは史料類型をつぶさに観察し、 分析することを通じて、 中世都市の本質に迫ろうという試みである。

243頁

本書は、 各章を目次に沿って通読すれば、 中世の都市をめぐる八つの主要なテーマを知ることができる一方で、 関連する二つの章を併せて読めば、 日本と西洋の違いや共通点、 あるいは学問分野ごとの方法的相違を知ることができる構成になっている。

243-4頁

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インド総選挙 2009 分析5

連載 「インド総選挙 2009」 最近5便

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貧困問題や不正義が いかに極左活動家にとって追い風になるか――

前便 では そのことに触れた

一方、 今回の総選挙では、 左翼政党が歴史的な大敗をこうむった

インドでは経済危機の最中の4~5月に総選挙が行われ、 自由化に反対する有力な左派政党が過去40年で最悪の大敗を喫した。

「新・資本主義宣言 モラルある強欲こそ」 NEWSWEEK (日本語版) 2009.6.24, 18頁

今回の総選挙で もっとも注目すべきは、 この現象かもしれない

ところで、、、

天下の NEWSWEEK であるが、 この記事は まったく表層的である

インドの選挙分析でよくあるミスリーディングな解説だ

(「間違い」 とか 「ウソ」 ではないのだが、 まったくミスリーディング)

インドには 主要な共産党が二つある

  • インド共産党 (Communist Party of India: CPI
  • インド共産党 (マルクス主義) (Communist Party of India (Marxist): CPM

CPI と CPM の今回の結果 と 前回の結果 (議席数と得票率) は

CPI      4議席 (1.43%)  ←  10議席 (1.41%)

CPM   16議席 (5.33%)   ←  43議席 (5.66%)

CPI は 議席を6つ (もとの60%) 減らし

CPM は 議席を27 (もとの63%弱) 減らした

議席数ではまったく激減であるが、 得票率は まったくそうではない

それぞれが減らしたのは、 0.02 ポイント、 0.33 ポイント にすぎない

つまり 選挙民の直接の支持に ほとんど変わりなどないのだ!

ではなぜ 議席数が激減したのか? 理由は単純である

選挙戦術で負けたのだ、 二つの共産党は!

友党づくり、 選挙協力関係構築は 単純小選挙区制において必須なのに

それができなかった・・・ これでは 決して 議席はとれない

察するに、、、 両党は

グローバル資本主義の浸潤と 極左勢力の台頭のはざまに陥って

他党との関係を うまく構築できなくなっているのだろう

穏当な議会内政党としての共産党――

南アジアの戦後社会主義運動が生み出した この独特のモデルが

今 ひとつの限界に行き当たっている

この行き詰まりは おそらく 今回の選挙で 最も重要だ!!

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前回 (04年)、 前々回 (99年) インド総選挙の分析 ↓

続きを読む "インド総選挙 2009 分析5"

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Viva la Vida

<好きな歌をただ紹介するだけのコーナー>

今更で 大変恐縮ですが、、、 やっぱりこれは!!

石田衣良さんが どっかのラジオで

コールドプレイはいまいち・・・

みたいなことを言っていて、 正直 ちょっとイラッとした

ツェッペリンとか ストーンズとか "ボス" ブルースとか

その辺りを絶賛していて、 それにはまったく異論はないのだけど

そんな Coldplay も バカにしたもんじゃないと思うけどなぁ・・・・・・!!!

まぁ いいや、、、 その辺りはさておき、、、

紹介は やっぱり Sound Relief から

iTunes で買いたい方は 下の公式動画より

歌詞が素敵なので

「Viva la Vida 歌詞」 で ググってみほしい →

僕としては こちら (↓) の歌詞とか 背景説明とかが 好きです

Satomi Ichimura (市村佐登美) さん の 「Long Tail World」

http://longtailworld.blogspot.com/2009/01/viva-la-vida-lyrics.html

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臓器移植法改正A案可決

関連の前便は こちら

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2009年6月27日付け 朝日新聞 朝刊に

臓器移植法改正A案可決 先進米国にみる荒涼

という記事が載った。 森岡正博先生 が書かれたものだ

今回のA案は アメリカのごとき 「荒涼」 を日本にもたらすであろうこと

さらには、 国民の過半数の意見を無視していること などが指摘されている

記事は、 森岡先生ご自身が こちら (↓) にアップされておられる

http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho06.htm

ぜひともご覧いただきたい

【メモ】

この記事が含まれるサイトは 「LIFESTUDIES.ORG」

森岡先生の もうひとつの サイトである

http://www.lifestudies.org/jp/index.htm

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イジメ8割

ホントに イジメは すごいことに・・・

イジメの被害者は8割、 加害者は8割、、、 って、、、

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あちこちで報道されてますが、 Yahoo! NEWS より

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090627-00000086-san-soci

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いじめ、加害も被害も 小中学生8割経験 

6月27日8時3分配信 産経新聞

 仲間はずれや陰口などのいじめをしたり、いじめを受けたりした小中学生がともに8割にも及ぶことが26日、国立教育政策研究所の追跡調査で分かった。同研究所は「いじめには誰でも巻き込まれ得る」と指摘し、根深く広がるいじめの実態について教員に理解を深めてもらおうと、校内研修用の手引を作成した。いじめ研修用の手引を国が作成するのは初めて。

 調査は平成16~18年の3年間、毎年6月と11月に、首都圏の1都市の小中学校19校(小13校、中6校)に通う小4~中3の全員を対象に実施した。

 3年間の調査の結果、4~6年生の3年間で、一度もいじめに遭わなかったという小学生はわずか13・1%、中学生でも19・7%しかおらず、約8割の小中学生がいじめ被害を経験していることが浮かんだ。

 加害体験でも、4~6年生の3年間でいじめをしたことがあると答えた小学生は84・0%、中学生で81・3%にのぼった。

 文部科学省の問題行動調査によると、19年度に全国の小中高校が認知したいじめ件数は約10万1千件で、前年度よりやや減ったものの、依然として高止まりの状態になっている。

 同研究所がまとめた研修用の手引は、追跡調査のデータ集と研修用ツールの2種類で構成。研修用ツールには、いじめに関する知識を問う自己点検シートと解説書、さらに校内で研修会を開く際の進行の流れなどをまとめた実施要領も付けるなどの手厚さ。

 解説書では、追跡調査の結果を踏まえ、いじめが決して特定の子供たちに起こるのではないことを強調。改めて、いじめへの認識を見直す内容となっている。

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【メモ】  「イジメ 8割」 で Google! →

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永遠なる生と超越的な力

久しぶりの <連載 中沢新一論> 前便は こちら

また、 真木悠介 (見田宗介) について 前便は こちら

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中沢新一先生と 真木悠介 (見田宗介) 先生は

やっぱり よぉく似ている、、、 というよりは

中沢先生はカスタネダに どれだけ影響されているんだろう、、、

という話のつづきです

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真木悠介 『気流の鳴る音』 132-5頁 には

カスタネダのドン・ファン の死生観が 7点にまとめられている

部分的な引用 (改訂したもの) で ご紹介します

  1. われわれの個人的な 〈生〉 とは、 われわれの実質である宇宙そのものが、 一定の仕方で凝集して固体化した形態に他ならない。 われわれは実質としては永遠であり、 形態としては有限な存在である。
  2. したがってわれわれの個人的な 〈死〉 とは、 われわれの実質が形態をこえて拡散してゆくことである。
  3. ふつうの人間の日常生活においては、 生はみずからの形態の中にまったく内没し、 凝固している。 彼らは 〈死のない人びと〉 である。
  4. 呪術師は、 この生命の凝集力に裂け目をもっており、 そこからふつうの人間の日常的な生き方をこえる力を獲得する。 「呪術師は死にみずからを襲わせる」。
  5. しかし同時に、 この裂け目とは生命に固体としての形態を当てている凝集力そのもののゆるみであるから、 そこを通して生命が解体してしまう危険をいつでももっている。 すなわち、 個体の生を超える力は、 呪術師のまさしく呪術師としての能力の源であり、 その 盟友 であると同時に、 いつでも彼におそいかかって生命を解体しようと身がまえている危険な友である。
  6. だから人間が、 この個体性のかなたの力を狩ろうとするときは、 すなわち 「自己」 を超える歓喜や 「世界」 を超える明晰を獲得しようとするときは、 この遠心力に拮抗して生命の凝集力をいつでもとりもどせるように、 意志をきたえておかねばならない。
  7. このように、 個人としての自己の生命の凝集力の 解体 とその 再凝集 とを、 主体的にコントロールする力が 〈意志〉 であり、 このような 〈意志〉 を強く発達させた人間が (たんなる呪術師とは異る) 〈戦士〉 である。 〈戦士は自分の死とわたりあう

【メモ】

上の部分引用にて、 「呪術師」 と 「戦士」 が 同一の死生観と世界観のなかで特徴づけられていますが、 これには 「知者」 も加わる

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