カテゴリー「04E 連載 見田宗介/真木悠介論」の記事

2010年6月22日 (火)

最も単純な歓びの源泉

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 生きることが一切の価値の基礎として疑われることがないのは、 つまり 「必要」 ということが、 原的な第一義として設定されて疑われることがないのは、 一般に生きるということが、 どんな生でも、 最も単純な歓びの源泉であるからである。 語られず、 意識されるということさえなくても、 ただ友だちといっしょに笑うこと、 好きな異性といっしょにいること、 子供たちの顔をみること、 朝の大気の中を歩くこと、 陽光や風に身体をさらすこと、 こういう単純なエクスタシーの微粒子たちの中に、 どんな生活水準の生も、 生でないものの内には見出すことのできない歓びを感受しているからである。 このような直接的な歓喜がないなら、 生きることが死ぬことよりもよいという根拠はなくなる。

見田宗介 『現代社会の理論 ―情報化・消費化社会の現在と未来―』 (岩波新書, 1996年) 141頁

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この文章を読んだ まさにその日

彼の自死の知らせをうけた

彼の毎日の生活と これまでの人生のなかには

こんな 「単純なエクスタシーの微粒子たち」 が

「生でないものの内には見出すことのできない歓び」 が

「最も単純な歓びの源泉」 が欠けていたのか

―― そんなことを思った

冥福を祈ります

2010年3月 5日 (金)

「活元」 的なものを詐術に接木すること

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「神秘的ではまったくないが、 強烈に非日常的な肉体の体験」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

「見田ゼミ」 合宿における 「活元」 体験――

このことを伊東先生が 念入りに述懐するのは

それが 「宗教的経験に代わるものとして」

伊東先生の中にあった、 ある 「渇望」 を満たし

それゆえに 「豊田」 とは異なる人生を歩むことになった

という理解を表明するためである

 この1987年の7月の経験は私にとって、 ある意味で 「信仰」 獲得に近い意味合いを持った。 つまり、 特定の神を仮定しなくても、 これらの生命にとって本質的な現象を、 唯物的、 生理学的に理解するという体験自体が、 宗教的経験に代わるおのとして、 私の中にあった、 ある 「渇望」 を満たした。 もしこれが、 「オウム神仙の会」 であったなら、 そして脊髄の反射なのではない 「シヴァ大神」 などで説明されて納得してしまっていたら、 私は間違いなく別の人生を、 しかもかなり強力に歩んでいたに違いない。 生理的な現象はそれとして存在する。 それを詐術に接木するかどうかは、 まったく別の問題なのだ。

235頁

伊東先生によれば、 見田宗介先生は

「詐術」 の使い手では 決して!! なかった!!

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伊東先生にとって、 それは きっとその通りなのだろう――

ここまできてやっと僕は

以来、 ずっとやってきた連続投稿の最初の問いに

立ち戻ることができる

  1. 伊東先生以外の方がたの その後はどうなったのだろう…?
  2. 見田先生ご自身は こうした実践についてどう総括しているのだろう…?
  3. そもそも 総括の必要を認めているのだろうか…?

ポスト・オウムの宗教学者として 僕は

このことを問いかけた上で、 あらためて

見田先生を引き継ぐ宗教学

を 構想してみたいと思うわけです

2010年3月 4日 (木)

神秘的ではまったくないが、 強烈に非日常的な肉体の体験

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「見田宗介の活元運動」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

「活元」 の理論――

[……] 心臓が勝手に鼓動し続けるように、 人間の手も足も首も、 骨格筋も内臓のさまざまも、 本質的には自分の意思とは無関係に自立的に動くことができるし、 また動きたがっている。 [……]

232頁

これだけ書いてしまうと 何のことだかわからないだろうが

とりあえず はっきりと確認しておきたいのは

こうした理論にもとづくセッションを通じて

「身体的愉悦」 (234頁) を伊東先生が 実際に得たということ

そして、 それらが単なる 「生理的事実」 にすぎないという

「詐術」 ではない 「説明」 を 見田先生から与えられた

と、 述懐していることだ

 何一つ神秘的な話などなかった。 すべては生理学で説明でき、 また、 社会学のゼミであるので、 シェアリングの場でも、 実社会的な広がりや間身体性の中でこれらをどう考えてゆくか、 ということが論じられた。 ここでもし 「アラー」 とか 「シヴァ大神」 などの思し召しで、 勝手にカラダが動く、 などと刷り込まれたら、 大半の人は完全に騙されてしまうに違いない。 [……]

234頁

伊東先生のカラダは よく動いた

 「活元が出ているときには、 止めない方がいいんです」 見田先生はそう言われ、 私は揺れ動く自分の身体を愉しみ続けることにした。 身体的愉悦、 とはこういうことかと思い知った。 私はこれらの感想として 「自分が自分自身の肉体ですら、 所有していないということに気づいた」 と記した。 「中学時代、 初めて射精したとき以来最大の、 自分自身の体への認識の変化だと思った」 とも書いた。 小学校低学年時、 鉄棒類で感じた快感との関係も、 ヨーガや精神分析などの用語と的確に対照させながら整合して理解することができた。 こういう 「引き金」 によって人は宗教心を持つのだという、 確かな手ごたえを持った。

234-35頁

神秘的などではまったくないが、 強烈に非日常的な

生理的・肉体的な体験――

それを 「引き金」 とする 「宗教心」 の芽生え――

もう一つ 別の箇所からも引用しておこう

[……] 見田ゼミ合宿で知った 「活元が他の人に移る」 事実は神秘的な波動でも何でもない。 男女どちらかが骨盤レベルから本当に反射運動するとき、 残りの個体もそれに連られてひきつれてくる、 そんな程度の、 悲しいほど即物的な 「死すべき生き物のさが」 に過ぎない。 生きることの全般を根拠をもって説明できる端緒を与えられたのだから、 見田先生から与えていただいたものは本質的に 「宗教的」 と言うべきだろう。 [……]

239頁

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<つづく>

2010年3月 3日 (水)

見田宗介の活元運動

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「麻原か 見田宗介か その分岐である」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

 第一審の弁護人を務めたNさんによれば、 豊田と接見するなかで、 かつて彼に私が語った 「自分の存在の根」 という言葉が、 出家などにあたって重要な役割を果たしたのだという。 確かに、 私たちはそういう話をしていた。 だが、 そこに、 オウムに走るようなものは何もなかったはずなのに…… 一定の責任も感じながら、 私は思いをめぐらせた。

187頁

この一節は、 伊東先生が 「見田ゼミ」 の思い出を語る

「第七章 調教 現象と詐術の接木」 を含む

「第二部 証言」 の冒頭 エピグラフのようにおかれたエッセイ

  • 通過電車を待ちながら…1999~2004 (187-91頁)

の最初にある段落である

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伊東先生は、 次のようにして 「見田ゼミ」 を知った

 浪人や海外放浪などで大学への入学年次が3年遅れていた私は、 大学入学以前から、 高校時代の親しい同級生、 O君から魅力的なゼミの話を聞かされていた。 社会学の見田宗介享受の合宿ゼミだ。 O君は1年の夏休みにそれに参加して、 大変な影響を受けていた。 特に 「手かざし」 のような 「能力」 が話題になった。 それは野口整体の 「活元運動」 と呼ばれるものだったが、 「電車の中で見ず知らずの人の病気がわかって、 そこに手をかざしたら治せてしまった」 といった話とともに、 不思議な説得力をおって語られていた。 バグワン・ラジニーシの 「ダイナミック・ヨーガ」 の話も魅力的だった。 1983~84年ごろのことだ。

229頁: ルビは省略。 ただし、 「活元」 には 「かつげん」 のルビ

「見田ゼミ」 では 通常授業とは別に合宿を行っていた

[……] 1987年7月、 見田ゼミは八王子の 「大学セミナーハウス」 で 「自我論・間身体論」 ゼミナールの2泊3日合宿を行った。 事前に 「ここであったことは、 外では話さない」 という約束をして参加するのがルールである。 20年の時間が経過しているが、 今も個人に関わることはここには記さない。 泣き出す人、 固く抱擁しあう人、 いろいろな人間の 「自我」 と 「間身体性」 にまつわる 「なまもの」 の出来事がそこにあった。

 この 「見田ゼミ」 合宿で、 私に一番決定的な変化をもたらしたのが 「活元運動」 だった。 [……]

231頁

「活元運動」 については 別サイトをご覧いただくとして

伊東先生は、 この合宿での 「活元」 の実践を通じて

「身体的愉悦」 を感じた、 と記している (235頁)

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<つづく>

2010年3月 2日 (火)

麻原か 見田宗介か その分岐である

<連載 見田宗介/真木悠介論>

前便 「「見田ゼミ」 により与えられた原点」 より つづく

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  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

伊東先生は 「見田ゼミ」 の思い出を語ります

 半年のゼミでは、 まず教室で、 禅の 『十牛図』 や、 バグワン・ラジニーシの 「ダイナミック・ヨーガ」 などの話題を扱った。 ちょうど豊田が 「オウム神仙の会」 に通い始めたころ、 私は大学のキャンパス内で、 「社会学」 という学問の枠と 「自我論・間身体論」 というテーマ設定がある中で、 クンダリーニなどのヨーガの概念を知ることになったのだ。 まったく偶然だが、 豊田とほとんど同じ時期、 類似の興味の持ち方をしていた自分と彼と、 航路を原点から分かつものになってしまった。

231頁

「豊田」 とは誰であるかは、 前便 でしっかり書いたので

ここではもう繰り返さない

ともあれ、 伊東先生にとって 「見田ゼミ」 は

オウム真理教に近接しながらも、 それとは決定的に異なる

建設的な道行きを与えてくれるものだった

「豊田」 が向かったのは 「後戻り不能の坂道」 (239頁) だったが

伊東先生は

大学の社会学の合宿ゼミで三田先生に錐体外路系の解放を指導してもらうことで、 この社会に適合する形でおのれの心身を理解することができた

のだという

本の最後のパートで 伊東先生はこう語る

 地下鉄に乗った同級生同士の、 豊田と私を分けたものはなんなのか? 初めはほんの髪の毛ほどの差もなかった。 ほとんど偶然のような小さな分岐点が、 次第に大きく私たちの生活を分けてしまった。 [……]

332頁

 小さな分岐点がポイントを逆に切り替えていたら、 二人の立場は逆だったろう。 そして、 いまもそのまま、 小さな分岐点が私たちの社会に根深く残っている。 豊田は私で、 私は豊田だ。 東大に助教授として招聘が決まったとき、 豊田のお母さんはYシャツの生地と仕立券を送ってくださった。 それから7年がたった。 いまだにYシャツを仕立てられない。

333頁: ルビは省略

「小さな分岐点」 ――

伊東先生にとってそれは 若き日に出会った導師が

麻原か 見田宗介か その分岐である 

2010年3月 1日 (月)

「見田ゼミ」 により与えられた原点

<連載 見田宗介/真木悠介論>

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見田宗介/真木悠介先生 のコミューン実践について

書くべきことをちゃんと書いてから

先生の著作をしっかり引き継いでいきたい

ということで、 長い前置きみたいになっております

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本日は このテーマではとても重要な資料である

  • 伊東乾 『さよなら、 サイレント・ネイビー: 地下鉄に乗った同級生』 (集英社, 2006年11月)

伊東先生は 大学生の頃 「見田ゼミ」 に参加した

この異形の “オウム本” は その思い出を語る (230-39頁)

1987年のことだったという (235頁)

これに先立つ数年前、 見田ゼミは写真週刊誌に、 やや卑猥なトーンで、 “新興宗教ゼミ” と報道されたことがある

232-33頁

しかし、 伊藤先生によれば、 それは 「浅い誤解」 であった (233頁)

伊藤先生は 「見田ゼミ」 を介して

クンダリニーなどのヨーガの概念を知ることになった

231頁

のだが、 ここでの強調点はむしろ

「豊田」 と自分との 「航路を原点から分かつものになってしまった」

というところにある (231頁)

ここで 「豊田」 とは 豊田亨 (とよだ とおる) のことだ

1968年1月23日生まれ。 オウム真理教 「科学技術省」 次官。 東京大学理学部物理学科卒、 同大学院修士課程修了。 専攻は素粒子理論。 1992年4月、 同大学院博士課程神学直後に 「出家」 した。

13頁

出家した豊田は、 程なく新しい 「名前」 を貰い、 本来の自分の名を消した。 新しい 「ホーリーネーム」 はボーディサットヴァ・ヴァジラパーニ。 [……] 出家から3年7ヶ月の間、 豊田は生来の名前と生活のすべてを捨てて、 「金剛手菩薩」 として 「仏陀の力」 の顕現であるという 「ワーク」 に、 自分の判断という 「煩悩」 を捨てて専心することになった。

14頁

そして 1995年3月20日、 豊田は

地下鉄日比谷線の社内でサリン散布の実行行為をしました

15頁

95年5月14日、 豊田亨はクルマで移動中、 職務質問を受け、 その際、 公務執行妨害で現行犯逮捕された。

2009年11月6日、 死刑確定

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このような豊田と 「原点」 から異なり

著者伊東先生は 「見田ゼミ」 で ヨーガに触れることで

別々の 「航路」、 かたや死刑囚、 かたや東大准教授へと至る

別々の 「航路」 をたどることになった、 というのである

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なお、 伊東先生が 「クンダリニー」 と書くとき

正しくも 性欲の動物的根源にまで 思念がおよんでいる

このことが 「見田ゼミ」 の語られない側面のひとつ

“見田カルト” の奥義/秘儀/秘教の確信であると同時に

伊東流のオウム論の要点のひとつなのだが

ここでは あまり突っ込みすぎないままにしておきたいと思う

オウム論として それはかなり展開されているが (たとえば 236-40頁)

「見田ゼミ」 のこととしては さほど論及がない

そして 私が書いているのは

<連載 見田宗介/真木悠介論> の一部なのであるから

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<つづく>

2010年2月24日 (水)

交響するコミューン・の・自由な連合

前便 「われわれにとって好ましいものである限りのコミューン」 より つづく

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見田/真木先生のコミューン論――

前便 で引用した文章に 直接つづく部分です

引用をつづけさせていただきます

以下引用

 いっそう具体的な仕方で展開しておくならば、 それは個々人が、 自在に選択し、 脱退し、 移行し、 創出するコミューンたちである。 このようにユートピアたちを選択し、 脱退し、 移行し、 創出することの自由は、 再び外域の市民社会の、 ――正確にいえば、 ユートピアたち相互の間の関係の協定 agreement としての―― ルールのシステムによってはじめて現実に保証されることができる。

 市民社会のルールの海の中で、 コミューンは自由なものでありうる。 実質の価値という方向からいいかえるなら、 〈関係のユートピア〉 たちの自由を保証する方法としてのみ、 〈市民社会〉 のミニマルなルールのシステムは、 構築されるべきものである。

 だからわれわれの社会の構想の一般的な形式の表現としての、 〈関係のユートピア・間・関係のルール〉 ということは、 二重の仕方で徹底された自由な社会〉 の構想としての、 積極的な実質のイメージをこれに代入して定式化しておくなら、

 〈交響するコミューン・の・自由な連合〉 Liberal Association of Symphonic Communes

として表現しておくことができる。

引用おわり: 182-83頁: 傍点は太字で示した

  • 見田宗介 『社会学入門: 人間と社会の未来』 (岩波新書, 岩波書店, 2006年4月)

このようなコミューン論に 異論はない

ここで あえて問題にしておきたいのは

前便 で書いておいたように

〈交響するコミューン・の・自由な連合〉 Liberal Association of Symphonic Communes

という構想が 見田先生ご自身の実践における

建設的、 破壊的な諸結果を どのように総括

しているのか、 していないのか―― ということである

2010年2月22日 (月)

われわれにとって好ましいものである限りのコミューン

前便 「見田宗介のコミューン経験」 より つづく

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見田宗介/真木悠介先生 のコミューン運動の主導・関与について

まずは批判的に検討しておきたい――

ということで いくつかのエントリを重ねるつもりです

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見田/真木先生は 2006年4月刊行の新書のなかで

「コミューンという経験」 の批判的継承を説く

そこには ご自身の コミューン運動の参与と主導の経験

への批判が含まれているのだろうが

それがそれとして 明示的に総括されるわけではない

“推して知るべし” ということなのだろう

こうした態度には 賛否両論があるはずだ

不徹底で不誠実ととるか、 必要十分ととるか…

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以下に 前掲書から引用いたします

とても長い引用になります

長い引用は 僕の本意ではないのですが…

そもそもこの本が 各種論点をかなり凝縮させ

選別され洗練されつくした特殊概念で埋め尽くされています

そのため、 細切れの引用を なかなか許してくれません

ご理解のうえ どうぞお付き合いくださいませ

以下引用

 これに対して、 われわれの社会構想の構成の二重性の内、 せっきょ気宇的な実質のユニットを構成している、 〈交歓する他者〉 たちの関係のユートピアというコンセプトは、 社会の理念史の内で知られているコンセプトとの対応でいえば、 「コミューン」 という経験のエッセンスを確保しながら、 個の自由という原理を明確に優先するということを基軸に、 批判的な転回を行なおうとするコンセプトである。

 この批判的な転回は、 核となる論点なのであえてくりかえして展開すれば、 社会のこれまでの理念史の内の 「コミューン」 という名称のほとんどが強調してきた、 「連帯」 や 「結合」 や 「友愛」 ということよりも以前に、 個々人の 「自由を優先する第一義として前提し、 この上に立つ交歓だけを望ましいものとして追求するということである。 このことの系として、 それは個人たちの同質性でなく、 反対に個人たちの異質性をこそ、 積極的に享受するものである。 サルトルが、 他の点では学ぶべきことの多いその社会理論の力業 (『弁証法的理性批判』) において提示した、 「溶融集団」 ――そこでは他者の他者性は溶融するという―― とは反対に、 他者の他者性こそが相互に享受される関係の圏域である。 われわれにとって好ましいものである限りの 〈コミューン〉 は、 異質な諸個人が自由に交響するその限りにおいて、 事実的に存立する関係の呼応空間である。

 このように、 われわれの社会構想の積極的な実質のユニットをなす 〈関係のユートピア〉 たちが、 コミューンという経験のエッセンスをその生命として擁護するものでありながら、 個々人の自由を優先する第一義として前提すること、 個々人の異質性をこそ希求し享受するものであることを表現するために、 これを 〈交響圏〉、 あるいは 〈交響するコミューン〉 と名づけておくことが出来る。 〈交響するコミューン〉 というコンセプトには、 〈溶融するコミューン〉 その他、 同質化し 「一体化」 する共同体の理想に対する、 批判の意思がこめられている。

引用おわり: 180-82頁: 傍点は太字で示した

  • 見田宗介 『社会学入門: 人間と社会の未来』 (岩波新書, 岩波書店, 2006年4月)

さらにもう4段落 引用しておきたいところですが

すっかり長くなりました

次便にて

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なお、 ガンディー研究者でもある僕から付言しておくなら

ガンディーもまた コミューン運動を積極的に展開した

1869年生まれ、 1948年没のガンディー

彼は 19世紀末の南アフリカでコミューン運動をはじめた

<論点1>

《教祖》 という類型は 自らを中心とするあらたな集団の形成

それへの関心と、 その能力が必須である

<論点2>

20世紀後半の欧米(とくに米)を震源とするコミューン運動は

それ以前50年以上もつづいていた 長い文化批判運動の

パッと燃えて尽きた残り火である

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<つづく>

2010年2月20日 (土)

見田宗介のコミューン経験

前便 「連載 見田宗介/真木悠介論 序」 より つづく

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前便 の最後に

見田宗介/真木悠介を引き継ぐ 宗教学とは

と書いた が…

<連載 中沢新一論> をはじめたときと同様

次の連続投稿をご参照ください

  1. 連載 中沢新一論 序
  2. 思想の罪、思想家の責任
  3. 暴力への異様な嫌悪

見田/真木先生について宗教学の立場から評価するにあたり

まずは 批判的なコメントをしておかなくてはならない

僕がここで確認しておきたい批判は

学説のレベルではなく (それはそれで今後書くこともあろう)

氏の著述作業外実践のレベルにある

見田/真木先生が、 思索と著述の実践を

対人関係の具体的な構築場面へ直結させてきたこと――

しかもそれが 「コミューン」 という内容と形態をもった

実際の生活共同体であるということ――

つまり見田先生が 自他共に認める 「学者グル」 であること――

ポスト・オウムの宗教学は、 この点に

きわめて強く敏感にならざるをえない

僕は 見田先生の学説から受ける刺激を

十全に展開しておきたいと思うのだが、 その学説自体が

コミューン運動の実践のなかにあるという点を

ちゃんと見極めておきたいと思うのである

<つづく>

2010年2月19日 (金)

連載 見田宗介/真木悠介論 序

前便 で 思わず書いてしまったので

連載 見田宗介/真木悠介論

やってみることにしました

連載 中沢新一論

のときとは違って 僕はまだまだ まだまだ

見田宗介/真木悠介先生 のことについて

語るべきことの 具体的なイメージをもっていません

見切り発車ではありますが、 決定的に重要な

ここ数年でさらにその重要性が増すような

そんなお仕事をなさっている――

このことだけは はっきり分かっております

スローガンは

見田宗介/真木悠介先生を引き継ぐ 宗教学とは

です

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とりあえず 見田 (真木) 先生について触れた

これまでのエントリを カテゴリー化してみました

ボチボチ記事を 増やしていきたいと思います

どうぞ お付き合いくださいませ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

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