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2005年9月26日 (月)

宗教を学的に研究するとはどういうことか?

私は 宇都宮大学で「 比較宗教文化論 」という講義をやらせてもらっています。

その期末テストで、「 宗教を学的に研究するとはどういうことか? 」という問題を出しました。

以下は 学生さんの回答のなかで とってもよく書けているもののひとつです(100%の評価を与えました)。

  • 僕が勝手に名前を公表することはできません。これを書いた学生さん、これを読んでいたら ぜひ名乗り出てくれませんか。
  • 実際のレポートでは 改行がなされていませんでした。

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そもそも宗教を学的または、学問的に研究するということには、どういったメリットとデメリットがあるのであろうか。

それについて書く前に私はまず、何かを「研究する」という行為について考えたいと思う。私達が、ある事柄に対して「もっと知りたい」とか、さらには「これは一体どうなっているのだろうか」など、まずその事柄に対して、人間が一般に抱く興味関心よりもさらに深い興味関心をそのものに持たない限り「研究する」という行為は行われないであろうと考えている。そういった点から考えれば、どのようにという How to はあとにして、ある事柄を研究するという行為自体が、非常に意味深いものとなりうるのだ。

では、その研究するという行為を、学的に学問的に行うということには、どのようなメリット、デメリットの要素が含まれているのか考えていきたい。まず、メリットは、「学的」または、「学問的」な立場から宗教を研究するのだから、あくまで客観的な立場や見方をできるということだ。つまり、世の中に存在する多種多様なあらゆる宗教をすべて知っていなければならなかったり、その宗教を研究するたび改心して信者になる必要もないのである。または、それぞれの宗教を並べて比較することだってできるし、様々な指摘をすることだって可能である。その他にも、宗教を一つ一つの単体として取り上げずに、「宗教」という一つの大きな枠で宗教そのものを捉えて、宗教の存在意義や宗教とは?と疑問を投げかけることだってできる。

では逆に宗教を学的または、学問的に研究することのデメリットは何であろうか。それは、先述したように宗教を学的または、学問的に研究するということはあくまで客観的に宗教を見ることができると述べたが、それは授業でも先生がおっしゃっていたように、「あくまで宗教を理性的に研究する」ということではないだろうか。

しかし、その理性的にという方法には、2つの限界があるのだ。一つは「宗教は信じて初めて分かるという立場にあるもの」ということ。二つ目は「理性の不確かさ」である。

ここで一つ目の限界について指摘したい点がある。それは、「宗教は信じて初めて分かる」というが、何をどうしたら、その宗教を信じていると言えるのだろうか。例えばクリスチャンならクロスのペンダントをつけていたからなのか、もしくは何かの宗教の教本なるものを購入しているから。私は、宗教を"信じる"という概念は、人間の心の内に存在しているものであって、それは目で見ることは難しく、あまりにも曖昧な定義の上に成り立つものにすぎないと思う。

また二つ目の限界である「理性の不確かさ」というものについても、同じようなことが言える。研究している側の人間には、個人的な感情や偏見はもちろん存在している。いくら自分で、「個人的な感情や偏見は自分の研究に介入していない。」と言い張ったところで、それを証明できるものはなにもないのだ。つまり、感情や偏見も人間の内に存在しているものだからであり、理性の確かさには限界があるといえるのだ。

このように宗教を学的または、学問的に研究するということについての、メリットとデメリットの両者を見てきた上で、改めて宗教を学的または、学問的に研究するということはどういうことかを考えてみた。私が思うに、私たち人間が、中立な立場で宗教を学的または、学問的に研究するということは全体的に考えると非常に困難であると思う。なぜなら、人間は自らが抱いている全ての感情や意志を全て捨てて、"無"という境地の精神状態になることは不可能であると同時に、仮にそのような状態になったところで、そこから何かに興味関心を抱き物事を研究するなんてことは絶対にできるわけがないからだ。

しかしながら、私は宗教を学的または、学問的に研究することは、我々と我々の生きている社会にとって必要であると思う。その理由は、たとえ不完全な形ではあっても、宗教を客観的に研究する人たちがいないと、社会の中でひとつひとつの宗教が主張されすぎて、私たちにとって、あるいは個人にとってどのようなものを持っているのが"宗教"なのか、また"宗教"全体としての大きな概念自体がわからなくなってしまうのではないかと思う。そういった意味で宗教を学的または、学問的に研究することは、私たちにとって必要なものではないかと私は思った。

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よく書けてますねぇ・・・ 立派です!!

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