後記 #2: 9/23 ドキュメンタリー映画会議
先日の ドキュメンタリー映画会議 のご報告、続報です (前便は こちら )
僕がコメントとして述べた第一の点
「 暴力を論じる際のためらいや難しさ 」
について、僕が参加できなかった2日目にも 問題になった、、、と うかがいました。 (Rさん> お知らせ ありがとうございます)
メーノーン監督のストレートな映像づくり、、、 被害者や当事者の様子やコトバを ただそのまま連ねていくという その姿勢、、、 それは まったくの混沌であり、説明もなければ 理解の準拠枠もない、、、 みているものたちは、その暴力の真っ只中に ただの傍観者として投げ出されたかのようだった。。。
だから 僕の第一の感想は
「 この膨れ上がったお腹が 恥ずかしい 」
だった。 こんな不幸を目の前におかれて、 何かを 知的な仕方でしゃべるよう求められている、この僕って いったい何者なんだろうか・・・
暴力/ジェノサイドの問題は、国際法の整備(概念の整理を含む)、国際刑事裁判所の機能、国際フォーラムにおける圧力、、、 等々の問題である。 そのことに まったく異論はない。
しかし、暴力を目の前にしたときの ためらい、、、 恥じらい、、、 苦しさ、、、 こうしたものを 僕らは決して忘れるべきではない。 否 むしろ そこから コトバを立ち上げていかねばならない。
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