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2005年10月18日 (火)

高橋原 『ユングの宗教論』

川瀬さんのところにも届いたようだが 、 僕のところにも 著者謹呈をたまわった。

  • 高橋原 『 ユングの宗教論 キリスト教神話の再生

お金がない今、 こうして本をいただけると 本当にうれしい。

高橋さん> どうもありがとうございます。 ご家族にお変わりはございませんか。 また 酒でもご一緒致しましょう。

斜め読み1時間半 。 高橋さんへの ささやかなお礼として、 以下 簡単なコメントを書かせていただく。

斜め読み書評 であるのに加えて、 僕は、 ユング研究のなんたるか、 精神分析のなんたるか、、、を知らない 素人 である。 だから 高橋さんのご研究が どういった意義をもつのか、 どこが新しいことなのか、 本当のところはわからない。

そんな限界はあるけれど、 何かのお役に立つこともあろうかと思い、コメントを寄せさせていただくことにした。 「 素人の斜め読み 」 だからこそおもしろい、、、ということも、 まぁなくはないので。。。

業界外の皆さんへ> 書評っぽいコメントですから、 いわゆる 「 ネタバレ 」 が含まれます。 高橋さんの労作の ナマの衝撃を感じたい方は、 以下の拙文など読まないほうがよいです。 老婆心ながら、この点 最初に明記しておきます。

======

大変 おもしろく拝読した 。 お世辞ではない。 ユングの姿が ずいぶん違って見えてきた。 

上で「素人」と書いたけれど、実のところ 僕は 「 ズブの素人 」 ではない。 大学入学時、 ユング心理学か 異常心理学か トランスパーソナル心理学をやりたい、、、と真剣に考えていた。 当時 バリバリ ハードコアなニューエイジャーだった頃。 

結局、 母校の心理学科が 実験心理学中心のところだというのがわかり、 僕は なんの素養もなかった哲学科にすすんだ (さらにその後 大学院からは宗教学にすすみ インド研究を社会学的なアプローチでするようになった)。 こうして ユングに本格的にとりくむことは ついぞなかった。 

ユングとその心理学説、セラピーについて 断片的な知識を一定量もっている私だが、 「 キリスト教徒としてのユング 」  という切り口については ほとんど何も 知らなかった。 高橋 『ユングの宗教論』 は まさにそれを主題とする本である。

非常に独自の 異端すれすれの神秘体験と直感を 「もうすでに」 もってしまったユング。 その彼が キリスト教の枠内で みずからの生と理論を 意義づけ 位置づけようとする、、、高橋は ユング思想を そのようなものとして描き出す。  それは 僕にとっては 実に新鮮なユングの姿だった。  だから 面白かったのである。

さて、 こうして書いてきて すでにお分かりかと思うが、 正確にいうならば、、、この本 実は  「ユングの宗教論」については ほとんど何も語っていない 。 この本が語っているのは、 正しくは・・・

  • ユングのキリスト教論 (18頁)
  • ユングとその思想を、キリスト教というコンテクストにおいて理解すること (23頁)
  • ユングの、あるいは分析心理学の「神学的傾向」 (24頁)
  • ユングの葛藤、論争を通じて、あらためてキリスト教文化――あるいは一神教文化と呼んでもよいだろうか――という異文化を対象化する[こと](25頁)

などである。 表題と内容が やや(かなり?)ズレているように思う。。。が いかがか。。。?

まぁ しかし、 上で列挙した目標について ということであれば、 この本は 本当にちゃんと書けている。 表現も論旨展開も明晰で、 とっても読みやすい。 ユングの罠にはまったような人に、 ぜひ一読をすすめたい本だ。 そして 19世紀末から20世紀前半の 西洋思想に興味をもつ方にも おすすめの本だ。

高橋さん どうもご苦労さまでした。

========

以上が 昨日(18日)夜8時の時点に 書いた内容である。 現在 19日の午前10時。 「 素人ななめ読み書評 」では あまりにひどいので、、、 せめて その後 ちゃんと読んだ部分についてのコメントは、 コメント欄に随時 書き加えていきたいと思います。 

ご興味のある方は そちらもご覧ください。

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コメント

3章まで通読した。 最初の印象は まったく変わっていない。 ただ、『「ユングの宗教論」については ほとんど何も語っていない』 と書いたのは (かなり意識的に 扇動的に書いたのだけど、やはり) フェアな書き方ではない、と思った。 たとえば、 2章などは 「ユングの宗教論」がかなり長く論じられている。
あらためて 僕の疑問を 正確に言いなおさせていただこう―― ユング自身の「宗教」という語の使い方、ひいては ユング研究者の使い方に 高橋さんご自身が ひっぱられているのではないか、、、ということである。
言いたいことは 単純だ。 ユングとユング研究者が言う「宗教」とは 「キリスト教」とどのような関係にあるのか?? ということである。 やや専門的に言えば、 ここでの宗教概念の規定が キリスト教によってあまりにも強く色づけられているのではないか?? それはそれで構わないけれど、 そうであるなら 宗教学者はそのことをちゃんと論じるべきではないか?? 宗教概念批判の文脈で このことは 著者のなかで (実際の論実には表わされなくとも) 主題的に より深く考察されるべきではないか?? と まぁ そういうことである。
実際、 高橋さんご自身も ユングの「宗教論」と「キリスト教論」の「分裂」をご指摘なさっているわけだが(66頁)、どうも この両者の関係が すっきりわからないなぁ、、、という感想。

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