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2005年10月11日 (火)

宗思研

今日(10日)は 鶴岡科研+ 宗思研 (比較宗教思想研究会)に参加してきました。

ここのところ 生活のためのバイトであまりに忙しくて、研究会なんてものに まったく出ることができていなかった。 こうして参加させてもらえただけで 本当にうれしかった。 あぁ、、、学問をやりたいなぁ、、、と つくづく思ったのでした。

発表者はお二人でした。

  • 津城寛文 「<霊>の探求――近代スピリチュアリズムと宗教学」
  • 市川 裕  「ユダヤ民族誌研究とハシディズムの意義」

津城先生の発表 は 今月末に発刊予定のご著書(今年にはいって二冊目!!)の骨格をまとめたものだった。 19世紀末から20世紀半ばぐらいにかけての英語圏の「近代スピリチュアリズム」とその周辺が取りあげられていた。

印象に残ったのは、、、

  • 意思をもった一人の人間としての「自信」に満ち溢れたオカルティスト
  • 高級霊の前に自らの小ささを引きうける「謙虚さ」をもったスピリチュアリスト

この二者の対比という発想だ。 その筋の参加者からは なかなか面白い区別だ、との評があったが、そうした対比にどういった意味があるのか 僕には最後までよく分からなかった。 それは ちゃんと理解すべき大切なことなのか、そうでないのか、、、そこがどうも、、、「?」 のまま残された。 大切なことなら、ちゃんと理解したいのだが、、、

もう一つ 分からなかったのは、 ミスティシズム(神秘主義)の位置づけだ。 たとえば、マザー・テレサ(→ こちら も参照)。 彼女はおそらく 伝統的な神秘家に近い。 しかも、「謙虚さ」で満ち溢れた人だ。 そのことは 津城先生もお認めになっていた(@ 酒の席)。 さらに 彼女もまた20世紀前半の人であり、 しかも 津城発表のなかで中心的に論じられていた神智学協会と 同時代のインドで活躍した人だ。 だけど、、、彼女の霊的体験はやはり スピリチュアリズムとはいいにくいわけで、 彼女のような人を 津城先生の枠組みが どのように位置づけるのか、あるいは 別に位置づけなくてもいいのか、、、そこが 分からなかった。 マザー・テレサの事例は 大事なことじゃないのだろうか、、、大事なのか 大事じゃないのか、、、そもそも そんなことを考えるのが的外れなのか そうじゃないのか、、、??

こうして書いてみると あらためて分かるが、要するに 僕は 津城先生のご報告を ちゃんと理解できなかったんだなぁ。。。 睡眠不足で動いていない脳のせいもあろうけど、 やっぱり僕は どうもこの分野にうとい、うとすぎる。 勉強が必要なのかもしれない。。。

市川先生の発表 は ハシディズムを中心に 18世紀後半から20世紀前半までの 東欧ユダヤ人社会の全体像をとらえようとする、、、あるいはその逆に、、、18世紀後半から20世紀前半ごろまでの 東欧ユダヤ人社会という舞台のうえで ハシディズムとはなにか をとらえようとする発表だった。 先生も研究をはじめたばかりということで、とりあえずの中間発表といった性格のものだった。

僕にとって快感だったのは、 ハシディズムのイメージがことごとく壊されたことだ。 ごく表層的な理解しかなかったのは分かっていたが、、、

  • 百年ほどの間に 誕生から 迫害、 そして東欧ユダヤ社会の中心へ という、劇的な過程を経たこと
  • ウルトラ高度なユダヤ神秘主義思想の思弁と 悪霊払いなど民間信仰とみなされるべき実践とが 一体化していたこと

この二つのことを知って、率直に ただもうビックリした。 まだまだまだ 解明されるべきこと、学ぶべきことが 宗教史のなかには いっぱい残されているのだなぁ、と思った。 僕も自分の研究で 読者や聴衆にそうした印象を与えることができたらいいなぁ、と思った。

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