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2005年10月15日 (土)

自分作り

「習い性」 という言葉があるが、 研究者の習い性といえば、 ものを書いたり言ったりするとき そこに「 なにか新しいこと 」が入っていなくてはいけない、、、と考えてしまうこと があげられるかもしれない。 「研究者」 というのが 広すぎるくくりだとすれば、 少なくとも 僕には そういう自己抑制の傾向がある。 「なにか新しいこと、 面白いことを 言わなくちゃ」 という 強迫観念である。 「 プロの仕事 って そんなもんじゃないの・・・?」 という 思い込みが 僕にはあるのだ。

こんな話から説きおこしたのは、他でもない、 これから下で 「もうすでに 多くの人が 多くの場所で 書いたり言ったりしていること」 を 書こうと思っているからだ。 変な職業意識、 独りよがりの自己抑制 を かなぐり捨ててでも、 言葉にしておきたい、、、今朝 アイスコーヒーをすすりながら、 僕はそう思ったのです。

========

人生いろいろ と言ったのは、 我らが宰相であったが、 政治的な当不当 ・ 人間的な好悪 を別にすれば、 言い得て妙である。

人生はいろいろである 。 本当にいろんなことがある。 思うにまかせない出来事が たくさんおこる。 イライラすること、不当だと思われること、言い訳したいこと、悲しいこと、つらいこと。。。

そんなとき、僕は どうしても 「周りの人や事との関係」  で行動/コトバ/思いをおこす、、、または 「周りからの刺激」 に対して ただ素朴に反応する。 当たり前のように 反射的にそうする。 しかし そうすることで 僕は、、、なんだか 自分を見失っていくような気がする

それに気づくと、 「自分」ってなんだろう と思う。 なんだか 周りに流されて、 周りの刺激に反応するだけの ひとつの物体 であるような感覚になる。 

他の人の心のなかは ホントは よく分からないのだけれども、 「 自分探し 」という観念が 現代日本で (いくらか下火になったとはいえ、なおも) 根強い人気を誇るのは、 そうした 僕のような精神状態が 広く共有されていることを 証しているのだろう。

でもおそらくは 「自分」は 探してみつかるもの ではないのだろう。 どこかに隠されてあるものではない。 どうしてそう言えるんだ、、、と問われても 答えはないのだけど、、、僕にとっての「自分」とは そのようなものではない、 あるいは 僕の「自分」がそういうものだとすれば、 僕は ぜんぜん救われない。

「自分」とは (探し出すのではなく) 作り上げるもの である -- そう言った方が 僕にはどうもしっくりくる/美的に満足する/コミットメントを生ずる (なんだか やる気がでる、 ほのかな希望がみえる)。 

一昔前 「自我」 批判 が流行し、 今や それが当たり前になってしまっている。 自我という 内面世界の強すぎる中心が、 もろもろの苦しみの原因なのだ・・・と。 たしかに そういう面もあろう。 でも、それだけじゃない のではないか。 固くない、閉じていない、他者という陰画を勝手に作りあげることのない、 だけども頼りになる 、、、そんな自我こそが いまの僕の願いであるし、、、また 他の多くの人にとっても そうじゃないのか、 と思うのだ。

具体的にいえば、 そんなに大したことを言っているのではない。 自分にとって何が大切で、 何を変えないか、、、 柔らかくても 倒れない 失われない 何か 、 僕のなかの軸、、、そんなことだ。

たとえば 僕にとって それは 「 修行 」 というプロセスの観念、 「 利他 」 「 」 という究極の理想 (あこがれとしての高み) として もうすでにそこにある 。 それを見失わないことが きっと 僕にとっての 「 自分作り 」 であるのだろう。

そして、、、きっと 何人かの人々にとっては そういう方向に心と体を向けることが 大切なことなんじゃないか、、、と まぁ そんなことを思う。 もちろん ここには、 思想的ニヒリズム と 実践的ショーヴィニズムの直結 という、 僕なりの時代判断もあるのですが。。。

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