« インドの女性がかわいそう | トップページ | 高橋原 『ユングの宗教論』 »

2005年10月18日 (火)

小泉靖国参拝

宗教政治学宣言 をかました身としては、 はやく書かなくちゃ、はやく書かなくちゃ、、、と 気ばかり焦っています。 小泉靖国参拝 問題!!

時間がないので 要点だけ。

  • 首相、閣僚の靖国参拝に 断固反対
  • 外交問題、憲法問題だけに 反対の理由を限定してはならない、と考える (もちろん 双方とも 本質的に重要な問題ではあるが、、、)
  • 戦争責任、不戦の誓い、、、そういうものへの 態度不十分さが問題だ! と提言したい
  • 次の条件がクリアされて はじめて、 首相の靖国参拝の当否を議論することができるようになる 、と考える (ご注意: してよい、、、すべきだ、、、ではない!!)
  • すなわち、隣国、世界各国の 「追悼施設」 「戦争記念施設」 への 「 公式 」 参拝を、継続的に 日本の首相、閣僚がおこなってきた という実績が積み重なること
  • それについて 各国の (反日過激派 以外の ) 良心派とのあいだで 一定の理解が積み重なること 
  • 外交問題、憲法問題も、、、行政+民間のこうしたイニシアティヴにより 大きく様変わりするだろう
  • しかる後に、 国内の問題として 憲法論議(主として 政教分離、信教の自由、良心の自由)をすることができるだろう。

走り書き ご容赦ください。 大して煮詰まってもいないアイディアの羅列です。 また必ず、これについては書きます。

<リンク>

いつも回覧しているブログでは まだ全然 議論がもちあがっていない。 現時点で 素早い反応を示したのは、次のエントリのみでした。

  • おそらくは 公明党支持者/共鳴者だと思われる 大学の先生による エントリ → こちら
  • 政治問題についていつも迅速な反応を示し、なおかつ 明確な立場を決して崩さない リベラル派の大学の先生による エントリ (日記形式のもの) → こちら

« インドの女性がかわいそう | トップページ | 高橋原 『ユングの宗教論』 »

01A 宗教学」カテゴリの記事

01B 宗教政治学」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

首相、閣僚の靖国参拝については、
僕ももちろん反対。
マスコミも反対の意見がほとんどだ。

小泉さんのような人を説得するだけの
パンチ力に欠けたものばかりのような気がする。

かといって、僕にできるかといえば、
やはり、パンチ力には、欠けるが・・・

いっそ、最高裁で、違憲性を問うてしまったほうが早いのかなぁ・・・

かんたさん>
コメント ありがとうございます。

かんたさんは書きました:
======
マスコミも反対の意見がほとんどだ。
======
たしかにそうですが、世論調査では ほぼ半数が これに賛成、しかも多くの場合 半数をちょっと超える数の人が賛成です。
ここを 僕らは 読み違えてはいけない、と思います。

これまでの諸々の経緯をみれば 分かるように、 小泉は 決して 説得されないでしょう。説得されないことが、彼の人生観であり 政治観であるからです。

問題は「説得」ではないと思うのです。 小泉を支える「国民的、民族的情念」 「ナショナルな情念」を いかに水路づけるか、、、そのように 僕たちの思考はすすめるべきだ、と思います。
そうした情念は 「もうすでに そこにある」のですから。 それは ダメだ、マチガってる、と言っても、どうしようもない性質のものです。

さらにまた、それは 単に 低脳であるとか、政治意識が足りないとか、そういうことですらありません。 政治に理性と論理を導入すればよい、というものではありません。 それはそれなりに、「合理的な」性質のものです。 理性的で論理的ではないだろうけど、 一定の構造にしたがって、 いま日本で 盛り上がっているものです。

こうしたことを 僕らは頭に入れて、すべてを一から考え直すのがよい、と僕は思います。

かんたさん>

上記 拙コメントに付け加えねばなりません。

かんたさんは 実に良心的にも、最高裁での判断をあおぐという選択肢に 言及なさっています。 そのお気持ち 痛いほどわかります。 僕自身の(素人ではありますが、真剣な)憲法判断によれば、「私人」であることをいくら強調しても、 首相、閣僚の地位にある人が 非常に大きな議論の的となっている特定の宗教施設に「参拝」するというのは、 明らかに 憲法違反であります。

しかし、最高裁への持ちこみは 本当に慎重にならねばならない、と 僕は考えております。 靖国の理事会だか、総代会だか、ともかく 神職以外の重役ポストには、「最高裁判事専用ポスト」があります。 最高裁と靖国とのあいだには 直接的なつながりがあるのです。 最高裁がリベラルで 「マスコミ」と同じような判断をくだすとは、、、到底 思えません。

(制度的に それができるかどうかは知りませんが、もし それができるとするなら) 最高裁は この件についての判断を留保、もしくは却下するでしょう。 仮に 違憲判決がくだされたとしても、少数意見として 合憲判断が附帯されるのは、ほぼ間違いないだろう、と僕には思われます。 これは とても恐ろしいことです。 少数意見とは言え、最高裁判決に「首相靖国参拝=合憲」などという部分が加わってしまったとしたら・・・

ということで、 本件の最高裁への持ちこみは とにかく慎重にならねばならない、、、というのが 僕の意見です。

私が研究しているインドでも、実は 同じようなことがありました。「宗教と政治」をめぐる とある最高裁判決により、公共生活に大きなクサビを打ち込む事態が生じてしまいました。 最高裁はおそろしい!! このことを あらためて強調させていただきたい、と思います。

近藤さん>

丁寧な回答ありがとうございます。

靖国神社と最高裁の関係は、
非常に参考になり、驚いています。

僕は、どちらかといえば、保守的、右よりな考え方の人間です。

ですが、ただ単純な問題として、
首相、閣僚の靖国参拝といった事に対して起こる、
日本の国益の損失を、公的な立場の人間は、
もっと慎重に、そして、深く考えるべきだと思います。

日本の21世紀の生き残り方は、
経済的な観点からを考えただけでも、
中国は非常に重要な国です。

日本は、約800億円ものODAを昨年中国に出しています。
しかし中国は、カンボジアなど、アジア諸国に500億円援助をしてます。
日本の金が、ただ単に中国を介して流れているようなものです。
これは、日本政府に大きな責任があるのはもちろん、しかし、今後の中国との交渉で、話していかなくてはいけない問題の一つでしょう。

しかし、そんなことも、吹き飛ばしてしまう
首相の参拝は、経済効果で考えたら、何千億に匹敵する損失と考えるのは、考えすぎでしょうか・・・・

経済的な、メリット、デメリットで判断するのは、どうかとも思いますが、
なんにしても、自分の主義信条だけで、
何なんだという・・・・

やりきれない感情だけが残ります。


かんたさん>

どこのどなたかは存じませんが、重ねてのコメント まことにありがとうございます。 このブログを立ち上げて1ヶ月余り。 こうして議論をさせていただけるのを 大変うれしく思っております。

さて、

もしも靖国問題を 外交問題(言いかえれば 国益の問題)だけで考え、対処することができれば、どれだけ簡単だろうか と僕は思います。

外交問題は もちろん複雑な方程式です。 しかし その原則は実に単純です。 自己主張、協議と圧力、合意と妥協、、、それだけです。 自分の考えをもって 話し合って 何らかの結論に達する、と。

小泉は 韓国や中国との関係を「10年、20年、30年」のスパンで見た場合、つまり数十年後に 自分の信念と行動はかならず豊かな実を結ぶだろう、と発言していました(今日のニュースより)。 

ここで僕は注意をうながしたいのですが、、、 外交の場では、こういう立場は大いにありえます!! つまり、「1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月」「1年、2年、3年」ぐらいのスパンで生じる損失は 必要悪として認めてしまう (まぁ、それは もぉ しょうがないでしょぉ、、、ということ)。 いま中国と取引をしている社長、中国で働いている人たち、 この人たちに「害」が及んでも まぁ 仕方ない、、、ということです。

これは 本当に恐ろしい考え方ですが、 外交の専門家はそういうのが得意です。 当たり前のように そう考えます。 言いかえますと、「国益」には 短期(何ヶ月単位)、中期(何年単位)、長期(何十年単位)、超長期(何百年単位)それぞれのものがあって、 どれを優先するかは、ケッキョク そのときの外交専門家の「意見」によって決まります。 その点で 外交の本質は「賭け」ということになります。

だから、、、

外交問題として 小泉靖国参拝問題を 批判することはできません。 実際、(言い方は気に食いませんが、まぁ いわゆる)「自虐史観」は 日本の「国益」にとって 必ずしも良いことにはならない、と僕も考えます。 言いたいことは言ってもいい、ということです。

しかし、、、

僕は 首相、閣僚の靖国参拝に 断固反対!!!!です。 それは、この問題を外交(国益)問題としてではなく (また、ここでは書けませんが、憲法問題としてでもなく) 「倫理の問題」だ、と考えるからです。

そうしない限り、この問題に解決の糸口は見えてこないでしょう。 外交(国益)問題、憲法問題で切りこんでいっても、 堂々巡りをくりかえすだけ。 そうこうしているうちに、 よろしからぬことになりかねない、、、 僕はそう思って、こちらのエントリを書いたのでした。

まだ書くべきことはありますが、 とりあえず ここまでにいたします。

長文、大変失礼しました。

近藤さん>

またまた丁寧な回答ありがとうございます。
近藤さんのことを、大変知的バランス感覚のある方とお見受けします。

靖国問題を外交問題(国益)としてとか、
考えるのはどうかと思うのは、私も同じです。

靖国問題の根底には、もっと深いものがあること(たとえば、小林よしのりさんの本に傾倒する若い世代も含めた、いろんな議論)は、理解してるつもりです。

ただ、端的に首相、閣僚といった、
国政に携わる者。これは、とかく地方議員の仕事になりがちな、日本の政治家のあり方の問題として(もちろんその議員を選出しているのは、国民ですが)、彼らの行動が、国益に与える影響というものを考えた場合、狭い意味での靖国問題として、議論をつめる必要もあるのではないかと考えます。

確かに、長い目で外交を考えた場合、首相の参拝は、良いとか、悪いとかは、時間と、歴史が判断するものとして、結論を出すことは難しいことです。

場当たり的な外交をしてきたために、3流の外交といわれる日本は、問題が山済みです。

ただ、言えることは、民間がどれだけ頑張って、海外で活躍して、日本を認知させているかということです。
これからの外交は、民間抜きでは考えられず、それは、大企業が進出して、利益がなくなれすぐ撤退するというようなものではなく、中国に限定するわけではないですが、どれだけ、中小企業が、進出して、人生をかけて頑張っているかということです。

その細かいビジネスレベル、個人レベルの積み重ねが、本当の外交を作り上げていると思います。それは、将来、必ず、国益につながります。
外交は、国政の最優先課題であると考える私には、靖国参拝によって失っている国益を考え、政治家としての姿勢ありかたを一番に疑います。

まあ、このブログで、解決できる問題とは思わないですが、こういった議論が、いろんなところで、積み重なってくることが、非常に大切であると考えてます。この議論をすることに意義があると思い、大変稚拙ではありますが、こうして、コメントさせてもらってます。

かんたさん>

お返事が遅れました。

もちろん、この程度のブログで 問題が「解決」するなんてことはありませんが、 かんたさんもおっしゃられるとおり、 議論だけはしっかりやっておく、 あるいは 自分の意見表明だけはしっかりやっておく というのが 大事なのだと思います。
とくに、政治が 情念と感情によって突き動かされている 昨今の日本と世界です。 頭を使って、もの(とくに政治)を考える、、、という作業は、きっととても重要なことなのだ、と僕は確信しております。

さて、

小泉靖国参拝による外交(国益)上の損失 ということに関し、かんたさんのお考えに、僕はなにも反論するところはありません。 全面的に賛成です。 とくに 民間云々のくだりは 強く首肯したものです。

小泉靖国参拝に賛成だけれど、それが外交(国益)問題に発展することに懸念を有する―― 最近の世論調査をみるかぎり、そうした有権者が どうやら10~20%ほどいるようですね。 これに「靖国参拝反対」派を加えると、 60%以上の国民が かんたさんと同様の憤りと懸念を抱いているようです。

ただし、

僕の考えをもう一度整理させてください。 僕の考えでは、小泉靖国参拝は すくなくとも三つオ問題を生じさせました。

・ 外交(国益)問題
・ 憲法問題
・ 倫理問題

この三つのいずれにおいても、小泉の靖国参拝は正当化されえない、、、と僕は確信しています。 そして、第一の問題の深刻さについては、かんたさんのおっしゃられることに 僕が全面的に賛成であるのは、上で述べたとおりです。

しかしながら、

僕の強調点は、第一、第二のポイントを議論したところで、小泉の考え方の「決定的な」欠陥を指摘することはできない、、、というのが 僕の見立てなのです。 たとえば、先便コメントで述べさせていただいたように、 外交(国益)問題であれば、「小泉の行為を正当化する論理を組み立てるのは、 比較的容易である」 のです。 (なかなか論じる機会がありませんが、 第二のポイントについても 同様だ、と考えます)

小泉(および その同調者)に対して 僕が突きつけたいのは、第三のポイントです。 それが オリジナルのエントリで 僕が述べたかったことなのです。


近藤さん>>

倫理問題、、、、、
難しいですね。

倫理観というのは、
それこそ、世界中の人口分
倫理観があるのではないかと思っています。

近藤さんの言う、
倫理問題として、
考えた場合、もう少し詳しく教えてください。


かんたさん>

またも お返事が遅れました。すいません。なにせ コンピュータの前に座ることすらできない忙しさになっておりますもので・・・

さて、

私が「倫理問題」と言うのは、絶対的で普遍的な「真理」(なにが「善」で「正しいこと」なのか)を明らかにする というのでは決してない、、、このことを最初に明確にさせておかせてください。

そうではなく 「問いをもちつづけること」あるいは「問いつづけること」として、私はここでの「倫理問題」を掲げたいと思っています。

かんたさんは書きました:
========
倫理観というのは、 それこそ、世界中の人口分 倫理観があるのではないかと思っています。
========
   ↓
たしかにそのとおりです。 しかし、私が言いたいのは 答えを出そうということではないのです。 皆で共有できる問いを見つけ出そう ということです。

倫理観が無数というのは、いわば当たり前のことです。 そこで問うことをとめてしまってはいけない。 そんなこと(不可知論)を採用してしまうと、ニヒリズムに陥ってしまう。 倫理の問題は、個々の人たちが「問うこと」のエネルギーをいかに補給しつづけられるかだ、、、と僕は考えています。

小泉靖国問題について 具体的に 申し上げます。

私が最初のエントリで書いた、次の提案(ときに一つ目)が そうした問いに直接関わります。

● 隣国、世界各国の 「追悼施設」 「戦争記念施設」 への 「 公式 」 参拝を、継続的に 日本の首相、閣僚がおこなってきた という実績が積み重なること
● それについて 各国の (反日過激派 以外の ) 良心派とのあいだで 一定の理解が積み重なること 

首相、閣僚が 自分の国、自分の国民を大切にするのは もちろん絶対に必要なことです(小泉靖国参拝賛成派は そうした自己主張、自己中心主義を かかげています)。

これに対して私は、 太平洋戦争という問題の性質上、「大切にするもの」の順番を間違ってはならない、と思うのです。 完全なる義人聖人、完全なる利他主義者になれ!!というのでは ありません。 しかし、物事には順番というものがあるだろう、ということです。

首相が靖国参拝をするのには、それに先立ってやっておくべきことがあるのではないでしょうか(もちろん ここで私は、戦後補償というカネのことを言っているのではありません)。

油田開発や領土問題、あるいは反日教育などの分野で 中国や韓国に言いたいことは 私にだってあります。 しかし、そのことと 靖国問題(要するに 戦争の「記憶」の問題)をリンクさせてはいけない、、、と私は思います。 それは なにひとつ発展的なことが含まれない行き方だ、と思うからです。

========

追記:
コメントをひとつ 削除させていただきました。全く同じ内容だったからです。不都合等ございましたら、どうぞおっしゃってくださいませ。

近藤さん >

削除ありがとうございます。
ネットの接続が悪く重複してしまいました。

倫理問題、「問いをもちつづけること」あるいは「問いつづけること」としてという考え方は、とても賛成です。
そういう意味合いでしたかと、大いに納得しました。

しかし、このような問題意識は、
いわゆる日本の社会のなかで、
どれほど重要視されてるのでしょうか?
いいかえれば、重要と考えることが、
この先できるのでしょうか?

どうしても、自分たちに密接する
たとえば、中国にいる留学生が困るとか、
仕事上困るとかいうような話が、中心になってしまう気がします。(もちろん私も含め)

ただ、日本よりも、アジア近隣諸国、中国で言えば、首相の靖国参拝したことについて、戦後保障の問題やその他の問題をそこに絡めて、問題としたがる節があると思うのです。

近藤さんの言うとおり、
それらの問題と、靖国の問題をリンクさせることは、なんら発展的なことは、生まれてきません。

私の中の認識では、戦後保障を歴史の中で考えるなら、中国への賠償は、十分終っています。

1972年の日中共同声明いらい、公式の場で、20回以上の謝罪があり、賠償については、そのとき決着をつけています。その代わり、ODAという円借款を主体としたかたちで、今までに3兆3000億以上これは、歴史上も類のない額ですし、民間でも中国融資は、5兆円を超えています。

しかし、これだけのことをしながら、靖国問題により、中国側が、どうしてもいろいろ絡めてしかけてくる、どうしても、日本国民を代表する立場の人間としての行動として、納得のいかない、わだかまりがのこります。

私自身、倫理の問題として、少し、考えを整理してみます。


かんたさん>

長々とした 私の文章におつき合いいただき、本当にありがとうございます。 おかげで、私の考えも ずいぶんとまとまってまいりました。

さて、

かんたさんは書きました:
========
しかし、このような問題意識は、
いわゆる日本の社会のなかで、
どれほど重要視されてるのでしょうか?
いいかえれば、重要と考えることが、
この先できるのでしょうか?
========
   ↓
そうなのです!! まさに ここが問題なのです!! 
かんたさんのこの問いかけに対する 私の応答は、 もちろん いずれも 「ノー」 であります。 とても残念なことではありますが、倫理問題とは、まさにそのように空しく、無力だと感じられるものです。 私は率直に、その点を認めます。

しかし、そうであるからこそ、理想は高く掲げられねばなりません。 理想的な日本の姿を思い描きつづけねばなりません。 「現実主義」という名の 直情径行型政治に 僕らはやられてしまってはならない、、、と思うのです。

申しあげるまでもないことですが、中国や韓国の反日政策は、 それぞれの外交(国益優先)政策の全体において 戦略的な一部をになっています。 それに対して、日本の外交専門家(および、それを監視すべき われわれ日本国民) は、もちろん それ相応の対処をしていかねばなりません。 

しかし その場合も、決して 「同じ穴のムジナ」になってはいけない!! と私は申しあげたいのです。

こんなささやかなブログです。私ひとりの叫びです。それでも、このことは表明せざるをえないのです。 こうした考え方を どのように具現化するか、世論(あるいは 文化)としてどのように定着させていくか、、、 この点について 私はまったくの無策であることを告白します。 しかしそれでもなお、、、なのです。

========

返信御無用につき、再々々々度のコメント投稿、ご容赦くださいませ。

========

<追記>

かんたさんは書きました:
========
1972年の日中共同声明いらい、公式の場で、20回以上の謝罪があり、賠償については、そのとき決着をつけています。その代わり、ODAという円借款を主体としたかたちで、今までに3兆3000億以上これは、歴史上も類のない額ですし、民間でも中国融資は、5兆円を超えています。
========
   ↓
まったくそのとおりです。
さらに加えて、円借款のおよそ3分の1の額を、中国がベトナム等に「援助」している点も 指摘されるべきです。 軍事費の問題は言わずもがなです。

こうしたことには、それ相応の対処をすればよいのであって、 そのことと 戦争の「記憶」問題とをリンクさせてはいけない、、、 これが私の強調点です。

靖国の問題は根深いから安易には賛否を決められない。
あそこでは一兵卒も天皇家の祖神と同じ神とされる。伊勢神宮の対極にある。これは正直おもしろくない人々も多いと思う。
最近の私個人の心情としては参拝に疑問がある。チルドレンの集団参拝、軽薄な生意気コメントにも嫌気して、これを機に私はすべての神社参拝をやめている。
カトリック、仏教信者も戦没者を慰霊訪問したいのは共通している。どの宗教信者でも出入りできる施設はやはり必要と思う。そこでは、空襲で亡くなった人々の慰霊碑もあってよいだろう。
靖国に参拝し続ける事が不戦の誓いとはやはり納得できかねる。

湖子さん>

コメント ありがとうございます。

ご自身 神道を とても大切にお考えの方でいらっしゃるように お見受けします。

新追悼施設については 韓国政府がこれを要請しているとのこと、 今日の朝日新聞の一面をかざっておりました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137899/6457539

この記事へのトラックバック一覧です: 小泉靖国参拝:

« インドの女性がかわいそう | トップページ | 高橋原 『ユングの宗教論』 »

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ