« 自分作り | トップページ | 小泉靖国参拝 »

2005年10月16日 (日)

インドの女性がかわいそう

千葉市女性センターでの講演に関連して、 先日のエントリ で 次の三つの論点をあげた。

  1. 「宗教が強すぎて、国民を支配している」
  2. 「宗教と政治が結びつくのはとても恐ろしい」
  3. インドの女性がかわいそう

ずいぶん間が空いてしまったが、、、今日はその三つ目について、コメント返しをばさせていただきたいと思います。  言いたいことは 先便と同じです。

========

「インドの女性がかわいそう」 というのは、実に ビミョーなコトバです。  このビミョーさを どこまで自覚できるか (その気はなくても、そう思われるかもしれない、、、ではなくて、、、本当にビミョーかもしれない、、、と どこまで思えるか) この点を 問いたいと思います。

「かわいそう」 というコトバで表される感情は 真剣な同情、優しい気持ち、人に対する思いやり、素直な正義感、、、などなどなど の基礎となるべきものです。 ですから、 とっても大事 です。 

しかし、、、「かわいそう」 というコトバに ビミョーに潜りこんでいる 上下関係 (専門用語で ヘゲモニー ) の響きを 僕はここで指摘したいと思います。 

  1. それが、 「同情」 というコトバの字面どおり、 自分の苦境や苦悩と 誰かの姿が 的に 調する、、、というのなら わかるのです。 何も 僕がわざわざ文句を言うほどのことではありません。
  2. しかし、 「かわいそう」 には もうひとつ 別の使い方があります。 それは、 「 (私は 幸せで 恵まれているけど、、、 あの人は、あの人たちは) かわいそうねぇ」 というものです。 誰かを「かわいそう」と思うことで、 自分の優越性 を 心のどこかで (あるいは かなり意識的に) 確認してしまうのだとしたら・・・ どうでしょう?

私の講義に寄せていただいた感想のなかの 「かわいそう」 というコトバが、 上記二つの意味の どちらで使われているのか、、、短い文章ですから 私には判断できませんでした。 

前者の意味での「かわいそう」であってほしい、、、との願いをこめて これを書いてみました。

日本とインドのように、 経済状態や 政治体制が違う国、、、もっとはっきり言いますと、 「後進国」という名付けられてしまう国と 世界第二位の経済大国とを 比べる場合には、 いま私が 上で述べたようなところまで、 繊細さが求められます。 そうでなければ、 インド/第三世界/「後進国」 を学ぶことは、 自己確認と自己賛美の作業 でおわってしまうことに なりかねません。

たしかに これは コトバ一つの問題ではあります。 ほんとんど神経症的 なこだわりだ、、、と言われてしまうかもしれません。 しかしながら!! こうしたこだわりこそ、 大事なことなのだと思います。

« 自分作り | トップページ | 小泉靖国参拝 »

02A 南アジア研究」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/137899/6332653

この記事へのトラックバック一覧です: インドの女性がかわいそう:

« 自分作り | トップページ | 小泉靖国参拝 »

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ