インドの女性がかわいそう
千葉市女性センターでの講演に関連して、 先日のエントリ で 次の三つの論点をあげた。
- 「宗教が強すぎて、国民を支配している」
- 「宗教と政治が結びつくのはとても恐ろしい」
- 「 インドの女性がかわいそう 」
ずいぶん間が空いてしまったが、、、今日はその三つ目について、コメント返しをばさせていただきたいと思います。 言いたいことは 先便と同じです。
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「インドの女性がかわいそう」 というのは、実に ビミョーなコトバです。 このビミョーさを どこまで自覚できるか (その気はなくても、そう思われるかもしれない、、、ではなくて、、、本当にビミョーかもしれない、、、と どこまで思えるか) この点を 問いたいと思います。
「かわいそう」 というコトバで表される感情は 真剣な同情、優しい気持ち、人に対する思いやり、素直な正義感、、、などなどなど の基礎となるべきものです。 ですから、 とっても大事 です。
しかし、、、「かわいそう」 というコトバに ビミョーに潜りこんでいる 上下関係 (専門用語で ヘゲモニー ) の響きを 僕はここで指摘したいと思います。
- それが、 「同情」 というコトバの字面どおり、 自分の苦境や苦悩と 誰かの姿が 情 的に 同 調する、、、というのなら わかるのです。 何も 僕がわざわざ文句を言うほどのことではありません。
- しかし、 「かわいそう」 には もうひとつ 別の使い方があります。 それは、 「 (私は 幸せで 恵まれているけど、、、 あの人は、あの人たちは) かわいそうねぇ」 というものです。 誰かを「かわいそう」と思うことで、 自分の優越性 を 心のどこかで (あるいは かなり意識的に) 確認してしまうのだとしたら・・・ どうでしょう?
私の講義に寄せていただいた感想のなかの 「かわいそう」 というコトバが、 上記二つの意味の どちらで使われているのか、、、短い文章ですから 私には判断できませんでした。
前者の意味での「かわいそう」であってほしい、、、との願いをこめて これを書いてみました。
日本とインドのように、 経済状態や 政治体制が違う国、、、もっとはっきり言いますと、 「後進国」という名付けられてしまう国と 世界第二位の経済大国とを 比べる場合には、 いま私が 上で述べたようなところまで、 繊細さが求められます。 そうでなければ、 インド/第三世界/「後進国」 を学ぶことは、 自己確認と自己賛美の作業 でおわってしまうことに なりかねません。
たしかに これは コトバ一つの問題ではあります。 ほんとんど神経症的 なこだわりだ、、、と言われてしまうかもしれません。 しかしながら!! こうしたこだわりこそ、 大事なことなのだと思います。
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