宗教と世俗のあいだ
「 宗教と世俗のあいだ 」 という考え方 (観念) が とても大事だ、と僕は思う。
「宗教」というものを なにかひとつの本質をもった、 そういう意味で固定的なカテゴリーだ、、、なんて 思うと、、、
- 僕らの目や耳に飛びこんでくる「 なんだか宗教っぽい 」現象のことが、 さっぱりわからなくなる。
- 僕ら自身が いかに強く 深く 「 なんだか宗教っぽい 」ものに ひたって生きているか、 さっぱりわからなくなる。
僕らは 実に「宗教的」である。 「○○教」を信じていないとか、 「○○教団」に入っていないとか、 そんなことは関係ない 。 さらには、 理性と科学にもとづいて生きている ということさえ、 関係ない 。 僕らは もうすでに 「完全に宗教的ではないにせよ、完全に世俗的でもない世界」 を生きている。 それが 「宗教と世俗のあいだ」 である。
<具体例>
10日まえぐらいの「天声人語」に 鹿児島は知覧の特攻隊基地でのお話がのっていた。 明日 特攻に飛びたつという若者が、お世話になった近所のおばちゃんに 「ホタルになって帰ってくるからね」 と伝えた。 特攻機が飛びたった夜、 少し空けておいた戸口から 大きなホタルが入ってきた。 それをみつけた娘さんが、 おばさんに向かって こう言った。
「ほら、○○さんが 帰ってきたよ」
有名な話である。 僕もどこかで聞いたことがあった。 これを 「宗教」と呼ぶべきかどうかは、 ここでは問わない。 しかし それが「世俗でない」のは たしかなことだ。
<もう一つの具体例>
上の「天声人語」が掲載されたのと同じ日(・・・だったと思うが)、J-WAVEの深夜番組「 ミッドナイト・ガーデン 」で 坂本美雨さんが こんなナレーションをしていた。
おまえ自身の身体を 支配しようとしてはいけない。
おまえ自身の肉体を 支配しようとしてはいけない。
おまえ自身の皮も、脂肪も、肉も、
おまえ自身の骨も、血も、細胞も、
それは、おまえ自身のものではない。
おまえが、「身体のもの」なのである。
おまえの意志は、身体の意志である。
おまえは、その肉体に支配された精神でしかない。
ここではもちろん、何か生理学的な発見が言われているのではない。 ホルモンや脳内物質と、意識との関係に関する解剖学的な知見が 言われているのではない。 (その証拠に 坂本さんの相方は 善意なるニューエイジャー、ロバート・ハリスさんなのだ) カラダと意識をめぐるこの感覚、、、 宗教ではないけれど、科学でもあるまい。
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