人の心のパワー
前便 「資源動員というパースペクティヴ」 より つづく
====================
前便 で 資源動員論についてカサノヴァが述べていることに触れた。 その続報である。
資源動員論の限界を指摘したあと、カサノヴァが議論をすすめるのは、社会運動(とくに成功した運動)のオーガナイザーたちの「 動機 」についてである。
「動機」というのはつまり、「 やる気 」である。 人の心のパワー である。 特定の運動が成功する場合、そのリーダーとなるべきオーガナイザーが どれだけ「 やる気 」をもって、どれだけ「 本気 」で 運動の拡大を志しているか が大事だ という見方である。 カサノヴァの言葉では 「 決意そのもの 」、「 精神と心の変化 」と書いてある(邦訳 189、190頁)。 表現はともあれ、オーガナイザーの「 やる気 」の量と質は、資源動員論では説明できないというわけだ。
実際にカサノヴァが取り組むのは、モラル・マジョリティのジェリー・ファウエル の精神史を簡単にたどってみせることだ。
分離主義的で、自足的、 その意味で「狂信的」だったファウエルらの「根本主義」のセクトが、1970年代半ばに 政治、教育、法律などの公的事象に積極的に参与しようとする立場へと 「回心」したのだという。 そして、その内的転換こそが、「プロテスタント根本主義」の公的台頭の契機となった、と カサノヴァはどうやら言いたいらしい。
資源動員論について 明確な立場が示されているおかげで、 上記のような「回心」論は なかなか説得的 なしあがりになっている。
【メモ】
後便 「信仰と宗教的動機」 ご覧くださいませ
« インド情報を知るなら | トップページ | 信仰と宗教的動機 »
「01A 宗教学」カテゴリの記事
- 20世紀における「反近代」の変容(2016.02.24)
- 島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)(2016.02.17)
- [ワークショップ] オタクにとって聖なるものとは何か(2016.02.27)
- ヒンドゥーの霊的原初主義(2015.12.17)
- 映画上映会 『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(2015.11.11)
「01B 宗教政治学」カテゴリの記事
- ヒンドゥーの霊的原初主義(2015.12.17)
- 儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ(2015.05.04)
- 近代経済人の宗教的根源(2015.04.23)
- 田中智学の八紘一宇(2015.03.20)
- 中華民族主義、もしくは漢民族復興主義(2015.02.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント