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2005年12月29日 (木)

体験と理屈

こちらのエントリ への続報、、、というか 追加情報である。

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先ほど電車のなかで読んでいた 『 現代宗教2003 』 ( 国際宗教研究所編、東京堂出版 )のなかから、 ホアン・マシア先生 の言葉。

宗教には理屈や考えることよりも 体験 が大事であり、それが根幹にあると私は思っています。 しかし、 体験 があった上で……あとで落ち着いて冷静に考える、わきまえるという面がないと、「 体験体験 」というように、原理絶対主義やイデオロギー化したり、熱狂して宗教のなで暴力を犯すということになる。 ただ、あまり理屈っぽく組織的に宗教のことを体系化しようと、非常に合理的になると、せっかくの 体験 も窒息してしまう。 その両極端を避けながら、体験 とよく考えることのかねあいをとるという立場に、いつも私は自分を置いています。(145頁: 強調引用者)

ここで言われているような 体験と理屈 の対比について、僕は 先のエントリ で 次のように書いた。

そうした規範の根づきによって失われる、健全なる狂気 もございましょう。 それはたしかに惜しむべきことであるかもしれません。 ですが、それならばせめて、信心の狂気が健全さを失ったとき、そのエネルギーの奔流を効果的におし留めたり、水路づけたりすることができるような、言説上、制度上の仕組みを 各教団にはご用意いただきたい、と願うばかりです。

僕が 「 健全なる狂気 」 と呼んだものを、マシア先生は、いかにも生の哲学を深く研究なされた方らしく、「 体験 」 と呼んでいるわけだ。

<メモ>

僕の 「 狂気 」 という言葉づかいは あきらかに 町田宗鳳先生 の影響による。

ご関心のある方は、町田宗鳳 「 ウラの共通感覚 」 ( 中村雄二郎・町田宗鳳 『 宗教: 21世紀へのキーワード: インターネット哲学アゴラ 』 岩波書店,1998年,22-29頁 ) をご参照ください。

  • 関係者の皆さん> こちらの論文、YONSHに載っております。

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