明確な近代主義の立場
前便 で、カサノヴァの 『近代世界の公共宗教』 が 「 明確な近代主義の立場 をとっている」 と書いた。
カサノヴァ自身の言葉でいえば、その近代主義とは 「 リベラリズム 」 ではない。 「リベラルの壁」 という表現が この本では繰り返しもちいられているが、それは 宗教と公的領域を絶対的に隔てようとする壁のことだ。 その「壁」が 経験的にも、思想的にも 無根拠であることを示すのが、カサノヴァの議論の要点である。 したがって、 カサノヴァは 「リベラル」 ではない 。
しかしカサノヴァは、ハーバマス的な近代合理主義者ではある。 そのことは たとえば、アメリカのカトリックについて論じる章の結論部に出てくる 次のような概念によくあらわされている。
- 公的討論 (邦訳 261頁)
- 合理的な公的討論、論争上の倫理 (同)
- 開かれた合理的な討論 (同 264頁)
これらはいずれも、同定された実体概念であると同時に、 規範的に措定された価値概念 でもある。 これらのものは、カサノヴァにとって、多元化という「近代化」の本質を形づくるプロセスにおいて確保された公共性確定の場として 正当化されうる 事実上唯一の選択肢 なのである。
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