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2006年1月11日 (水)

宗教学の実践倫理

昨年末30日、 江原啓之氏 のテレビ特番 「 天国からの手紙 」 が放映された。 (→ こちら 、リンク切れ御容赦)

僕も好きな番組で、今回もビデオに録画して観た。

いくつかのケースが放映されていたが、僕がもっとも強い関心をもって観たのは、イタリア人のお父さんと その長女の方からの依頼だった。

これについて 分析的なことを書きたいと思う。

しかし、扱われている問題が問題なだけに、まずは 当のご家族の方々へのご挨拶 をしないわけにはいかない。

以下は、そのご挨拶である。 一方的な呼びかけであり、まったくの自己満足である。 しかし、宗教研究が倫理的な責任を担うべきポイントであるだけに、これを書かせていただく。

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まずは 僭越ながら、事件で大変な不幸にあわねばならなかったご家族ならびに関係者の皆様に 心からの衷心と同情の念をあらわさせていただきます。

宗教学者として真摯に申し上げますが、私は、江原さんがおっしゃるような意味での 「 霊 」 が、江原さんがおっしゃるような意味で 「 実在する 」 のかどうか、、、分かりません。 それについては 学問と宗教とのはざまにある宗教学は、明確なことを決して述べることができない、と私は思っています。

ただ、ご家族の方々の痛みの果てに、江原さんとの出会いがあり、お母さんや妹さんとの再会があったことは、できるだけよく理解したいと思っています。

そうした痛みを軽く見積もるつもりはありませんし、ましてや お亡くなりになった方々との交流という 「 聖なる瞬間 」 の意味を蔑ろにするつもりなど 毛頭ありません。

それはたしかに、科学でもなければ ドグマでもございませんでしょう ( ドグマ という言葉は、カトリックのご信者でいらっしゃる皆様には 特別の重みをもったものではないか と存じます ) 。 しかし、私たち宗教学者にとって、その出来事は 心からの尊重に値する 「 実体験 」 なのだ、とわきまえております。

私は このブログにおいて、皆さまがご出演されたあのテレビ番組について、コメントをさせていただきたい、と考えております。

どのような権利があって そのようなことをするのか、、、私も悩まないわけではございません。 しかし、単なる好奇心や野次馬根性から、そうしたことをするのではない、そのことだけは、どうかご理解いただきたいと願っております。

宗教について理解を深めたいと願う、一人の学究の徒として、またそうして得た理解を大学で講義する立場にいる、一人の教師として 、皆さんがあのテレビ番組で私たちに見せてくださった、ぎりぎりのところでのお母様と娘さんとの出会いを、考察の対象とさせていただきたい、と思うのです。

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やはり、なんだか虚しい独り言になってしまった。 関係者の方々からの反応が頂戴できればありがたいが 、それは望むべくもあるまい。。。

こうした自己撞着にもかかわらず、こうした逡巡は、素朴な 宗教学の実践倫理 として、とても大事なことだ。 その確信だけはある。 むむむ、、、やはりまた独り言に、、、、

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