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2006年1月17日 (火)

宗教=世俗的近代性

以前、こちらのエントリ で、宗教政治学宣言 をした。 このブログにも 「 宗教政治学 」 のカテゴリを立て、関連するエントリを書きためてきた。 ( まぁ、ささやかなものですが・・・ )

今日は、ちょっとだけ踏みこんだ話をば。

========

宗教学と政治学がほとんど全く ( 本当に!ほとんど全く ) 切り結ぶことのない現状 ―― これは、いまの世界情勢からしますと あきらかに異常です。 

正確に言いますと、 「 切り結ぼう 」 という努力は たくさんあるのです。 あるのですが、それはまだ始まったばかりで、成果はなんとも心もとない、という現状。

それはなぜか・・・ この問いが、本エントリの主題になります。

「 異常 」 というのは、現実の説明として、あまりに シドロモドロ、、、宗教学者は政治が語れず、政治学者は宗教が語れない、、、

実際問題、僕たちの社会と世界では、宗教と政治の境界がどんどん曖昧になっていっている。 なっているのに、それをどう考えればいいのか、誰もわからない、と。

どうしたらいいんだよっ?! という疑問は、当然あります。

そういう具体的な行動指針をもとめる声には、プロとしてぜひ応えていきたい。 しかし、その前に・・・

どうしてそうなのか?! という疑問を、まずは考えてみたい。

こうした理論的で哲学的な設問は、単に、私コンドウの趣味にすぎない、、、ということではありません。 そこには ある必然性があります。

僕の考えでは、宗教学と政治学のあまりに顕著な乖離は、 近代世界 の根本にある 聖俗二元論 のゆえなのです。

聖俗二元論とは、ちょっと分かりにくいコトバですが、、、要するに、、、

聖なるものと、俗なるものを くっきり分けて、僕らの世の中のすべてのことを、その二つのどちらかにふりわける、、、

はっきりさせられない事象は、その二つの 「 混合 」 ということですませる、、、

そういう考え方、 深ぁーーいところにある考え方 のこと。

政治は俗事であり、宗教は聖なること、、、この二つはきっちりと分け る方がよい 、 分け るべきだ 、分け なければならない 、、、僕らの日常生活では、そうした態度が当たり前になっている。 誰に教えられるわけでもないけれど、僕らは そういうものとして毎日を生きている。

この考え方/態度に対応する政治制度、社会制度が、 政教分離の原則宗教の私事化 なわけです。 宗教は決して政治と混ざらないこと、、、宗教は自分でやるのは構わないけれど、他人に干渉してはならないこと、、、

一人一人の心身の深いところにある考え方から、社会や政治の制度までが、きれいに 聖と俗に分離されている状態 ―― これが 「 近代的 」 と呼ばれ、無反省に (= いちいち考え直さなくてよい、当たり前のこととして ) よいこととされている。

したがって、一般には、近代性は世俗的なものと考えられていますが、実はそれは正しくない。

宗教と世俗を二つに分けるところに、近代性の本当の特徴がある。

だから、僕はそれを 「 世俗的近代性 」 ではなくて、 「 宗教=世俗的近代性 」 と名づけているわけです。

だから、学問の世界も、政治学と宗教学は別々にがんばっていけばよい、、、と。

二つの学問領域を橋わたしするというのは、こういうところから考え方を変えていかねばならない。 そうでないと、すごく底の浅い、単なる 「 結合 」 になってしまう。

ではあらためて、どうしましょうか・・・?

この問題が、ここでやっと出てくるわけですが、長くなってしまいますので、また別の機会に。

<メモ>

  • ここで書いたことは、この論文 で論じたことです。 そこで明らかにしたアイディアを、宗教政治学という枠組みに位置づけなおしたのが、上のエッセイです。
  • このエントリを書こうと思い立ったのは、昨日 ( 16日 ) 、島田先生と話をしているなかでのこと (→ こちら )。 昨年末にお会いしたとき (→ こちら ) にうかがっていた、先生の 「 宗教政策学 」 構想に刺激された。 宗教政策学について、先生は近々に論文をまとめたい、とおっしゃっていたので、そちらを待ちたい。
  • そして僕も 「 宗教政治学の可能性 」 とでも題した論文を、もう早めに書いてしまってもよいなぁ、と思った。 本エントリは、そのアイディアの初発メモになります。

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コメント

いつもお世話になっています。ブログを楽しく(こっそりと)拝見させていただいております。
「宗教政治学」の提言、基本的なラインでは賛成できるのですが、少しつっこみを入れさせてください。
自戒も込めて言えば、現在の宗教学者にあまりに隣接領域に関する知識が欠如していることを認めざるを得ないとしても、政治学の領域においても「宗教」に関する認識が欠如していると断言してしまうのは、やや不躾ではないでしょうか。
カール・シュミットの名前を知らない政治思想研究者は存在しないと思いますし、特に日本では、(私も最近勉強中なのですが)無教会的プロテスタンティズムと新カント主義の流れをくむ南原繁氏以降、宗教と政治の関係についての理論的考察が着実に蓄積されていると思います。
また、聖俗二元論が近代社会に特有なものだと読めるような記述も、ややミスリーディングではないでしょうか。ヨーロッパ中世における教会と王権の並立に見られるように、聖俗の領域の(ある程度の)区別は、あえて大胆に言えばどの時代のどの社会にも見られるものだと考えます。むしろ必要なのは、聖俗の関係性とその布置が、さまざまな社会でどのような具体的ヴァリエーションをとっているかということに関する踏み込んだ考察なのではないでしょうか。

大田さん>

コメント どうもありがとうございます。

有料になるのがイヤで、拙ブログにカウンタをつけていない僕は、どんな方が こちらを覗いていただけているのか、いつも不安に感じています。 こうして書き込みをいただくと、とても嬉しく感じます。

さて、
ご指摘の件、いずれも そのとおりだと思います。 アルバイト先の塾の先生もお読みいただいたりする(しかも、半分以上 読めなかった、分からなかった、と感想をいただいていたりする)ので、ちょっと単純に書きすぎました。 大田さんのような方には、荒ッぽすぎますね・・・

長くなるのは明らかなので、別エントリを立てて お返事とさせていただきます。 どうぞご了解ください。

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