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2006年5月の記事

2006年5月31日 (水)

ディプロマ・ミルだったとしても

もう2ヶ月半も前の話だが、、、バイト先の塾に一通の封書がとどいた。

イオンド大学 ( IOND University ) というところからだ。 ハワイ校と日本校があるらしく、フィリピンのミンダナオ大学の姉妹校だ、とうたっている。

「 IOND 」 というのは、 「 International Organization for Nontraditional Distance Learning 」 の頭文字、、、みたい。 この名前からすると、日本語で 「 大学 」 としてしまうのは、かなりヤバい、、、という気がするが、まぁ 老婆心かな、、、 ( っていうか、カンケーないし、、、)

封書には、「 教授 」 と 「 名誉教授 」 としての 「 名誉称号 」 の 「 登録 」 を受け付けますよ、という案内がはいっていた。

嘘か本当かはしらない。

「 教授会 」 の 「 審査,承認 」 を経て、 「 資格証 」 が届けられるのだそうだ。

こちらの 「 名誉称号 」 、各年ごとの更新制ということで

  • 「 教授 」 なら 「 年20万円 」
  • 「 名誉教授 」 なら 「 年10万円 」

この額を、某大手都市銀行の 「 イオンドユニバーシティ 」 名義の口座に納付することになるらしい。 ( そうかぁ、、、名誉教授なら半額かぁ、、、月8千円ちょっとかぁ、、、などと不謹慎な考えをもってはいけない、、、のだろうか、、、)

嘘か本当かはしらない。

「 強い社会的要請に基づいて始められたことで御座居ます 」 とある。

嘘か本当かはしらない。ただし、万々が一これが ディプロマ・ミルだったとしても 、もちろん僕は驚かない。

<メモ>

イオンドユニバーシティ ( 繰り返すが、「 大学 」 ではない ) のHPを閲覧してみた。

未知現象研究学部 」 というのがあるらしい。学科は6つもあるらしい。

  • UFOLOGY学科
  • 超能力学科
  • 心霊現象学科
  • 超考古学学科
  • 超常現象学科
  • 超科学科

学部長は 「 矢追純一 」 さんであるらしい。その他教授陣4名。 「 阿久津淳 」 さんもそのひとりらしい。

惹かれるねぇ。。。惹かれざるをえないねぇ。。。

<メモ2>

ウィキペディアにも独立した項目が立っているので、ご覧になるとおもしろい、とっても。

メイン頁 から 「 イオンド大学 」 で検索。。。 って、だからぁっ! 「 大学 」 はまずいって、、、マジで、、、

その 「 ノート 」 によれば、上記 「 未知現象研究学部 」 、学生さんがあまりいないとのこと。 むむむ、、、そうですか、、、それじゃぁ、つぶれてしまいかねないなぁ、、、残念、、、おもしろそうなのにぃ、、、

2006年5月30日 (火)

宗教復興・ナショナリズム・世俗主義

こちらのエントリ で紹介した 小杉泰 論文、、、

そのなかで、小杉先生は 1960年代以降の イスラーム復興 の 「 史的展開 」 を、9点にわけて略述している。

その第7番目に示されているのが、次の一段落である。

⑦ 民族主義が衰退し、世俗主義との対立が先鋭化する局面――イスラーム復興がアラブ民族主義をはじめとする民族主義の諸潮流と亀甲していることは言うまでもない。 歴史的な流れとしても、アラブ民族主義が衰退してイスラーム復興が隆盛した。 それは一九七〇年代、八〇年代と進んできたが、一九九〇~九一年の湾岸危機・湾岸戦争で、民族主義の衰退は決定的となった。 それまで退潮するアラブ民族主義を支えていたイラク政権が弱体化し、影響力も衰えたからである。 そうしたなかで、民族主義者が起死回生を願ってイスラーム派と対話する場面も現われるようになった。 これは、民族主義が世俗主義を捨てて、宗教的文化を吸収しようとする動きにつながる。 この局面のなかで、イスラーム復興運動も世俗主義を主要な敵とみなすようになった。 八〇年代後半以降の中東のイスラーム思想は、世俗主義に対する批判を非常に強めている。(29頁:強調引用者)

イスラーム復興の歴史についてもそうだが、やはりここで僕が興味をもつのは、 「 宗教復興・ナショナリズム・世俗主義 」 の三者関係である。

イスラーム復興とナショナリズムとの両義的な関係 (場合によってはくっつき、場合によっては離れる、という関係) は

  • 酒井啓子編 『 民族主義とイスラーム: 宗教とナショナリズムの相克と調和 』 ( 日本貿易振興会アジア経済研究所,2001年 ) 巻頭の酒井論文 (→ @アマゾン
  • 池内恵 『 現代アラブの社会思想: 終末論とイスラーム主義 』 ( 講談社現代新書,講談社,2002年 ) (→ @アマゾン

ですでに学んでいた。実際、こちらの拙稿 (→ @アマゾン) では そうした文脈で酒井論文を引いた。

小杉先生の上の一節で気になったのは、 「 世俗主義 」 という概念の使い方である。

この辺りをどのように整理していくかが、 宗教政治学 の大きなポイントになるだろうなぁ。

そしてもちろん、世俗主義概念を鍛えなおす作業は、宗教学者が担うしかない。

2006年5月29日 (月)

6/9 グローカル研究会

久々に 研究会で発表をさせていただきます。

グローカル研究会 」 というもので、詳細は こちら ご参照ください。

発表題目に 「 概論 」 と銘打ってますが、、、 これは なかなか発表内容のイメージが固まらなかったからです。 

そこに書かれているとおり、主催者側の問題意識は、次の2つです。

  • グローバル化のもたらす「国民」意識の相対化
  • 「国家」概念の再構築とナショナリズムとしての展開

こうした大きな問題設定のなかで、インドの事例を僕がしゃべったら、ご参加の方々がそれをどのような関心でお聞きになり、どのような問題をえぐり出してくださるのか、、、

むしろ 僕の方がそれをうかがいたいと思い、それで 「 概論 」 としたわけです。 他地域の研究者の方々から、忌憚ない意見やアイディアをお聞かせいただけたら、と願っています。

(平日の夕刻なので、ターンアウトはちょっとよくないかもなぁ・・・)

まぁしかし 問題提起一切なし ではあんまりだ、、、と 自分でも思いますから、後半部では いくらか理論的な話題を出したい、と考えています。

すなわち、、、

インドの世俗化と公私区分という文脈からみたヒンドゥー・ナショナリズム

という問題設定です。

国民社会の世俗化、、、宗教の脱私事化、、、このふたつこそ、比較宗教的な現代宗教論にとって もっとも重要な点である、 との理解がそこにはあります。

以上、お知らせでした。 お時間のある方、ぜひともおいでくださいませ。

<補足>

今年秋に予定されている2つの学会での発表とコメントも 上と同様の関心からおこなおうと考えています。 それらの学会とは、、、

前者のパネル発表では、宗教社会学の視点から (とくに社会経済的要因に注目して) 80年代以降のインドのいわゆる「ヒンドゥー化」について 再考します。

後者では、現代フランスの公共宗教論のパネルに 「 司会 」 として登壇させていただく予定。 公共性について、フランスはおそらく インドとは対極にあります。 そうした事例から、いわゆる 「 宗教復興論 」 の再検討をおこなうパネルということで、 僕にも勉強になるところ大です。

江原啓之氏

以前立てるだけ立てて、その後ホッポラカシにしている こちらのエントリ 、、、

江原啓之氏 のテレビ番組についてのものだったのだけど、、、

それを こんなポータル・サイト で 引用していただいているのに 気づいた。

話題の.jp 」 というサイトなのだそうだが、、、これ 有名なところなんでしょうか。

ずいぶん便利なものがあるなぁ、、、というのが正直な感想。

さて、、、

上のサイトで紹介されている 数々のブログを一読、、、あらためて 江原氏の影響力の大きさに気づかされます。

(ただし、各ブログでは コメント書き込みがかなり少ない。そこが どうも気にかかりはします、、、)

宗教学なんぞをやっている者からすれば、氏は なんというか 非常にオーソドックスなスピリチュアリスト、、、という感じなのだと思う。

けど、、、その業界に不慣れな方たちにとって、彼の存在は いかに大きなインパクトをもっていることか、、、それが分かる。

オウム事件の余波が過ぎ、テレビ各局が、相変わらず 視聴率 が見込め、しかも 制作費 が大してかからない 「 心霊番組 」 を 続々と投入している。

(僕も大好き お笑い番組に 心霊番組は対応しているように思われるが、、、)

(いかが >テレビ製作者の皆さん)

善い悪いではなく、、、そんな時代背景のなかで こうした現象をとらえておきたい。

イラン革命

現代宗教論にとって宗教復興論は 核心的に重要である。

そして、いまさら言うまでもないことだが、、、

宗教復興論にとって イラン革命は きわめて重要な出来事である。

ということで、、、

前便 まで紹介してきた 『 増補 イスラームに何がおきているか 』 (16-41頁 )所収

小杉泰 「 脅威か、共存か? 「第三項」からの問い」  より、一段落を抜粋。

イラン革命直後から一九八〇年代前半には、百家争鳴の議論がなされた。今にして思えば、専門家もかなりあわてふためいていた。イラン革命が予測できなかった一因は、近代化を推進すると世俗化が進み、宗教は衰微する ( つまり、イスラームの政治的・社会的役割は消滅する ) という認識が強すぎたことにある。 実際この認識のために、イラン革命のみならず、イスラーム復興全体がながらく無視されることになった。 これは、近代化論の功罪の 「 罪 」 のほうに数えるべきかもしれないが、地域に固有な文化や価値システムの力を過小評価していた面もあるし、また、近代化すればどこでも西洋型の社会になるという単線論的な発展観が災いしたともいえる、ただ、その反動か、イラン革命を地域の文化的特殊性だけで説明する考えがだされたのも、やはり的はずれであった。つまり、イランはシーア派であり、シーア派というものはその成立時 ( 七世紀! ) から 「 反体制的 」 であった、というたぐいの議論である。(24頁: 強調引用者)

この段落で僕が注目したい点は ふたつある。

  • イラン革命がイスラーム復興とイスラーム主義に 大きなドライブを与えたこと。 ひいては、イスラーム以外の宗教復興運動にも インパクトを与えた ( と思われる ) こと。

これはまぁ、衆知のことである。

ただし、、、わざわざ「 と思われる 」 と書き込んだ点には、どうかご注目いただきたい。

「 イラン革命のインパクト 」 と簡単に言うけれど、それって具体的にはどういうことなの? 個別の事例をちゃんと見ていけばいくほど、どうもその辺りがあいまいになりそうなのである。

たとえば、ヒンドゥー・ナショナリスト運動の場合 、イラン革命直前直後の一次資料に目をとおしてみると、当時この事件にはさほど大きな注目が与えられていなかったことがわかる ( そもそも、彼らの仲間うちで、イラン革命はほとんど話題になっていないのだ。それよりも、共産主義に対する警戒心の方が 何倍も強い。インドはそういう時代だった) 。

ヒンドゥー至上主義イデオローグたちが、イラン革命や 「 イスラーム原理主義 」 を問題視するようになるのは、やや時間がおくれて、1981年から82年以降のこと、それが過熱化しはじめるのは、さらにおくれて、83年頃からである。

インド的な、国内的な事情があって、そうしたタイムラグが生じたことが推察される。

この辺りの事情を細かに見ていかないといけない。 そうしないと、 「 ヒンドゥー復興 」 の実相が全然わからない、、、というか、 < イラン革命 → ヒンドゥー復興 > という単純な図式に陥ってしまう。これではダメ。

ということで、この方面については、先行研究がほんとにもう全然ありませんから、いま 自分でコツコツ研究しています。。。しかし、、、毎度のことではありますが、忙しくて忙しくて、、、まったく進んでおりません。

第二に、、、

  • イスラーム復興は 「 ながいこと 」 そこにあったのに、観察者・分析者がそれを見落としていたこと。

これまでの宗教復興論では、次の問いがどうも弱かったように思う、、、

宗教復興という言葉で示される 「 現象 」 とは、誰のどんな目に現れ出ている像なのか、、、

特定の 「 現象 」 について論じる場合、論者はそれを外的事実ととらえているのか、内的像ととらえているのか、、、 現象学的思索の質 はここで決まってくるわけですが、、、これまでの宗教復興論は、その点がどうも心許ないように思われます、、、

この点に関連して 「 無視 」 を明確に指摘したことで、小杉先生は、宗教復興論がしばしば陥ってしまう落とし穴を、見事に看破している、と評価できるわけです。

ちなみに、、、このブログですでに何度も紹介させてもらっているように、拙稿 「 宗教復興と世俗的近代 」 (→ こちら ) は、小杉先生と同様の関心をもとに書き上げたものです。

2006年5月28日 (日)

イランの四つの宗教性

前便 で紹介した『 増補 イスラームに何がおきているか 』 (118ー37頁 )所収

吉村慎太郎 「 イスラーム革命と民衆文化: イラン政治変動の底流 」 からの一節。

「イスラーム」という呼称で一括することは便利であるが、 多様性・動態性の現実を覆い隠す危険性をも秘めている。 この点をフィールドワークを通じて十分確認したためであろう、 米国の人類学者フィッシャーは、 主要なイラン・イスラームのスタイルとして、 (一) 宗教指導者が訓練される教育機関での学問的宗教、 (二) 村やバザールでの民衆宗教、 (三) 既存の社会的諸価値に対抗する神秘的なスーフィズム、 (四) 上流階級の個人に還元された倫理的宗教、 の四つを指摘している。 (119-20頁)

ここに示された イランの四つの宗教性 は、他地域の研究にとってもかなり参考になる。

(インドなんかは これと よ~~く似ている)

比較宗教的な現代宗教論の整理枠組みのひとつ、、、として記憶しておきたい。

なお、参考文献は注記されていない。

ただし、巻末の文献表によれば、どうやら

  • Fischer, M. M. J. Iran: From Religious Dispute to Revolution. Cambridge: Harvard University Press, 1980.

が参照されているようだ。

目を通してみないとなぁ、、、

2006年5月27日 (土)

イスラームに何がおきているか

ブログ再開の第一弾はこれ↑↑↑

数ヶ月、このブログをのぞきもしなかったら、、、コメントもいっぱいいただいていた。

ちゃんとお返事を書くようにいたします。すいません。

======

イスラーム復興についての本は、日本語でもすでに た~くさん あり、はっきり言って どれを読んでいいのか分からない 状態だ。

そこで、、、

  • 小杉泰編 『 増補 イスラームに何がおきているか 平凡社,2001年

を、僕はお勧めしたい。 (→ こちら@アマゾン

集められた論考は、各国、各地域におけるイスラーム復興の具体相を、個別にとりあげている。短めの論考ばかりで、とっても読みやすい。

ただし、南アジアの事例が欠けているのは残念。バングラデシュは、インドネシアにつづいて、世界第2位のムスリム人口を抱える国なのに。パキスタンはもちろん、インドだって、イスラームを論じるにあたっては、とっても重要である。

しかしながら、編者の小杉先生の名誉のために言っておくと、南アジアのイスラームの重要性を、小杉先生はとってもよくわかっている。 こんな本 に 「 イスラーム研究と南アジア 」 という論文を寄稿なさっているぐらいだ。概論だが、文献表はすごく充実している。

『 増補 イスラームに何がおきているか』 は、冒頭から通読する本というよりも、辞典のように使える本だ。 つまり、なにか気になる事例に出会ったら、その国や地域の章を読む、、、という具合にである。

こうした読み方をすると心底納得するのだが、イスラーム研究は、現代における比較宗教の可能性を示す。 メガ地域横断的な 「 比較 」 が ここまでちゃんとできるのは、本当にうらやましいことだ。 イスラーム研究は、現代の宗教学者の必須科目だ、と僕は確信している。

再開

こちらのブログ、いよいよ 再開 することにいたしました。

実は、、、 前便 でお知らせしていた職場、、、 100% 私のいたらなさ のため、お流れになってしまいました。

(したがって、私の肩書きは 「 非常勤講師 」 に逆戻りです)

その反省から、すっかり神経衰弱になったり、ブログを自粛したり、、、ホントにいろいろあった昨年度でしたが、、、

いつまでもグズグズしてても仕方ないので、思い切って 今日から再開いたします。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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