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2006年6月30日 (金)

宗教復興とグローカル化 (4)

すっかり間が空いてしまったが、前便は こちら

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きっかけは I 助教授 ( 創価大学 ) のコメントだった。

お名前を出してよろしければ、ぜひにご連絡をくださいませ > I 先生

私なりに要するに・・・

「 ヒンドゥー 」 を多数派として一枚岩につくりあげようとする 「 ナショナリスト 」 のことが、グローバル化論のなかで うまく議論できないのは、 むしろ当然のこと ではないか。

I 先生のこうしたご主旨の発言が、僕には メカラウロコ であった。

「 国民 」 の多数派であること ( あるいは、多数派形成により 「 国民/民族 」 を実体化し強化しようともくろむ人たちであること ) 、ナショナリストであること ( すなわち、国民国家へのコミットメントを強く強く有する人たちであること ) ――

僕の研究対象のそうした性格からいって、グローバル化論がうまく議論できないのは、 あらかじめ決まったこと ではないか、というのである。

なるほど!! 正解はいつもごく簡単なところにあるものだなぁ、と思った。

グローバル化の流れを多方向へと分散させ、その力の収斂をあいまいにしてしまうような水準、 「 ローカル 」 と 「 グローバル 」 の間にあってその両者のあらたな結合と活性化に水を差す 「 ナショナル 」 なものの強大な生命力 ――

ヒンドゥー・ナショナリズムはむしろ、第一義的には これらに対応する現象/運動とみなすのがよかろう。

これが 僕にとっては 本当にあたらしい発見 であった。

なにを当たり前のことを、とおっしゃる方もおられよう。しかし、 ウニャウニャ している頭 は、往々にして単純なことを発見できないものなのだ、、、と言い訳 ( 恥 )

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