ヴェド・メータ 『 ガンディーと使徒たち 』
日本女子大学で ガンディーと非暴力 についての講義をもたせていただいている。 (→ こちらのエントリ 参照 )
そこで先週、次のようなプリントを配った。
本ブログにTBをはっていただいている 植村昌夫さん の翻訳本を、ぜひ紹介したいと思ったからだ。
こちらからもTBをはらせていただきます> 植村さん
プリントには、この訳書を読むにあたって注意してもらいたい点を、次のように示した。
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ヴェド・メータ 『 ガンディーと使徒たち: 「 偉大なる魂 ( マハトマ ) 」 の神話と真実 』 植村昌夫訳,新評論,2004 ( 原1976 ) 年,20頁より.
[ 注: 同上書の表題中 「 マハトマ 」 は 「 偉大なる魂 」 にふられたルビである。本ブログにルビ機能がないので、括弧内にて示した ]
ガンディーが残した数万の著作と演説に展開されている彼の思想の核心は、貞潔と清潔を通じて、人間のあらゆる精神的肉体的欲求と機能の統御を通じて、個人と社会の衛生の追求を通じて、神を求めることであった。
[以下、近藤のことば]
※ 上の引用文について
- ガンディー思想の全体を非常によくまとめた文。 これだけ手際よいまとめを、私はほかに知りません。 ひとつひとつの言葉 ( 概念 ) をよく吟味しながら、理解するとよいと思います。
※ 上の訳書について
- この翻訳は、とてもよくできています。 お勧めの一冊。
- ただし、翻訳はどこまでも翻訳です。 たとえば、上の引用分中で 「 著作 」 とあるのはミスリーディングです。 原語を確認していませんが、おそらくは writings かなにかでしょう。 しかし、ガンディーには著作と呼べるものは1冊しかありません。 2部に分かれている自伝を入れても3冊です。 writings は「書き残したもの」、さらにその後の 「 演説 」 は 「 語ったもの 」 ぐらいの意味にとるべきでしょう。
- また、 「 衛生 」 という言葉がありますが、これもミスリーディングです。 こちらも原語を確認していませんが、おそらく hygiene や sanitation ではなく ( いずれも医学的な言葉 ) 、 health でありましょう。 だとすれば、それは単なる 「 衛生 」 なのではなく 「 健全さ 」 という意味ももっているわけです。
- 他にもあります。 「 貞潔 」 はブラーフマーチャリア Brahmacharya 、すなわち性的禁欲を中心にした禁欲の行全般を、そして 「 清潔 」 は浄 'subha; 'suddhi 、すなわち霊的にケガレのない状態を、それぞれ含意するでしょう。 つまり、古代から連綿とつづく南アジア思想を背景にして、これらの言葉は読まれないといけない、ということです。
- もう一つの注意点。 この本は、ガンディーとその 「 使徒たち 」 の、隠された暗部をあばく著作です。
- これだけ読むと、ガンディー思想というよりもガンディー 「 現象 」 というものが、インドでなぜあんなにも急速に衰退してしまったのか、よく分かります。 また、ガンディーという人が取り組んだかなり独自な、悪く言えば 「 奇人的な 」 行動が分かります。
- しかし、もちろんガンディーはそうした面だけで尽くされません。 彼の人生と思想の偉大さとの対比のなかで、この本は読まれるべきでしょう。
======
以上が 学生さんにお配りしたプリント ( 一部 ) でございました。
<メモ>
ガンディーについての前便は こちら 。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
Thank you for your trackback. ブログ一時休止中で失礼しました。ご指摘箇所原文は
In fact, the very core of Gandhi's thought, presented and developed in tens of thousands of his writings and speeches--his search for God through celibacy and cleanliness, through mastery of all human needs and functions, mental and bodily, and through insistence on personal hygiene and public sanitation--has been obscured by mythologizers fearful of debasing and sensationalizing their martyred hero.
英語で一文を、訳文では二文にしています。原文はニューヨーカー誌にアメリカ人の読者を想定して書かれたものです。
投稿: 植村昌夫 | 2006年8月25日 (金) 21時08分
コメント、そしてわざわざの原文紹介、まことにありがとうございます。
「hygieneやsanitationではなく、、、healthでありましょう」 と私は書きましたが、とんと大外れ。 まさしく hygineとsanitationなのですね。
だとすれば、やはり原文の方は、ガンディーの思想と実践を、少々矮小化してしまっているかもしれません。 というのも、やはりそこには、「健全さ」という含意があるべきだ、と私は思うからです。
ガンディーが近代的な衛生観念に強いコミットメントをもっていたのは、ご存知のとおり 完全なる事実です。 しかし、英語圏ではとかく、それを物的で科学的なコトバで表現します。 これは、察するに エリクソンの仕事からの影響でありましょう。
あらためまして、ありがとうございました。勉強になりました。
投稿: コンドウ | 2006年8月26日 (土) 23時26分
近藤先生、
このブログへの参加は、もうよそうとしていたのですが、先生のお言葉に気をよくして、この訳の問題に飛び込ませていただきます。前後の関係は全く分からない立場からですが、英語と元訳を見て気づいたことを書きます。
(元訳)
ガンディーが残した数万の著作と演説に展開されている彼の思想の核心は、貞潔と清潔を通じて、人間のあらゆる精神的肉体的欲求と機能の統御を通じて、個人と社会の衛生の追求を通じて、神を求めることであった。
(原文)
In fact, the very core of Gandhi's thought, presented and developed in tens of thousands of his writings and speeches--his search for God through celibacy and cleanliness, through mastery of all human needs and functions, mental and bodily, and through insistence on personal hygiene and public sanitation--has been obscured by mythologizers fearful of debasing and sensationalizing their martyred hero.
(別訳試案)
事実、数え切れないほどの書き物や講演で発表され展開されたガンディー思想の正に核心たる神を求めることとは、宗教的禁欲と浄化であり、心身両面における全人類の必要と役割について精通することであり、更に公私両面での清廉潔白を断固として主張することであったのに、ガンディーを神話化する輩が、彼らの殉教の英雄の評判が悪くなることや物議を醸すことを恐れて、あいまいにしてきたのである。
原文どおり1文に納めました。両語の構造の差を考えて少し意訳していますが、両語に通じている方なら、ほとんど直訳であることが分かると思います。
蛇足ながら(悪い癖ですが)簡単な説明を、
神を求める生活が三つの相で表されています。(近藤先生、これがガンディー思想の3本柱ですか。)
1)宗教的生活(celibacy & cleanliness)、
2)知的生活(人間と社会の実相を知ること)、
3)政治的公明(公私混同の政治的堕落を排す)。
ここで、celibacy は宗教的禁欲と訳しましたが、西洋的発想では端的に独身主義を指します。しかし、ここの文脈ではそぐわないと思い禁欲としました。元訳の「貞潔」もいいと思います。Cleanliness ですが、これも宗教的なものですので宗教的浄化のことです。この際の宗教的とは、倫理的浄化も医学的清潔も包含するものであることは、西洋で宗教学を修めた者にとっては常識です。例えば、旧約聖書レビ記17-26章の規定はこの概念をよく表わしています。この中には、イエスがマルコ伝12章31節で引用した「己を愛するがごとく隣人を愛せ」も19章18節に登場します。
近藤先生が問題になさったところですが、実は単語の問題ではなく修辞の問題です。
ギリシア語やラテン語を学びますと西洋的修辞学に触れます。私も一応学びましたが、ラテン語は今でも夢見が悪い。あのバークリー出の若造先生、クソッ。失礼。この「ク--」という言葉に当たる英語に c—-p head というのがあります。この言葉をヘブライ語のクラスで使い、ユダヤ人のおばさんに先生にAだったのにA-にされた経験があります。Miriam先生、今では心から悪かったと思っています。ごめんなさい。
閑話休題。
personal hygiene and public sanitation はこうなります。(うまく図式がオンすればいいのですが。)
Personal--Hygiene
---|--- X ---|---
Public--Sanitation
Hygiene と sanitation は同じ概念。Personal と public は対(ペア)の概念です。漢文でも同じことをしますね。真ん中のXはギリシア語のカイ。タスキ掛けの構造です。この修辞法をchiasmaといいます。訳は、
∴公私両面での清廉潔白
となります。元の英文はとてもエレガントで、英米人でも英語しかしらない普通の人は見過ごします。
以上ですが、見当違いでしたらご容赦を。
Mark W. Waterman, Ph.D.
投稿: Dr. Waterman | 2006年8月28日 (月) 13時33分
Dear Dr. Waterman,
詳細なコメント ありがとうございました。
なるほど、修辞の問題なわけですね。勉強になります。
(1)
ガンディー思想の柱を どうまとめるかは、とても難しいところです。 彼自身は、1930年代、自らの信条を15条にまとめていたりしますが、どうもそれは当てになりません。 かえって分からなくなってしまうのです。
あれだけ多様なテーマを含んだ思想をまとめようとすれば いろいろなやり方があってよいのですが、僕自身は、現代日本人の関心と理解枠組みを念頭に 4点に整理することにしています。
下記 ご参照ください。
http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2006/06/post_d0e7.html
(2)
翻訳の問題ですが、mastery は やはり植村さんがなさっているように「統御」がよいと思います。 ガンディー自信の英語、ガンディーアンたちの英語では、当該概念をさすのに、普通 control というコトバを使うところです。
したがって、あなたは 「知的生活」 をガンディー思想の柱として理解なさったわけですが、それは誤読のおそれがあります。 ガンディーはもちろん 知性を重要視しましたが、むしろ 反知性主義のところがあります。 霊的、宗教的、ダルミックな生活のためには、われわれの知るような意味での理性は、むしろ障害になる、と考えていたと言えましょう。
ここは、ガンディーの両義的な性格がよく出ているテーマです。 つまり、インド人、ひいては人類が いわゆる「近代化」をどのように引き受けるか、、、このテーマについて、彼は あまり一貫した立場をもっていなかった、ということです。
とりあえずのお返事まで
コンドウ
投稿: コンドウ | 2006年8月29日 (火) 13時16分
Dear Dr. Kondo,
見ました、見ました。
先生は、1)宗教思想、2)非暴力、3)文明論、4)社会改革の四つにまとめられた。
正に、(私は誰が書いたか皆目分からないのですが) New York Times にあった英文の趣旨を私が勝手に1)宗教的生活、2)知的生活、3)政治的公明と名づけたのは、「非暴力」を除くと宗教思想=宗教的生活、文明論=知的生活、社会改革=政治的公明が(私には)合致するように思えました。
つまり、この英文を草した論者は、「非暴力」を意識的に削除しているように見受けられるし、ガンディーの特異な(変人的な)宗教思想や好戦的(!!)政治思想を隠蔽しようとしてきた事なかれ主義で裏切り者の後継者に挑戦しているように感じます。
ともかく、私の真意は元訳云々ではもとよりありません。私自身、辛かったので二度とやりたくない仕事が翻訳書の刊行でありますし、岡目八目があることも承知しています。今回はうまく1文を1文に訳しましたが、元訳の訳者(植村さんですか)のなさったように、2文にしたほうがいいことも多いと思います。
ただ、私には「精神的肉体的欲求と機能の統御」という日本語の言い回しがとても難しくて理解できなかったし(これは私の責任でしょう)、元訳が「断固として主張する」という肝心なところをどうして飛ばしたのか疑問はありました(これも私の責任でしょうが、イタリア語で、 Traduttori traditori とい言葉もありますからネ)。
近藤先生、
余計な(余計この上ない)お世話でしょうが、少なくとも先生が原語で読めるものは、初めから原語で読んだほうが無駄な時間を過ごさなくていいとは思いませんか。貧乏な(失礼)先生にとって日本の洋書の値段が高いのは知っていますが、どうせ翻訳書も高いのでしょう。
まだペーパーバックにはなっていない専門書(素人には土台読むのが無理な本)ですから、アメリカでも高いことは高い私の150ドル程度の本が、東京での値段は幾重にも輪をかけていて3万円ぐらい(!)のことも知っています。しかし、先生の所属する大学なら何でも買ってもらえる筈。図書館を大いに利用しなくては。
もう一つ、目は専門家に診てもらい、素人の助言は受けず、自分で素人判断をしないこと。実は、私は右目がほとんど見えず、見えるほうの左の目も余り丈夫ではありません。(今、私自身そろそろ目の検診にと思うのですが、先生には偉そうに言っておきながら、電話で待たされて予約を取るのが面倒だし、何やら怖くて億劫で渋っています。)ともかく、お大事に。
Cordially,
Mark W. Waterman, Ph.D.
投稿: Dr. Waterman | 2006年8月29日 (火) 15時54分
Dear Dr. Waterman,
早速のお返事 ありがとうございます。
(1)
「宗教思想=宗教的生活、文明論=知的生活、社会改革=政治的公明」というのは、なるほど、と思いました。
ただし、繰り返しますが、ガンディーは知性に対して両義的な立場をとっていた、という事実は どうぞご記憶ください。
彼自身、ロンドンで弁護士資格をとっておきながら、子供たちには いわゆる近代教育を受けさせることに はっきりと反対した。 彼の子供たちが そのことに非常に強く反発していたのは、メータの本にも書かれているところです。
(2)
「精神的肉体的欲求と機能の統御」とは なるほど 分かりにくい言い回しですね。 僕なぞは、ガンディーの言葉に慣れているものですから、「あぁ これはあれか」と 難なく理解できてしまうのです。
「心身の欲望とはたらきをコントロールすること」 これが ガンディーの言いたいことです。
ここで「欲望」は (当時の深層心理学の影響もありましょうが、それよりも何よりも、ご存知のように) 伝統的なインド思想にとって、非常に重要な概念です。
(3)
英語の原文、もっと当たるようにします。何かとメンドクサガリなので(学者としては もちろん失格です)、こういうことになってしまうわけです。
加えて、日本の学部生は普通、原典に当たることをしません。 私が日本女子大学の学生さんたちに配ったプリントでは、訳書で理解することが いかに間違った理解に導かれてしまうか、、、そのことを伝えることに主眼がありました。
(4)
そうですか、目が不自由でいらっしゃるんですか。
目は大変そうですねぇ。。。ボルヘスのような例もありますが、あなたのその鋭い言葉には、そうしたハンディキャップが影響しているのでしょうか。
実は私も 臭覚がありません。 一切の匂いを感じないのです。 20代末、10年前の脳外科手術の後遺症です。
しかし、やっぱり目の方が大変だ。
私も ちゃんと病院に行くようにいたします。
======
あなたとの会話は とても楽しいです。 いつかお会いできるのを楽しみにしています。
コンドウ
投稿: コンドウ | 2006年8月29日 (火) 16時14分
色々議論していただいてますね。光栄です。
(1)翻訳者としては、日本語のリーダビリティが大切だと思っています。原文の1文を2文にしたのもそのため。原文は非常にエレガントな、しかも「読者に親切な」名文です。(2)目が不自由でいらっしゃる? ちゃんと手当して下さいね。著者ヴェド・メータ氏は、4歳の時に失明した全盲です。原文は口述筆記。資料は全部朗読してもらって要所要所を暗記している。日本語版序文をお願いしたら快く書いてくれましたが、しばらくして「あそこで大文字でGodと書いたが、小文字のgodに直しておいてくれ」とメールが来ました。(3)メータ氏はアメリカに帰化しています。インド人としての自分のアイデンティティを確かめるためには、どうしても一度ガンディー論を書く必要があると思ったそうです。(4)同じ頃、ノーベル賞受賞者のナイポールが『インド 傷ついた文明』を刊行しています。ナイポールは、ガンディーこそインドが「底なしの過去に落ち込んでゆく穴」の象徴だと考えているようです。(5)私は(私のことなどどうでよろしいが、まあふつうの日本人の一例として)、インドは正直言ってちょっとかなわん、おっかないと思っています。日本のlukewarmな宗教的(非宗教的)雰囲気がcongenialです。
投稿: 植村昌夫 | 2006年9月18日 (月) 11時44分