原理主義というコトバを私なりに
かつて 「原理主義」という言葉には注意が必要だ、というエントリ (→ こちら ) を書いたところ、いろいろな方から反応をいただいた。
それに対して、お返事をなにも書かないでいました。 申し訳ありません。
遅ればせながら、こちらの新エントリでお応えすることにいたします。
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私は こちら の論文 ( 86-87頁 ) で、 原理主義というコトバを私なりに 四重の広さで定義してみました。
- 原義 ・・・ 聖典の無謬性/直解主義と千年王国思想の結合
- 狭義 ・・・ 失われた理想の過去に直接由来すると観念される知識と実践に、唯一無謬の真理性と真正性と正義を付与する傾向
- 広義 ・・・ 宗教と政治経済・法曹・知識技術の一致/調和への断固たる志向
- 比喩的用法 ・・・ 対話を拒否ないしは回避する、独善的で攻撃的な傾向
さて、こうした概念規定をおこなうに際して、要点は少なくとも三つあります。 繰り返しになりますが、、、あらためて、、、
- コトバは自由に使う場合 ( 日常語 ) と、ちゃんと定義して使う場合 ( 用語 ) がある。 「 原理主義 」 はいま、ちょうどその境にある。 用語としての 「 原理主義 」 というのも ちゃんと鍛えていったらよい。 もちろんその場合、日常語としての 「 原理主義 」 が ダメだ ということにはならない。
- ただし、 「 原理主義 」 はきわめて侮蔑的なコトバであるので、それで誰かを名指しするときには、とても慎重になった方がよい。 本当にひどい人や集団がその名で呼ばれるのはかまわないけれど、 コトバの使い方によっては そうでない人や集団まで 一緒くた にされてしまうことがある。
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