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2006年6月 1日 (木)

近代性とはなにか

非常勤で授業なんぞをやっていて、 ときどき聞かれる問いがある。

近代性とはなにか・・・

もちろん!!この問いに対しては、いろいろな偉い学者さんが

ちゃんとした解答をもう用意してくれている

しかし、いつもどうも納得しきれなかったので

僕なりに答えを出してみた

近代性とは 「人間主義、 個人主義、 合理主義」 に支えられた観念と制度の体系である、 と

  • 神から人間へ ( 人間主義 )
  • 集団から個人へ ( 個人主義 )
  • 感性から理性へ ( 合理主義 )

こうした三種の価値観シフト (認識論的には、 人間、 個人、 理性の概念化と定位 ) が

近代性をもっともよく特徴づけるのではないか

逆から言えば、 神なき個々人の理性中心主義 こそが

近代性の極致ではないか、、、  そんなように考えているわけです

ちなみに、 上の三つのシフトはちょうどその順番で

西欧に起こったのではないか、 と見通しをつけていたのですが

西欧の哲学史・心性史を実際にたどってみると

そこまできれいには 流れていかないみたいですね

【100121記】

いや しかし、 やっぱり けっこうキレイな流れがあったのかも

と 推測されることが その後、 わかりました

この点については 後便 「近代精神」 ぜひ参照くださいませ

しかし、 である

上の僕なりの答え、、、実は 国家論 が入っていない

そこに国家論を入れると、 とたんに 簡単ではなくなってしまう

小杉泰先生 は次のように述べる

「近代国家」 とは何かを問うならば、 領域主権国家・国民国家・世俗国家と概括することができる。 領域主権国家は一七世紀半ばのウェストファリア体制によって確立されたが、 これは領土を持つ国家を主権の主体として、 宗教を主権の主体から閉め出すものであった。 ヨーロッパでは、 三〇年戦争などの宗教戦争を経て、 宗教は政治から次第に分離し始めたのである。 それでもまだ、 領土を持つ主権国家であるだけならば、 絶対的君主を主権者として運営されることも可能であった。 しかし、 フランス革命を経て、 その主体は国民でなくてはならなくなった。 国民国家システムの成立である。 さらに二つの世界大戦を経た現代では、 国家の存立基盤は民族自決権であることが確認されているから、 たとえ擬制でも国民を主体としなければ、 国家は認知されえない。 民族自決権が国家の源泉であることは、 宗教的な権威によって国家権力を認証する理論が必要でないだけではなく、 国民国家にとって有害であることを意味する。 世俗国家とは、 そのような国家である。 近代国家は、 かくして、 主権・国民・世俗性を主たる属性とするようになった

小杉泰 「 宗教と政治―宗教復興とイスラーム政治の地平から 」 ( 池上良正・小田淑子・島薗進・末木文美士・関一敏・鶴岡賀雄(編)『岩波講座 宗教1 宗教とはなにか』岩波書店,2003年,241-72頁所収 ) 247頁.

主権 ・ 国民 ・ 世俗性」 と 「人間 ・ 個人 ・ 理性」 、、、

この二組の問題系を 僕はまだ上手に接合できないでいる

<メモ>

  • 小杉先生については、 このブログですでに紹介させてもらっている ( たとえば こちら
  • 上記論文、、、 僕の論文を引用してくださる数少ないもののひとつ。 ありがとうございます。 もうなんだか 普通にうれしいです

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