ブロークバック・マウンテン
最近 いくつか映画を観た。 ブログ更新自粛中にも。
『 ナイロビの蜂 』 、、、とってもよかった。 『 ホテル・ルワンダ 』 、、、やっぱりすごかった。 ともに アフリカ だってところが、なんともまた、、、
それぞれ感想を書いておきたいところだけど、、、ここではとりあえず
『 ブロークバック・マウンテン 』
撮影、美術、キャスト、監督、脚本、、、もう完全に一体化しているのね。あれは映画のひとつの完成形だと思う。 完璧なんだよなぁ、とにかく、、、 職人芸というか、天才芸というか、ものすごいものを観ちゃったなぁ、と思う。 端々にまで注意が行き届いた、漏れのない映画。
テーマはもちろん 「 ゲイ愛 」 である。そこばかりが注目されがちだけど、途中からは そういったことはどうでもよくなってきた。 これはひとつの 「 愛 」 の映画である、と。
お気に入りの理由のもうひとつは、政治的に強烈なメッセージをもっていながら、それを一切語らない、描かない、、、というところだ。 そのメッセージとはすなわち、アジア人監督が今のアメリカでカウボーイの同性愛を描くという、その行為が表すところのことだ。 このメッセージは 一切直裁に描かれることがない。 それがまたシブい!!
まだ観てない方は ぜひ!! 今年最高の一本です。
<メモ1>
<メモ2>
『ブロークバック』 、Sさんと観にいった。Sさん、カウボーイ・スタイルで登場。昼日中の銀座でひっくり返った私。さすがですね。。。
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コメント
kondoさん
Sです。この間はどうも。
ネット上に面白いBBM批評がのってましたのでご参考までに
http://www.bureau415.com/kitamaru/archives/000172.html
投稿 S | 2006年6月13日 (火) 17時47分
Sさん>
ご紹介いただいた講評、読みました。
なるほど、「核家族的生活を送りながら、ホモセクシュアルな激情を有し、それを実行にうつす男たちの存在」は、なんと表現しましょうか、、、近代プロテスタント的な性=政治、、、とでも申しましょうか、、、僕らのそうした生の基底を危うくするものである、と言えましょう。
それは 真に根源的な問題であり、ゲイのゲイたる存在がもつ、潜在的な力を示すと思われます。
しかし、どうでしょう、、、それは kitamaru さんがおっしゃるほどの「危険」を伴っているんでしょうか。僕にはそこのところがピンときません。
僕のこうした感受性の低さは、おそらく、上のような「男たちの存在」がさほど大きくはないし、これからも大きくはならないだろう、という予断を、僕がすでにもってしまっているからだと思います。
Sさんはよくご存知のように、僕自身、どうもホモソーシアルな感性すら、ほとんど持ち合わせていないか、あるいはまったく欠いています。ですから、そうした予断が生じているのかもしれません。
つまり、kitamaru さんご指摘の「危険性」、僕には頭ではわかるのですが、いまいち、、、迫りくる力のない観念であるように感じました。
投稿 コンドウ | 2006年6月13日 (火) 21時23分
コンドウさん
早速のコメントありがとうございます。
++++++引用開始+++++++
僕のこうした感受性の低さは、おそらく、上のような「男たちの存在」がさほど大きくはないし、これからも大きくはならないだろう、という予断を、僕がすでにもってしまっているからだと思います。
Sさんはよくご存知のように、僕自身、どうもホモソーシアルな感性すら、ほとんど持ち合わせていないか、あるいはまったく欠いています。ですから、そうした予断が生じているのかもしれません。
+++++++引用終了++++++
うーん。それはですね、コンドウさんがやはり文学部というリベラルな環境に折られるからではないでしょうか。文学部の外へ一歩でればそこはやはりホモソーシャルな力が支配する領域です。(「男社会」・・・嗚呼)
特に、軍産複合型の政・経・文化構造をもつ某国において、「核家族的生活を送りながら、ホモセクシュアルな激情を有し、それを実行にうつす男たちの存在」が喚起する<潜在的な力>は相当に危険なものと感知されるのではないでしょうか?
追伸:もう10年近く前ですが、洋書売り場で米国海兵隊の殉職下士官さんの伝記(友人のかたが書いたと思しき)を手に取った覚えがあります。冒頭数ページを流し読みしたところ、この殉職下士官さんはゲイであったとのこと(表紙はこの方の遺影でした。北米的な美のカノンに合致するタイプであったと記憶します)、著者氏は「ゲイ男性は模範的な市民・軍人として祖国に貢献できる。故人はこの好例であり顕彰に値する。よってこの伝記を公刊するものである云々」としるされていました。BBMを見て、この本を思い出し、かの国のセクシャリティーとポリティクスについて、複雑な思いを新たにしたものです。
投稿 S | 2006年6月16日 (金) 18時34分
Sさん>
なるほど・・・僕の個人的な資質もありましょうが、「文学部」という なんやかんや言うても「リベラル」な環境が、僕の感性の低さのもとになっているのではないか、ということですね・・・なるほど・・・
たしかに そうかもしれません。問題を 現代のアメリカに限って考えてみれば、とくにそうなのだろう、と想像されます。日本においても きっとそうなのでしょう。僕の日常生活が、一定の感性と思考をつくりあげていることに疑いはありません。
しかし そうしたことを納得したうえでも なお、「どれほど」また「どのような意味で」危険であるか、という点で、僕はまだウニャウニャとした感覚をもっております。
もちろん!!Sさんご承知のように、僕は危険「ではない」と 言っているのではありません。 「どれほどに」また「どのような場面において」危険なのか――その点が すぐにはピンとこない、ということなのです。
有体にいえば、僕は最近 「保守」の力のものすごさに圧倒されることがよくあるのです。主に日本が念頭にあるのですが、多少のことでは揺らがない、異分子を飲み下して消化してしまう、極度の必死さをもった、その自己保存能力について、です。
こうした立場は いったい、この分野に関する僕の哲学的感性の低さの証なのか。。。性の問題について 人一倍考えてきたつもりの僕が、クィアーについて、性について まだまだ思索が足りないということなのか。。。加齢とともにくる 思想の保守化なのか。。。
そんな自己批判をおぼえます。もっとちゃんと反省しなくちゃぁいけませんね。
投稿 コンドウ | 2006年6月18日 (日) 07時00分