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2006年7月12日 (水)

真理性問題

こちらのエントリ への補足です。

話題はぜんぜん違うことなのですが、宗教政治学 にとっては大事なポイントだ、と思うので、別エントリにして書かせていただきます。

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先のエントリで書きましたところを敷衍しますと、僕もカサノヴァも 次のように言っていることになります。

原理主義者や宗教ナショナリストの皆さん、あなた方は真剣に生き、それを 「 反近代 」 という言葉で表現なさっていますね。

しかし、それはしばしば間違った自己理解ではありませんか。

言い換えますと、

あなたご自身よりも 僕の方が あなたのことを よりよく分かっているのですよ

と、こういうわけです。

お気づきのように、こうした立場は、いかにも社会科学者らしい (人類学者的な 繊細さを欠いた) 傲慢 な言い方です。

ここで問われているのは、言明の正しさをめぐる哲学 ( 真理性問題 ) に他なりません。

認識論的には、ここに正解はなかなか見出せないでしょう。 「 知ること 」 の究極的な無根拠 があからさまにされています。

しかし、、、

僕はここで真理性問題に拘泥したり、最終的な沈黙を守ったりといった行き方を ( それはたしかに誠実な態度ではありますが、あえて ) とらないでおこう、と思っています。

その理由は、原理主義者や宗教ナショナリストの言葉や態度が、諸命題の単純な断定によっているからです。

そして、そうした断定の連続により、彼ら/彼女らは 広範な共感と支持をえているからです。

これは、政治的で論争的な場なのです。

認識論的に、あるいは現象学的存在論のうえで、どれだけ不誠実であっても、歴史形成に直接かかわろうとする者たちの言葉と態度を、僕は研究対象に選んでいるのであって、そこではときに反省不十分な、ときにアドリブの発言や態度が要求されているんだ、と考えています。

これは なにも抽象的な話ではありません。

僕は 研究のためにヒンドゥー・ナショナリストの人たちと接することが多いわけですが、 普段は 聞き手 に徹します。 これは、予断をまじえず、まずは相手のことをちゃんと理解するという、僕が受けてきた学問上の訓練を反映しています。

しかし、ここには 実は微妙なズレがあります。

  1. 相手は最初から論争を前提にはなしている。反論がくるのを予期して、コトバをくりだしている。
  2. インドという土地柄から ( とくに、インドの教育ある階層では ) 黙って話を聞くだけでは、ちゃんと意見交換 ( inter-view ) したことにならない。

つまり、 ちゃんと話を聞くというのは、必ずしも最良の手段ではない のです。

そのことに気づいた僕は、ある時期から 彼らへの反論を明確に口に出すようにしました。

すると、彼らはむしろ うれしそうにするのです。

日本人で こんなに自分の意見を言う奴ははじめてだ

なんて、嬉しそうにいわれたのも、一度や二度ではありません。

こうした実際の交流の場を、論文や高等発表の場でも、僕はなんとか再現できないか、と思っています。

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