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2006年8月23日 (水)

Dear Dr. Waterman,

あらためまして、コメントありがとうございます。

あまりにも見事な日本語であるため、最初、あなたがアメリカの方だというのを簡単には信じられませんでした。 しかし、もし本当にそうであるなら、海外からのレスポンスをいただくというのは、まったく予想もしていなかった、とても嬉しい出来事です。

さて、、、

すっかり遅くなってしまいましたが、いただいたコメントについて、二つにわけて話をさせてください。

(1)
コメントをいただいたエントリ では、まくらにテロの話題をもってきたため、それを書いた際にわたしの念頭にあった事柄が、あなたをはじめとして読者の皆さんに うまく伝わらなかったかもしれません。

私の主たる関心は、昨今のテロそのものではなく、いわゆる 「 開発問題 」 でした。

最初にはっきり申し上げておきますが、 テロ対策について、私は、ある程度明確な態度をもっています ( もっとも あなたほどの単純明快さは、相変わらず欠いていますが )。

おっしゃるように、今の日本において警察権力の見直し ( 場合によっては 強化 ) は第一の優先事です。 ご存知のとおり、戦前戦中、さらには戦後 ( とくに、マルクス主義運動への弾圧がはげしかった時期 ) の経験のゆえ、日本には、警察権力の強化に対する強い警戒心があります。 それを僕は、的外れで余計な心配だとは決して思いません。 しかしそれでもなお そのことが非常に重要な課題であることは 完全に認められます。 国家暴力装置なくして いわゆる一般人の日常生活秩序が保たれうると考えるほどのアナーキストでは、僕はありません。

さらに、より大きな問題としては、自衛隊の法的形態と活動範囲を積極的にみなおす必要があります ( ただし、自衛隊の存在そのものが法的かつ歴史的、さらには 「 文化的 」 ですらあるような、複雑な諸条件に拘束されているのは、ご存知のとおりです )。 もちろん、在日米軍基地の問題はこれと不可分です。 冷戦期とは大きく様変わりしつつある日本の安全保障を冷徹にみきわめるべき時期が、今たしかに到来しています。

この分野ではどうしても受身に回らざるをえない日本ですから ( 「 受身 」 という表現は、後述する本便の主題に関わりますが、ともあれ 日本を 「 受身 」 にさせる第一の主導要因は、もちろん アメリカ政府の極東戦略です )、その作業はとても大変なものになります。 しかし、それでもなお、日本の外務省と防衛庁、および関係各省庁にはがんばってもらわなくてはなりません。

マスコミ、学者などの役割も非常に大きいことは言うまでもありません。 文学部の、しかも宗教学という、とかく浮世離れしがちな場所に身をおいている私ではありますが、こうした方面での知的な体力が試される時代に 自分が投げ込まれていることを、よく心得ております。

一方、このこととは明確に分けてご理解いただきたいのが、次のテーゼです ―― 干渉や介入は いつも問題含みである。 いよいよこの点こそが、本便の主題になります。

近代化、民主化、自由平等、人権、、、 いろんな価値観で正当化されててさ、まぁそれも分かるんだけどさ、やっぱりさ、「 よそ者 」 による干渉と介入は 「 大きなお世話 」 「 ありがた迷惑 」 なんだよなぁ、、、困っちゃったなぁ、、、

あまりにも日本語的なこの言い回し、ニュアンス、、、 あなたにならきっとご理解いただけると思います。

念のため、ちょっと具体的に申し上げます。

あなたは、日本の戦後民主主義を 「 当時のアメリカン・エリート 」 の功績とお考えですね。 苦笑を禁じえないのは、こうした立場が、日本の側の主体的な関与には全く触れないという点で、典型的な half truth であることです。

しかし、その点についてここで議論するつもりはありません。 ただ、「 苦笑 」 と書いたけれども、私はもちろん、全体主義から解放されたばかりの日本が ( 赤化されることなく ) 急速に民主化しえた事実に 「 アメリカン・エリート 」 が大きく関わっていたことを完全に認めるものである ―― このことははっきり申し上げておきます。

さてしかしながら、これらの全てにも関わらず、歴史上におこったそうした出来事を 立派な功績である と ( あなたが実際になさっているように、あるいは少なくとも 意図されているように ) 単純に言い切ることは、私の考えでは、誰にもできません。

「 ありがたいことなんだろ。それは分かってるんだろ。だったらウニャウニャ言わず 黙って受け入れてりゃぁ いいんだよ 」

こうした立場は、政治的には有意味でも、倫理的には無意味です。 有害ですらあります。

そこから僕がすぐに想像するのは、小学校の教室でのイジメッ子 ( とくに、腕力ではなく理屈と正義を振りかざし、クラスの皆をじわじわと支配しているタイプのイジメッ子 ) の姿です。

物理的暴力を必ずしも伴わないような、巧妙に仕組まれた、加害者もそれと気づくことのない、ときに被害者すらもそれと気づかない、制度的で構造的な、心と体に染み入ってくる暴力 ―― インドのある政治学者は、サンスクリット文化の強制力に言及する文脈で、これを pedagogic violence ( 教導的暴力 ) と呼んでいます ( これは単純にヘゲモニーと呼んでもいいのですが、この言葉ではもはや そこに含まれる倫理的なジレンマを言い表すことができないように思われます )。

政治的のみならず、文化的にもヘゲモニーを獲得してしまっているもの ( 上のもの、イジメッ子 ) には、その圧力のもとで少しずつ声を奪われ、自分を見失いそうになっているものたちの、モヤモヤとした、当て所ない苛立ちや焦りに 気づくことは、かなり難しいでしょう。

もちろんこれは、アメリカだけを念頭においた発言ではありません。 まったく同じことは、諸国に対する日本の姿勢にもあらわれています。 沖縄やアイヌや同和に対する大和人の姿勢にも、オンナに対するオトコの姿勢にもあらわれています。 その他にも、私の日常生活の各所に、それはあらわれています。

あなたのコメントから、私はそうした点に関する感性の乏しさを読みとりました。

政治的な正当化言説を、倫理的なジレンマから引き離しておくことが必要だ、と私は確信しています。

私は、無為主義にも諦観主義にも不可知論にも組しないのはもちろん、知識人の役割を批判にだけ限定するようなタイプの批評家にもなりたくありません。 しかし それと同時に、 倫理的な原則をないがしろにしてしまう 「 現実主義者 」 にも なりたくはありません。

行動に対するコミットメントと、倫理的な感性を同時にもちつづけることを、僕は大事にしていきたいのです。

======

さて、、、

最後に言い添えておきますが、上で述べたような感性は 決して 「 日本的 」 なものではありません。 私はむしろそれを 欧州やインド、そして一部のアメリカの学者から学びました。

これが、私のコメント返しにおける二番目の話題です。 すなわち、あなたが多用されている「日本」「日本人」という表象を問題視する、ということです。

しかし、もうすでに十分長いお返事となりました。 項をあらためて 書かせていただきたいと存じます。

とりあえずのお返事まで

コンドウ

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コメント

Dear Dr. Kondo,

私のコメントに対して、ご丁寧に、また正式なエントリーに入れてくださって感謝申し上げます。

私の「感性」云々はともかくといたしまして、私の「見事な日本語」にも拘わらず、真意が伝わっていないこともあるように感じました。

今夜は遅いので二つか三つに限り、同意とか反論というより、簡単な敷衍的説明をさせていただきます。

「アメリカン・エリート」は、むしろアメリカ人としての私が苦々しく思っています。彼らはやりすぎました。

現在、私の住むカリフォルニア州やいくつかの政治的に進歩的(?)な州の出来事をみていますと、世界で最も現実的な形で共産主義が生き残っているのはアメリカではないかと思えることがあります。尤も私が共和党員だからかもしれませんが。しかし、共和党員だからといって、何か特別の鬼のようには思わないでください。ご存知のように、民主主義国(異議があるかもしれませんが)アメリカですから、選挙人登録と同時にそれぞれ政党に属します。貧乏な私も何かというと10ドルとか20ドルとか献金(この献金は税の控除なし)する訳ですが、共和党員にも幅があり、民主党員にも幅があります。勿論すべてではありませんが、私に言わせると、弱い底辺労働者の上前をはねているのは組合専従の輩であり、民主党の一部の政治家です。少し前のカリフォルニア州のスーパーマーケットの長期ストの結果、倒産や店仕舞いが多発し、結局職を失ったのは労働者でした。多くのそういった輩は、現在のアメリカン・エリートでもあります。

また、近藤先生のおっしゃるように日本側の「主体的」な戦後への関わりを無視することはできません。日本は巧妙な形で主体的選択をしていたことは分かります。最近の学士会会報別冊「先学訪問4」を見ても、團藤重光大先生は刑事訴訟法でGHQとやりあったのはオレダオレダと言っています。

「感性」は他国への干渉を巡ってですが、日本の平和教育の感性に話を変えて申し上げたいことがあります。言っても仕方のない人には言ったことがないのですが、近藤先生やこのプログを読まれている方々なら、耳を貸していただけるかと思いました。

当地LAの日系人もそして日系マスコミも8月になるとこぞって反戦と反原爆特集を組みます。戦争は誰でもいやなことですから、反戦自体それに反原爆自体に異論はありません。しかし、多くの報道は、戦争がなぜ起こったか、なぜあの時点で原爆となったか、原爆と終戦の詔勅に関連はないのか、等々への言及はありません。

そういえば、日本で使われている小中学校のほとんどの教科書が、一学期の終りすなわち夏休みの前になると国語などで戦争を取り上げていることも知っています。しかし、その取り上げ方は、どの教科書会社のものも情緒的なだけです。

そこで最近はたと思いました。待てよ、このマスコミや教育に携わる人たちは、考える能力がないほど馬鹿な筈がない。意図的に人間が人間として反論できない材料と部分でで民心と子供たちを洗脳しているのではないか。巧妙な政策ではないのか。確かに、戦争が悪い、無辜な子供たちも死んでいると聞かされて、涙することなく、どんどんやってしまえと言う人はいる筈がない。涙しているうちに、不覚にも我々は思考停止に陥る。(決して、「不覚にも涙して」ではありません。「不覚にも思考停止」です。)

確かに、「感性」なくして、押し付けるのも押し付けられるのも良い結果は生まないでしょう。私の真意は、「自己責任論」という誠に奇妙な「倫理観(感ではありませんね)」に違和感を抱くが、かといって具体的な方策が今はないと正直におっしゃった近藤先生に同意するというものでした。

言葉は難しい。数年前から少なくとも学術的なものは英語でしか書かないと決めました。もっとも日本語では真意が伝わらないというよりは、日本語より英語のほうがより多くの人に読んでもらえるという理由のほうが強いのですが。

日本語であまり慎重にならずに書きすぎていると反省しました。主体的に選び取った国として、政治的に最終的にはアメリカの肩をどうしても持つことになるのでしょう。しかし、私事で恐縮ですが、日本に留まっている身内もいる者として、私は将来の日本が一番気になります。それこそまさに情緒的感傷的な気分にすぎないのかも知れません。大事なことは、どこの国がどうということでなく、世界の中での国と国、人と人との関係です。尤も、話にならない人と話合おうとする幻想も棄てるべきでしょうが。

今、午前1時を過ぎてしまいました。続きは私もまたにさせていただきます。

LA市のユダヤ人街に住んでいますが、ユダヤ教各派のシナゴーグが全てそろっているのではないかと思える地域です。1マイル以内にモスクもあります。3マイル行けばお寺もあります。星条旗の下で皆仲良くやっています。お元気で、

Shalom

Mark W. Waterman, Ph.D.

Dr. Waterman,

早速のお返事 ありがとうございます。

例のごとく、適切で丁寧、なおかつしっかりとした情報と意見をもった文章に 舌を巻くばかりです。 これは「日本人的な」お世辞ではありません。 本心から言っています。

私が誤解をしていたところがあったようですね。 失礼いたしました。

共産党員でいらっしゃるのを聞いて、強い親近感を抱きました。 実に身勝手なもので、その情報ひとつで とてもお話がしやすくなったように思います。

お時間のあるときに、ぜひともまたお話を聞かせてください。

私も コメント返しの第二段を早急に書くようにしたい、と思います。

<ホットひといき>(よく受験参考書にこんなコーナーありましたよね)

 割り込みすみません。とてもベーシックかつ重要な議論をされており、大いに学ばせて頂いております。ありがとうございます。以下アットランダムに。

 近藤さんの行動に対するコミットメントと倫理的な感性をともに備えようという姿勢は「哲学者」に不可欠の根本条件です。近藤さんの論考はどんなに短いものでもこの両極が緊張を伴って同居しているので、ほんと魅力的です。

 「エリート」はやはり制度あっての存在なので、その社会の歴史と密接に結びつくと思われます。日本はさまざまな政体を経験してきたので、その時代時代のエリートの残滓(?)が残っていました。そして棲み分ける。アメリカの場合は文字通りの意味で比較的そうした多様性をとらないと思います。むしろわかりやすい。それは意味の争奪戦だから。

 政党にひきつけていえば、アメリカの理念を強固に共有しつつも、自家中毒をおこさないよう共和党と民主党にわけることはまさに理に叶ったことでしょう。しかし三つ以上に分かれるのでしょうか。

 やはり学者の仕事としては「第三項」を提起することだと思いますね。むかし道化(トリックスター)という言葉が流行りましたが、エリーとならぬエリートの学者は、もっと馬鹿になってほしい。東大やハーバードあたりを定年で辞めたら、天下りや政治家になるのではなく、いまさらながら芸術家なり芸人を目指してもらいたいと念じております。

 英語で論考を発表されることは、止むを得ないことでしょう。もっともWatermanさんはバイリンガルなのでその苦しみと矛盾をご理解できるでしょうから大丈夫でしょうけど(Watermanさんはお母さんが日本人だと思われますが―はずれだったらごめんなさい―日米以外の国に拠点をお持ちになれば面白いかもしれませんよ)、英語自体がエリート化したら困りますねえ。

 「日本」、「日本人」という表象に問題が潜んでいることは近藤さんの予想通りです。もっともわたしのように「日本人」のくせしてキリスト教というバタ臭い信仰をアイデンティティのかなり中核に引き込んでしまったものとしては、こだわらざるをえない面があります。しかし特殊を特権化してはだめでしょうね。はやりnationalな表象はマイノリティであってこその用具なのでしょう。

 そして最後におまけ。近藤さん、Watermanさんは「共和党」員ですよ。「共産党」ではおまへん。似ているようで、かな~り違いますです。

 以上おまけコラムだったので、スルーしていただいて結構です。お邪魔しました。

GREG さん、Dr. Kondo、そして読者の皆様

まず、近藤先生が私が「共産党員」と書いたことですが、愛らしくもおっちょこちょいの近藤先生が「共和党員」を書き誤ったのだと思います。アメリカに共産党?!

GREGさん、学者の役割は「第三項」というお考えに基本的に同感です。しかし、特定の宗教を持った宗教学者があっていいように、特定の党に属する学者がいてもいい訳です。だいたい何に属そうが自分で状況を評価できないファナティックな人は学者ではありません。

なお、政党はおっしゃるとおり共和党と民主党が二大政党ですが。私の住むカリフォルニア州の主な登録だけでも7党あり、その中には日本でも有名な「緑の党」も含まれています。もちろん選挙人登録の際、党に属さないこと(無所属)を選ぶこともできます。

近藤先生、無所属と言えば、今初めて先生の「フリーの研究者」というプロフィールを見ました(ただし、先生の学位論文のタイトルや受賞歴は別の情報で知っていました)。英語には学会には所属していても大学等に所属していない(フルタイムで雇われていない)学者を independent scholar という言い方があります。もちろん名刺の肩書きにすることもできます。Free ではなくidependent という発想なのですね。

この人たちの中にはあまり貧乏ではなく恵まれた人たちもいます。大学の管理下になく、同僚との軋轢もなく、研究し放題、書き放題。好きな学者ではありませんが、日本でも有名だったBertrand Russellなどは、independent scholarだと思います。

GREGさん、私のことは隠しているというよりは話せば長いことになりますし、Dr. Kondo のブログで一読者がするべきことではないので遠慮しています。話せば長い中には、アメリカ建国の理念(また偉そうに:私の内の影の声)や制度にも関してきます。しかし、私もGREGさんと同じクリスチャンですよ。Praise the LORD!

Mark W. Waterman, Ph.D.

Watermanさんへ:

拙いコラム(?)に応答していただき、恐縮です。

カリフォルニアに7つも政党があるとはとんと知りませんでした。昨年カリフォルニアに滞在していたのですが。。。不明を恥じます。しかし、なかなか二大政党の枠組みは壊れないようですね。

そのアメリカ滞在中、ある研究者からいただいた名刺に「independent scholar」とあり、驚くとともに、感動した記憶があります。思えば、ヒュームやスピノザ、ヴォルテール、ルソーなど一流の(「学者」を超えた)思想家が欧米には続々と生まれてきました。アダム・スミス 、マルクス、デカルト、パースなども大学教授ではありませんでしたね。他方、日本では「場の倫理」が支配すると言ってよいのでしょうか、やはり帰属が大切。ことにアカデミズムの世界では、わずかの例外は除いて、肩書なくして十全な活動は出来ず、たとえば自宅を「●●研究センター」と自称するなど涙ぐましい努力が重ねられているようです。

じつはわたしはかつて専任教員(最終的には教授)だったのですが、「専任」の地位を保持するために汲々とする環境および自己に疲れ果て、自発的に退職した経験があります(いまは「派遣社員」をしています)。「大学教員か死か」といったやせ細った状況になんとか抵抗していきたいと念じています。(まずありえませんが)たとえ専任職に復職しても、その心意気は保持していきたいと念じています。

アメリカのダイナミズムをさらに学ぶために、いつの日にか再度の渡米を希望していますが、いまはひさしぶりの「蓄積」の時間(知識面でも経済面でも――ただし後者はままならぬ・・・)と割り切って、多くの方々から学ばせてもらっています。これからもたまにこのサイトを除きに来ますので、よろしくお願いします。

Dear Dr. Waterman and Dr. GREG,

いいえ!!本気で共「産」党だと読んでおりました。 私を知っている方々は、「コンドウ またか・・・」と苦笑いされておいででしょう。

党員というよりは、「コミュニスト」というニュアンスで 勝手に誤読したわけでございます。 失礼しました。

お二人のやり取り、実に興味深く拝読しております。 なんだか「大人の会話」という感じがします。

Watermanさんのことも ぜひ知りたい。こちらの場でよければ、どうぞお話しなさってください。

さて、「第三項」という話題ですが、GREGさんからのお言葉ですから、私 深く考え込んでしまいます。

もともと器用貧乏な私ですから、「立ち位置」positionality には、いつも悩まされます。 自分のコトバの行方、、、とでも申しましょうか。

吐けるコトバを(公害にならないように注意しながら)とりあえず吐いていくなかで、自分のあり方を定めていく―― 私は今そうしたところにいるようです。

コンドウ

追記:
私、independent scholar でやっていけるものなら、やっていきたい、と思っております。

しかし、家庭の事情等々がありまして、なんとか「大学教授」の肩書きを得たい、と希望しています。

ちなみに、数年前のある世論調査で、「日本人」が尊敬する職業の第一位は「政治家」、第二位は「大学教授」でした。

素直にうなずけない結果です。

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