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2006年8月27日 (日)

現世のユートピア

ケペルの議論 は 各論がよくできているのに対し、序論と終論の単純化が目立つ、という感想を、 こちらのエントリ に書いた。

それは たとえば 次のような一節にあらわれている。

戦後は、 現世のユートピア が勝利をおさめた。 旧大陸では、紛争と破壊の悪夢、ユダヤ人撲滅の恐怖を見いだした悪夢から脱して、過去の異常な幻覚を追い払うような新たな社会建設の時期がはじまった。 東側では社会主義が建設され、西側では消費社会が誕生する。 そうしたなかで、社会秩序の論理を神的なもののなかに汲みとろうとするイデオロギーの表現に、残された余地は ほとんどなかった 。 めざましい技術革新によってもたらされた生活様式の改善は、進歩に対する揺るぎない信仰を養った。 「 進歩主義 」 は一つの価値として参照されるほどになった ( 31頁より引用: 強調引用者 ) 。



これは どこまで 本当に そうだろうか?

その直前には 次のようにある。

いかに多岐にわたっていようとも、これらの運動 [ イスラーム、ユダヤ教、キリスト教の宗教再確認運動: 引用者注 ] が注目されはじめたのはすべて七〇年代なかばからである。 その大部分は以前から生まれてはいたが、どれもこの時期まで めだって耳を傾けられることはなかった 。 宗教運動が大衆を持続的に動かすことはほとんど不可能だったし、運動の理想やスローガンは、 社会的オプティミズムが全般に広がった という情況のなかでは、時代遅れで回顧的なもののように思われた ( 同上: 強調引用者 )。

「 全般 」 と書いてあるが、本当に 「 全般 」 だろうか?

第三世界の一般大衆は、当時 どうだったのだろうか?

この疑問については、次のような単純ドラマが語られる。

第三世界の独立国では、宗教はじつにしばしば 「 進歩 」 への障害物と見なされた。 新たな指導者のうしろに隠れて、民衆を動員するものと考えられたからである。 しかし植民地権力との闘争の過程で、宗教的帰属は 「 原住民 」 を 「 植民者 」 に大して結び合わせることができ、往々にしてひどく漠然としたものでしかない国民的アイデンティティを生みだすことを助けることになった。そのとき、進歩主義者でさえも宗教的帰属を振りかざした。 しかしいったん新たな体制が確固として指揮の座に居すわってしまうと、聖職者たちは自分たちの研究へと追い返され、その国の子どもたちを勝利へと伴っていった政治=宗教運動は、追いつめられ 絶滅させられた ( 32頁より引用: 強調引用者 ) 。

「 絶滅 」 ?

こうした現象の顕著な例として 次に引き合いにだされるのは 新興国エジプトなのだが、 「 新たな体制が確固として指揮の座に居すわってしまうと、、、 」 以下の文章が示すような事態が ( 仮にたしかに生じたとしても ) わずか3年 の期間なのである。

問いは単純である。

戦後第三世界の近代化とは どのようなものだったのか?

欧米先進諸国、あるいは日本などのような国民国家のあり方が、ケペルの議論には 勝手に投影されてはいないだろうか。

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