榎本美樹さんの 「亡命チベット人の宗教と政治の現状」
とにかく面白く読んでいる 『宗教と現代がわかる本 2008』!!
渡邊直樹さん責任編集,平凡社,2008年.
渡邊さんと平凡社におかれましては (昨年の私のように、原稿締め切りをまったく守らない輩がいたりで) さぞご苦労が多かろうと思う。 しかし、ぜひぜひ このシリーズを継続させていただきたい。 (今度こそ、私もできる協力があれば、何でもさせていただきたい)
それぐらい面白い本だと思うのだ。
この本全体の特徴のひとつが、「宗教と政治」の関わりについて、積極的に論考をくわえているところだ。
いくつかのエッセイがそのテーマを直接、間接に取りあげているのだが、その中でもとくに「宗教政治学」の真ん中を突く一節をみつけた。
榎本美樹さんの 「亡命チベット人の宗教と政治の現状」 (100-103頁) の中の一節である。
榎本さんは「大阪商業大学 比較地域研究所 PD研究員」
以下の引用で [ ] は引用者注、です
======以下引用======
宗教的価値観が牽引する社会規範を尊重する人人にとって、政治という意思決定の場面では、アクターが持つ政治倫理が重要となる。 ゆえに信仰心が重視され、宗教者が政治に関わることに対する抵抗を軽減する。 むしろ宗教的レベルの高い者の方が将来や物事の本質を観ずる力を持つため、政治に限らずあらゆる意思決定をより適切になすことができると考えられている。
======引用おわり======
非常に繊細に、宗教と社会と文化と価値観と政治との絡まりあいを解きほぐしてくれる文章だと思う。 フィールドに密着していなくては、こうした文章はなかなか書けない。
もちろん本当は 「絡まっている」 のでもなんでもない。 ただ、宗教・社会・文化・価値観・政治などなどの概念が、それぞれ別のものとして設定されているからこそ、そのように 「見える」 だけ、そのように 「書くしかない」 だけなのである。 既成概念がまずあって、私たちの知的な活動を制約している ―― 現代宗教研究では、いつもいつも問題になる点だ。
さて、、、
上の一節は、チベット人 (主に亡命チベット社会) の現状を念頭に、一般的な用語で書かれたものだ。 チベット人たちの現状について、関連する部分を ご参考までに書き抜いておく。
======以下引用======
…… ダライ・ラマに決断を委ねる [チベット人の] 思考は、彼が観音菩薩の化身として人間を超越した存在であると考えるチベット仏教の思想と無為関係ではないだろう。 多くのチベット人は、彼は未来を観ずることができ、一切衆生のために最善の決断が下せると信じているのだ。
[中略]
亡命チベット社会の場合、政治倫理とは多分に仏教的価値観から導き出されるものである。 CTA [Central Tibetan Administration: 中央チベット行政府] のような政治形態は、物心両面で閉じた社会の中では独裁に繋がる政体だが、指導者が有能で、開かれた社会として存続し、普遍的価値観を提示できる限りにおいて、国民国家よりも柔軟性がある人間集団の統合を推進し得る。 哲人政治が最善かどうかはチベット人自身が判断することだが、現時点で絶対的権威を持つ指導者ダライ・ラマ一四世が、今後も非暴力と平和を掲げ、民主化を推進する中で民衆が覚醒することを見守るのが支援する側に求められるだろう。
======引用おわり======
短いエッセイであるので、ぜひぜひ読んでいただきたいと思います。
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コメント
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投稿: よしまさ | 2008年5月14日 (水) 15時11分