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2008年3月21日 (金)

現代のスピリチュアリティの意味

もう随分と前だが、、、 こちらの記事 で、 現代のスピリチュアリティの意味 について思うところを書いた。

今日読んでいた『民博通信』の関根先生のエッセイのなかに、それと通じる一節があったので、ご紹介します。

======以下引用======

その信仰的知識という元来の全体性は、流通に際して……わかりやすい事柄を中心に断片化、簡略化される方向で世俗的理解の届く範囲の知識にパッケージ化されることになる。ここで、宗教信仰はスピリチュアリティに縮減される。言うなれば、物質的合理性中心の「進歩の理論」の跋扈する世界のもたらす歪みやストレスのサプリメントとして世界市場を獲得するという形になっている。その意味で、復古的色調をもった更なる近代化という再帰的近代化現象の内部に位置することは間違いない。そうであるから、このようなニューサイエンスの潮流と結びついたローカリティの生き残り方、つまり「勝利するローカリティ」の道行きには、近代の限界問題への新たな道開きという革新性を見いだすことは難しい。その道行きで捨て去られた何か、隠された何か、それをこそ検討しなければならない。「敗北したローカリティ」が問題になる由縁である。

[中略]

 「敗北したローカリティ」とは、西洋に発した近代化、世俗化に押し流されて命脈を絶たれ解体されつつあるうえに、「勝利するローカリティ」という再帰的近代化現象の輝きの陰にますます身を隠されてしまう、ローカルな生活文化の有り様のことである。

======引用おわり======

【典拠】 関根康正「ストリートという縁辺で人類学する――「ストリートの人類学」の提唱」『民博通信』2007: No.116, p. 5.

=============

この『民博通信』では、関根先生が責任編集をおこなった「特集 ストリートの人類学」が冒頭をかざる。オモシロイ特集だった。上の一節は、その第一エッセイから。

僭越ながら申し上げれば、こちらのエッセイ、「関根人類学」のエッセンスがとても分かり易く書かれていると思いました。

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