近代性と資本制
久しぶりの、きわめて!久しぶりの投稿で、いきなりなんですが、メモの一部を切り貼り。
資本主義的な世界=経済の諸々の特殊性のひとつに、固有の認識論の発達がある。 資本主義的な世界=経済は、それがシステムとして機能しつづけられるための、鍵となる要素として、その認識論を採用した。 私がここに論じてきた認識論、モンテスキューが『ペルシア人の手紙』で指摘した認識論、サイードが『オリエンタリズム』であれほど激しく論難した認識論は、まさにこれのことである。 二項対立、特に普遍主義(それは、支配するものの側の諸要素に具現化されていると主張される)と個別主義(それは、支配されているものの側に帰属せしめられる)のあいだの二項対立を実体化したのは、近代世界システムにほかならない。 (イマニュエル・ウォーラーステイン『ヨーロッパ的普遍主義:近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』山下範久訳,明石書店,2008年,102-3頁.)
近代性と資本制 という ずっと悩んできた問題が ウォーラーステインの再読で、ちょっと切り口が見えたというお話です。
ここでのポイントとしては、私見では 「近代性」の根幹が 認識論にあるという。
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コメント
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おお、再開お待ちしておりました。簡潔で鋭く、示唆的で啓発的なメモ、感受性ある若き学徒に届くと思います。
投稿: kiyonobumie | 2008年12月20日 (土) 22時59分
kiyonobumieさん>
いつも応援ありがとうございます。また、先日は ああいう意義深い場に呼んでいただき、本当にありがとうございました。
勉強は ずぅっとコツコツやっているのですが、何といいますか、、、皆さんにお聞かせするような内容に 僕の研究はなっているのか、、、 変な悩みにおそわれつづけているわけです。
また、ボチボチやっていきたいと思いますので、今後とも どうぞよろしくお願いします。
投稿: コンドウ | 2008年12月23日 (火) 18時10分