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2008年12月19日 (金)

近代とはなにか、近代性とはなにか

ついでに ウォーラーステインからもう一丁。

「近代」とは、資本主義的世界=経済のなかで発達した習慣、規範、実践のなにもかもをそこに放り込んで表現するための言葉である。 近代とは定義上、真の普遍的価値(ないしは普遍主義)の体現であるため、それは、単に道徳的善であるだけではなく、歴史的必然性であるということにもなった。 非ヨーロッパの高度文明には、近代、そして真の普遍主義へと向かう人類の歩みとは両立しないものがあるにちがいない、ずっとそうであったにちがいないというわけである。 ヨーロッパ文明――それは本来的に進歩的だとされた――とはちがって、他の高度文明はその発展の軌跡のどこかで〔進歩が〕凍結してしまい、したがって外部の力による(つまりヨーロッパによる)指導がなければ、どのみち近代へと自己を変革していくことはできないにちがいないということだ。 (イマニュエル・ウォーラーステイン『ヨーロッパ的普遍主義:近代世界システムにおける構造的暴力と権力の修辞学』山下範久訳,明石書店,2008年,74頁.)

僕の考えでは、もう少し 近代としての特徴というものは、実在すると思うのだが、ともあれ とても参考になる一節。

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