« 2008年12月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月の記事

2009年4月30日 (木)

豚インフルエンザとイスラーム

【 注目記事 】

http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20090429-00616/1.htm

====================

トンだ災難…エジプト政府、国内飼育の豚を即時処分

2009年4月29日(水)22時43分配信 読売新聞

【カイロ=加藤賢治】 エジプト国営テレビによると、同国政府は29日、新型インフルエンザの感染を防ぐため、国内で飼育されているすべての豚を即時処分することを決めた。

 推定頭数は30万~40万頭。新型インフルエンザの国内感染例は報告されていないが、予防的措置を講じた形だ。

 エジプトの国教であるイスラム教は豚肉を食べることを禁じているが、国内ではキリスト教一派のコプト教徒らが豚を飼育、特定の店で豚肉も販売されている。

 複数の地元メディアによると、農業・土地開拓省は豚の所有者への補償金として総額5億ポンド(約85億円)の支払いを検討。すでに県知事の指示で処分が始まった地域もあるという。

 同国人民議会(国会)は28日、豚の即時処分を政府に要求。イスラム原理主義系の議員は本紙に、「宗教上の理由で豚の飼育に反対しているわけでない」とした上で、「エジプトには設備が整った養豚場がない。住宅街に近い、不衛生な環境で豚が飼育されており、危険だ」と説明した。

====================

  • また、、、 大量虐殺だ、、、 せめて食べるのなら、 と思う。 このジェノサイドに対する感性を 失わないようにしたい!
  • 朝日新聞 (09年4月30日付) によれば、 「エジプト人の約9割が信仰するイスラム教では豚は不浄な動物とされ、 主にキリスト教の一派コプト教徒が飼育している。 このため、 国民の間で豚に対する嫌悪感からパニックが起きたり、 コプト教徒への反感が高まったりすることを防ぐ狙いもあると見られる」。

この種の大量虐殺をするのは、 エジプトだけではない。 イスラーム圏だけのことではない! (狂牛病のときのことを 想起すべし)

政治が まったく世俗化されていない というのは、 何も エジプトだけのことではない。 イスラーム圏だけのことではない!

【メモ】

「豚 インフルエンザ エジプト 処分」 で Google ⇒

こちらのエントリ もご参照ください

シャーマン、ガンディー、カルマ・ヨーギン

<連載 中沢新一論> 閑話休題 (前便は こちら

ちょいと気分を変えて、 中沢先生の著作から 断片的な読書メモ です

====================

僕は 南アジアの近現代史を専門にしています

とくに 「ヒンドゥー教とインド政治」 というのが研究領域で、、、

具体的には、 ヒンドゥー・ナショナリズム と 「マハトマ」 ガンディー の研究をやってきました

で、、、 次の引用です

シャーマンになるような人は、 人中に立ち交じって、 にぎやかにおしゃべりをしたり、 政治家のような演説をしたり、家族生活を楽しんだりするのを、 好みません。 人々から遠くに離れて暮らすことを好み、人生を楽しむことよりも、 むしろ苦しみを受ける体験を自分に引き受けようとする、 孤独と受苦を愛する変人たちでした。 目に見えない世界のことは、 こういう人たちにしか見えてきません。 彼らは現実世界の力や知識を少しも大事だと思わないかわりに、 現実の世界で無力であることによって開かれてくる、 知恵のほうが大切だと考えるような人たちでした。

『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』 (講談社,2002年) 125-6頁

ガンディーは、 ここで言われる 「シャーマン」 であったと思う

ただし、 彼は 「政治家のような演説」 をした

「現実世界の力や知識」 を全面否定はしなかったが、 やはり 「現実の世界で無力であることによって開かれてくる、知恵」 こそを最高のものと評価した

そうした変種の 「変人」 として、ガンディーはまさにあった

この変種のことを、 近代ヒンドゥー教は 「カルマ・ヨーガ」 という概念に収斂させていった

カルマ・ヨーガの修練をつむ人が 「カルマ・ヨーギン」 である

実際、 ガンディーもカルマ・ヨーギンとしての自己意識を、 言葉にして語っていた

2009年4月29日 (水)

木挽町の稲荷

090427_111829_m銀座三丁目にある稲荷のお社

シュッとした身なりの銀座OLさんが二人 楽しげにその前を通り過ぎていきます

その奥では、 白髪のお婆ちゃんが 熱心にお参りしてました

ちょっと経って また前を通ってみたら、 三人のおばさんが お掃除をなさってました

たて看板をみると、 このお社で 宗教法人格をもっているとのこと

鳥居脇 向かって左側の建物が 社務所なんだそうです090427_111920_m

====================

場所は 歌舞伎座のすぐ裏あたりです

ちょっと歩いたところには、 割烹が並ぶ 一角があります

その駐車場に どでかいベンツをなんとか入れ込もうとしている、、、 「雰囲気」 のある お姉さん 贔屓目なしに 和美人

推定1200万円のS550、、、 ナンバーは とっても 「個性的」 、、、

助手席には 小ぶりだけど いかにも高価そうな 薄桃色のプラダのバッグ

ベンツの脇には くたびれたジャージ上下の女将さん風の女性

こっちの方に入れちゃいなよ こっちなら入るって

はい じゃぁ

女将さんは 運転席のわくに 両肘をついて お姉さんと とても親しげに会話しています

お姉さんも とっても柔らかな笑顔です ――

木挽町の稲荷の向こうにみえる どうってことない一幕

お稲荷さんが鎮座まします 真昼間の銀座のはじっこにて

僕の文学趣味が、、、 有体にいえば 夜の街のドラマへの想像力が、、、

ほんのり かき立てられたのでした

【メモ】

石井研士先生の名著 『銀座の神々』 (新曜社, 1994年) は こちら ↓

2009年4月28日 (火)

カテゴリーの追加

お知らせです

カテゴリーに 連載もの を三つ 追加しました

うち二つは これから掲載予定のものですから、 まだ表示されていません

また、 その他の手入れもいたしました

====================

いつも訪れていただき、 ありがとうございます

皆さんのお役に立てば、 幸いです

「婚活」時代

授業でよく紹介する数字 が 載っていたので、 あらためてご紹介

『「婚活」 時代』 の著者、 中央大学の山田昌弘教授は、 男性の経済力に対する需給バランスがあまりにも崩れていることが、 結婚難の一因と分析する。 山田さんが02年に都内の25~35歳の独身男女に調査したところ、 男性で年収600万円以上は3.5%。 一方、 600万円以上の男性を結婚相手に望む女性は、 10倍以上の39.2%に上った。

AERA, 2009.5.4-11, p. 19 (山田先生のお名前の読み 「やまだまさひろ」 のルビは省略)

この数字は、 けっこう大変なこと を意味しているように思います

ここに

  • 離婚率の上昇
  • 養育費・慰謝料の強制徴収制度がない日本の私法

という事情が加わるわけです

結論! 女性は とにかく 自立すべし!

2009年4月27日 (月)

白くてデカイ観世音菩薩

昨日 (26日) は、所用で高崎へ

ないない尽くしの小旅行ではありましたが、 ブログでいかにも な日記をば公開させていただきます

なんか、、、 こういうのは 恥ずかしいですが、、、

====================

Ismfileget_4まずは水沢うどんを食べました

派手なところはない料理ですけど、 美味しくいただきました 食べすぎました

まだ時間があったので、 次に 伊香保温泉まで ちょろり車を走らせてみました

到着  例の階段を 一度だけ歩いてみました

やっぱり雰囲気がありますねぇ、、、 あの階段

こういうのは、 いつも思うんだけど、 やっぱり行ってみてナンボなんです、、、 空気感は メディアでは どうしても伝えきれないですから

そうそう 坂の途中には 喫茶店がけっこうありました  記念に コーヒーでも飲みたかったのですが、 なんとも時間が、、、 残念Photo_3

その後、 高崎白衣観音 まで足をのばしてみました

遅くなったので 胎内参観はできませんでしたが、 像の足元で しばしボンヤリしておりました

大っきくて 白いですね、 あの観音様

ふもとには 山田かまち水彩デッサン美術館 があるのですが、こちらも タイムアップで 訪れることができませんでした、、、 またの機会に

====================Ismfileget_1

できない尽くしの小旅行でしたが、 初の群馬行の記録を残してみました

観音様の写真 と 「観音菩薩」 のリンク をはって なんとなく 宗教学者っぽさを出しておきますか・・・

ご尊顔 ⇒

申し上げにくいのですが、、、 僕にもっとも見慣れた顔に 似ているような、、、  

いやいやいや まったくの不遜!!

暴力への異様な嫌悪

前のエントリ からつづく

====================

中沢先生も大好きな M・セール ―― 彼は ハイデガーをすっごく警戒している

そこに とてつもない悪の影 を見ているからだ

一方 中沢先生が ハイデガーを評価するときの留保には、 セールほどの異様さ が欠けている

 もっとも深遠な哲学からもっとも危険な政治的存在が出現してしまうことの恐ろしさを、 二〇世紀の歴史は実証してくれました (有名なハイデッガーのフライブルク大学総長就任の演説には、 この危険があからさまにしめされています)。 さまざまな 「人食い」 がいなければ、 人類の思想はついに凡庸の水準を抜け出ることはなかったでしょう。 そうすれば、 ソクラテスもヘーゲルもニーチェもハイデッガーもいなかったでしょう。 しかし、 凡庸を抜け出たところには、 危険が待ちかまえています。 そのことを、 対称性社会の人々は、 知り抜いていました。 シャーマンから見たら首長などは、 なんと凡庸なのでしょう。 ところが、 人間の社会にとっては、この理性の限界内に断固としてとどまる首長の存在こそが、 重要なのです。

 深遠と安全の間に、 絶妙なバランスをつくりだすこと。 首長と 「人食い」 たちを分離しておくこと。 これこそが、 対称性社会の抱いた最大の知恵であり、 人間が国家を持った瞬間から、 とりかえしのつかないかたちで失ってしまった知恵にほかなりません。

『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』 (講談社,2002年) 186-87頁

あるいは、これから数年前の次のような発言

中沢 ―― そうです。 精神世界の本と、 ハイデッガーのナチズムの問題は、 つながっています。  と言うのは、 ラカンなどの思考のもとになっている存在や、 ナチズムに傾倒した時期のハイデッガーは、 やっぱり実存主義、 グノーシス的なところがあると思うんです。

―― 「死」 を前にした 「決意性」 といった考えもそうですね。

中沢 ―― ところがナチズムを経過してハイデッガーは大きく変わってきて、 グノーシス的な要素を自分で切って行こうとします。 そこが、 僕には、 非常に関心のあるところだし、 興味がある。

いとうせいこう ・ 絓秀実 ・ 中沢新一 『それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド』 (太田出版,1995年) 20-21頁

セールから見えるハイデガー、、、 中沢から見えるハイデガー、、、

この差は、 とっても微妙だ

一見すると 無視してかまわないもののようにも見える

しかし、 そこにはやはり、 とても深いギャップが あるのではなかろうか

字面の引用や解釈だけではあらわせない、 哲学や思想が生え出てくる ・・・

そんな場所が 思想と思想家のいろいろなことを 決定づけているように思われる

そして僕は、 (大いなる尊敬と愛情をもって) ちょっと ノイローゼなんじゃないの、、、 と思えるほどの、 暴力に対する セールの むき出しの 異様な嫌悪感に 強く強く 共感するのである

====================

【メモ】

清水高志さんの次の著書

    • 『セール、 創造のモナド ―― ライプニッツから西田まで』 (冬弓舎,2004年)

中沢先生が 長めの前書きを寄せている (そういことをなさるのだから、 前書きの内容は もちろん! 手放しの賞賛だ)

僕はまだ読んでいないが、、、

はてさて、、、 暴力の問題をめぐって (とくに、ハイデッガーと同じ 第二次世界大戦にあらわれた、あの暴力の固まりをめぐって) セールと西田がどのようにつなげられているか、、、

注意して読んでみてよいポイントだろう

====================

<つづく>

2009年4月26日 (日)

現代宗教学の教科書 やっと

アサド先生や 増沢先生の著作の訳行で、 業界ではまったく有名な 中村圭志さん

またも著作を 上梓なさいました

  • 『一Q禅師のへそまがり <宗教> 論』 (サンガ,2009年)

久しく待たれていた 現代宗教学の教科書 です

しかも 読みやすい対話形式 というのですから、 喜びもひとしおです

今! 授業で胸をはって紹介できる 宗教学の教科書 が やっと手に入りました

島薗進先生の 『宗教学の名著30』 (ちくま新書,筑摩書房,2008年) は そのような本だったと思いますが、 いかんせん 初学者の方には ちょっと難しかった・・・

また、 もちろん! これまでにも 名著たる宗教学入門書は ありました・・・ 後述

さらに、 中村先生には 『信じない人のための〈宗教〉講義』 (みすず書房, 2007年) という 同様の入門書がありましたが、 『一Q禅師』 のほうが より体系的で、 また理論的です

アマゾンを見てみますと、 なかなかの売れ行きのご様子

どういう方々がお買いになっているのか、 ちょっと想像がつきませんが、 良い本は ちゃんと売れてほしいものです

====================

ちらり 特徴を紹介させていただくなら、、、

中村先生独自の事例解釈と 用語法が満載であるのはもちろんですが

やはり! アサドの議論を 実に的確 かつ簡明に 日本語にて表現している、、、

この点が特徴だ と言えます

YONSH にて、 お世辞にも読みやすいとはいえない アサド先生の本を、 中村先生の本に差し替えようかな、、、 と僕には思われるほどです

アマゾンのレビューでは、 尊敬すべき書評家 ソコツさん が 宗教への人類学的なアプローチ、、、 ということをおっしゃっていますが、 これも アサドを念頭においてのことでありましょう

僕としては、 「 ポスト宗教概念批判の宗教学 」 という意味で、、、 また

欧州語の支配力からのズレに立脚した宗教学 」 という意味でも、、、

<現代宗教学> というカテゴリーを提案したいと思います

これだけを読めば 宗教と宗教学がすべて分かる なんてことは、 もちろんありません

というか、 何かをすべて分からせることのできる一冊の本、、、 などというものは、 原理的に 人間業では 書けません

まぁ そういうことはさておき、 ぜひ多くの方に読んでいただきたい本なのです

2009年4月25日 (土)

リズ

うちのリズさんです ⇒

今回 こちらのブログを ボチボチ再開しているわけですから、 いちど 画像をアップしてみよう、、、 と思い立ちました

以前は ココログでの 画像アップは 有料オプションでしたが、 なんだか いつの間にか できるようになっていますね

しかも テキスト回りこみで!

ネット情報をあさくって、 いろいろ やってみました

さて どのような画面になるのやら

一度 あげてみます

要するに、 またもテストです。。。 RSSを設定してくださっている方、 またもすいません

思想の罪、思想家の責任

前のエントリ からつづく

====================

島田裕巳先生は 中沢先生に、 オウム真理教に関する説明責任を問うてらっしゃる

島田先生は つい最近、 自ら翻訳にかかわった 『タオ自然学』 の出版事情、またその受容と影響についてのフォローアップをなさっている

その種の説明責任を みずから果たしていこうとなさっているのだろう

ただ、 ヒンズー教の神、 シヴァ神のダンスというモチーフは、 カプラにこの本を執筆させる動機にもなったものだが、 どうしてもオウム真理教のことを連想してしまう。 オウム真理教の信者となった人間に、 『タオ自然学』 の影響があったことは間違いない。 その点を含め、 『タオ自然学』 が生んだもの、 影響を与えたものを、 今一度問い直す必要があるのかもしれない。

島田 「 『タオ自然学』 の三〇年」 渡邊 直樹 (編著) 『宗教と現代がわかる本〈2009〉 』 (平凡社,2009年),241頁

そして 中沢先生だが、 ご自身で 次のように述べておられる

麻原彰晃の座右の書というのは 『虹の階梯』 という本と (笑) 『富士宮下文書』 。

いとうせいこう・絓秀実・中沢新一 『それでも心を癒したい人のための精神世界ブックガイド』 (太田出版,1995年),32頁

だから、 島田先生の要求は もっともなのだ

そう、、、 それはもぉ 全くもっともなこと だけれども・・・・・・!

中沢先生は今や、 語らないことを 主体的に 選んだのかもしれないなぁ、 と僕は思ってしまう

「真意をけっしてあからさまに言わない、表現することによって隠す」 (前掲)

対話のモラルと所作は 失われたのかもしれない

これは もちろん小さな問題ではない。 しかし、、、

このすれ違いについて 性急な意見は述べるべきでない、 と僕は思う

そこには 「思想の罪、 思想家の責任」 とでも呼ぶべき 大変複雑な 事情があると思われるからだ

====================

しかし一点だけ! 書いておきたいことがある

<つづく>

2009年4月24日 (金)

宗教学の方法 宿題フォーマット(言説分析)

受講生の皆さん>

Web学習システムの登録について、 無用な混乱、、、 大変失礼しました。

同じものを、 こちらにもアップしておきます。

「 宿題フォーマット (言説分析) 」 をダウンロード

どうぞよろしく。 朝一の授業、大変ですが がんばってください

受講生ではない方々へ>  「宗教学の方法」 は、 私が 本務校にて受けもっている授業のひとつです。 シラバスのウェブ閲覧が、 うちの大学ではどうやらできないようであり、、、 あしからず

鈴虫とゴーヤ

我ながら 物知りなほうだと思う

仕事柄、 情報収集を引っ切りなしにやっているような気がする

だからだろうか、、、 ビックリしたり笑っちゃったりのツボな豆知識には なかなか出くわさないのです

しかし 先日! 久しぶりにヒットな情報を得ました

鈴虫はゴーヤを食べると死ぬ

いかがでしょう? 僕にはかなりのオモシロ話だったのですが……

====================

さて、、、 ちょっと考えてみました

なんで これが可笑しかったんだろう?

出た答えは

  1. アイテムが可愛い、 その上に
  2. スキを突かれたから

でした

鈴虫とゴーヤが まずほほえましい

邪気のない、頼りなさ・・・

歴史を動かすことのない、その存在の小ささ・・・

このステキな質に 感応して、 まず僕はほほ笑んだのでした

しかし それだけではありません

僕は たまたま手に取ったある冊子が 自分の研究にすごく役立つのを見つけました

興奮して、それをひどく集中して読んでいました

そこに突如として現れたのが 「鈴虫・ゴーヤ」 情報だったのです

あまりに突然、 不意をつかれて、 思わず 笑ってしまった

無力さ…… 緊張と緩和……

お笑いの鉄則が まさに教科書どおり、 そこには働いていたのでした

【メモ】

笑いについて、 前便は こちら

2009年4月23日 (木)

明日の神話

満員電車がキツイ・・・ 40過ぎのおっさんには

ただ、 渋谷で井の頭線に乗り換えるときは、 ちょっと別だ

岡本太郎の大壁画 「 明日の神話 が見られるから

これは、本当にすごい絵だ

こんなものを毎日見られる通勤/通学者が すごくうらやましい

観察してみたけれど、 立ち止まって見入る人は ほとんどいない

歩きながら、これを仰ぎ見る人も ほとんどいない

でも、絵はやっぱりそこにあって、 なんだかとんでもない力を モニョモニョ モニョモニョ と出しているのです

【メモ】

岡本太郎 「明日の神話」 再生プロジェクト

2009年4月20日 (月)

モブログのテスト

通勤の車内から これを書いています
単なるテスト どういう風にアップされるのか 見てみたいのです
RSSを設定して下さっている方、申し訳ありませんm(__)m

2009年4月19日 (日)

連載 中沢新一論 序

「中沢新一論」 なんていうほど、実は たいそうなものではない。

ただもぉ 読書メモ、、、程度のものを、いくつか連載したいと思います。

10本ぐらいにはなるかな、、、

====================

オウム事件のことは、申し訳ないけれど、主題化しません。

中沢思想が、世間でこれだけの人気と注目を (それからもちろん、反感も) 集めている、、、

そのことを意識しながらの、読書メモです。

とはいえ、オウム事件のことをまったく書かないわけにもいきません。

「序」 として、ここに YONSH 第11版 (こちら 参照) の関連部分を かるい手入れのうえ、再録しておきます。

====================

  • 中沢新一・波多野一郎 『イカの哲学』 (集英社,2008年)

<宗教と暴力>、あるいは <オウム事件と日本の宗教学> というテーマに関して、、、

エロティシズム態の平和は、戦争が発生する心の構造の噴火口に飛び込んで、戦争へ向かおうとする生命の衝動を、愛や慈悲につくりかえてしまおうとしてきた。 (113頁)

本書は9.11への応答の書ということだが、もちろん中沢によるオウム論でもあるだろう。

この問題との関連で、、、

  • 島田裕巳 『中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて』(亜紀書房、2007年)
  • 苫米地英人『スピリチュアリズム』(にんげん出版、2007年)

は必読。

オウムの教義は中沢新一が作ったと言っても過言ではありません。もちろん彼以外にも何人かのシンパがいますが、中心は間違いなく中沢です。 (苫米地146頁)。

ちなみに、中沢は 「数年前に自分自身が体験した、理不尽な状況」 と書き (『緑の資本論』 集英社、2002年、10頁)、 「快感原則の外部をめざそうとする者たち」 がポスト冷戦の時代において身につけるべき技量として 「真意をけっしてあからさまに言わない、表現することによって隠す」 ことを勧めているのだが (同144頁)、 島田も苫米地もこれには言及していない。

『深い河』 と 《神秘なるインド》

こちらのエントリ で、インドと古代的なものの 観念連合について書いた。

まさにこのテーマで、実は最近 小文を書いてみました。

インドとの共生 ―― 《インド》なる表象の刷新のために『深い河』を再読する

柘植光彦(編) 『遠藤周作: 挑発する作家』 (至文堂,2008年,179-88頁)に収められています。

『深い河』はもちろん、「神秘なるインド」という表象を主題としています。

これを 「ロマンスやオリエンタリズムの一言をもって廃棄してしまうのは、おそらく得策ではない」 (187頁) と思いまして、、、

じゃぁ どうするのか、ということを考えてみました。

あまり立派な結論は出せなかったのですが、 インド研究を始めて16年、 宗教学の立場からの地域研究 への最初のトライです。

ご興味のある方は、ぜひお読みになって、感想など聞かせてくださいませ。

【メモ】

この論文集には、高橋原さんの論考 「ユングへの共鳴」 も収められています(157-67頁)。

高橋さんは 『ユングの宗教論』 の著者でいらっしゃいます (こちらのエントリ 参照)。

先月、久しぶりにお会いして、

「思わぬところで、、、一緒になりましたね」

「えぇ・・・」

などという、ビミョーなやり取りをかわしました (笑)。

2009年4月17日 (金)

鈴木みのる

パンクなものが好きだ。

僕にとっての この「パンク」というコトバ、、、 定義が上手にできないのだが、、、

格闘技でいえば、ボクシングとプロレスが好きだっていうこと。

どちらとも「バカ」なところが好きだ。

関西弁でいう「アホ」よりも、もっと見返りの少ない 「バカ」 ―― それが、自分のなかの何かと呼応するんだろうな、、、

ということで、プロレス界からの一言

いまよ、世の中ミサイルだとかよ、金がねえだとかよ、ダメな政治家とかよ・・・ だけど、面白くてスゲエものが見たかったら、オマエらまたここに来い。俺が見せてやるよ。

鈴木みのる選手、全日本プロレス「2009チャンピオン・カーニバル」最終戦で優勝を決めて、リング上でのマイク・コメント

『週間プロレス』 2009年4月29日, No.1469, p. 8

自分も、教壇に立つとき、まさにそんな気持ちでやっているなぁ、、、と

面白くて スゲエもの 」 が学問には たしかにあるから

この身もふたもないコトバをいつも吐けるようにしたいんだ

現代の悪

『解明 M・セールの世界』 から もうひとつ引用をば。

現代における悪、、、というものを 感得したのは、僕の場合、南アジアのいわゆる「開発問題」を勉強するようになってからだ。

まさに「現代的な」(!)悪のあり方があるなぁ、、、 と思っていた。

それを哲学的に コトバにしてくれているので、ひざを打ったのでした。

悪、憎しみ、あるいは暴力は、あらゆる対象を手に入れていますが、主体が欠けています。雨や雹や雷は万人の上に落ちてきますが、一本の腕が槍を握っているわけでもなければ、電気回路を操作しているというわけでもない。能動的悪は非人称動詞のように活用するのです。雨が降る (il pleut)、凍る (il gèle)、雷が鳴る (il tonne) というように。 287-88頁

要するに、みんなであり、だれでもないのです。揺れ動き、途絶えることのない雲からは、すべての人の頭上に、どんな人の頭の上にも、区別なしに被害が降り注ぎます。すると残っているのは、悪の問題をひとまとめにして問うということなのです。 288頁

ただし、ここだけの引用だと、ちょっとセールの本意があらわせていないように思う。

前後数ページを読む必要がある。

2009年4月15日 (水)

古代的なもの

2年ほど前、中央大学の大学院で 一回講師をつとめ、インドのことを話した。

講義の最後に、出席の学生さんから聞かれた。

先生は結局、インドで何を学ばれましたか?

考えたこともなかった問いで、咄嗟に まったく無意識に出た応えは・・・

結局、人間どうにかなる、、、ってことです

インドでの人生は ほんとに大変で、いやなことも よいことも、いわばその極限にまで 露呈している。

それでもインド人は、なんとか毎日を、元気に ふんばってやり過ごしているのだ。

この力強さ。腰の強さ。柔軟で強靭な 生きるってことの力――

M・セールを読んでいて、このことを思い起こす一節があった。

結局のところ、古代のわれわれの先祖たちは、自然に起因する昔の必然性の時代に生きていて、種々の苦痛や飢餓、短い一生の後での病気による死、という法外な代価を支払ってはいましたが、それでもかなり平穏に生活していたにちがいありません。自分自身を管理すれば事足りていましたし、あるいは自分の役割にしたがって、時としては遠くにいることもありますが、ほとんどの場合は近くにいる、ほんのわずかの人たちの先頭に立っていれば十分でした。 (ミッシェル・セール 『解明 M・セールの世界』 262頁)

インドを「古代」に比定する こうした発想は、南アジア地域研究者から 大いにおこられそうだ。 その叱責は、もちろん合理的である!!

にもかかわらず、多くの人たちが インドから「古代的なもの」を感得しているという事実は、あいかわらずゆるがない。

この事実はなにも、<その人たちは ノイローゼである>とか、<近代のオリエンタリスティックなロマン主義の洗脳を受けているにすぎない>とか、そう言い切ってしまうことだけでしか、解釈できないというものでもないだろう。

地域研究者だけを 特権的な認識者として 上手にとっておく道理も、必要性も おそらくはあまり確かではないだろう。

おそらく、何か大事なものが やっぱりそこには露呈している。

それを、たとえば セールの上のようなコトバは、豊富な実例と、確固たる方法論のうえで、あからさまに示しているように思われるのだ。

2009年4月14日 (火)

M・セールの世界

  • ミッシェル・セール 『解明 M・セールの世界』 梶野芳郎・竹中のぞみ訳,叢書・ウニベルシタス536,法政大学出版局,1996(原1991)年.

まぁ とにかくメチャメチャ面白い。

セールなだけに、どの部分を引用しても、意味があったりなかったりだが、、、 

ぜひ書き留めておきたくなったのは、次の一節。

 歴史の切れ目も同様に、われわれを過去と交信させている非常にゆっくりとした運動によって、それも果てしなく深いところで交信させている運動によって、下のほうで、維持されているのではないでしょうか。ですから、地表では、完全に断続的な切断であるかのごとく見えても、つまり短時間の激しさが町まちを破壊し、眺めを一変してしまう地震――ここでは歴史の震動、あるいは時として民衆の震動ということになりますが――であるかのようには見えても、実はとても深いところでは、きわめて規則的で、ほとんど感じることもできないほどの運搬が、まったくスケールの違う時間のなかで、継続しておこなわれているのです。

 たとえば、宗教史がこのようなスケールの時間を垣間見させてくれるとは言えないでしょうか。宗教史は、目に見えなくなってしまうほど一番下の、このうえもなく深いところにある、もっとも埋もれていて、もちろん一番緩慢なプレートを形成しています。でもわたしは、そのうえさらに、もっとその下にある、われわれを盲目的に動かしている、あれほどに隠された、あの内部の大かまどの秘密が解けたらと思っているのです。 (208頁)

まさに そういうことなのだ。

2009年4月12日 (日)

読んでおきたい宗教論 (YONSH)

YONSH (読んでおきたい宗教論) というのを、 もう何年か作りつづけてきました

もともとは、 PD時代に 研究室においておいてもらう 共有資料として作りはじめたものでした

最近、自分の研究がなかなか論文になりません ―― 論文 という形に表せない ――

で、 YONSH のような文献リストの形が 一番しっくりくるなぁ、 と感じています

そういう意味で、 これは 僕の研究の成果発表でもあります

宗教学に興味のある方、 ぜひご覧になってください

半年に一回 ほどの頻度で、更新してまいります

こちらから ↓ ダウンロードできます

http://sites.google.com/site/aurabuddhiprakash/Home/yonsh-1

ちなみに、以前 こちらのブログで、YONSHを紹介したことがあります ↓

http://lizliz.tea-nifty.com/mko/2005/10/yonsh__8244.html

よろしければ、そちらもご覧ください

追悼

あなたが亡くなってから、もう大分の時間がすぎました。

僕にとっても、この一年は とってもとっても大きな変化の時期でありました。

あなたなら、そんな僕を見て、厄年なんてことをおっしゃるでしょうね。 そして僕も、そんなこともあるのかなぁ、、、なんて のんきなことを考えていたりするわけです。

そんな情況にあるからでしょうか、日が経つにつれ、あなたの存在は 僕のなかで大きな意味をもつようになってきました。 折にふれ、あなたのことに思いをいたすことが増えてきたように思います。

存在の深い深いところについての 手触り感覚をもった人だった、と僕はあなたのことを思っています。

それがまだ表現されないうちに、あっさり逝ってしまわれた。

いま 僕があなたに送るコトバは、どうしても中沢新一になってしまうのです。

中沢先生について、あなたとお話ししたことはありませんでした。 あなたは何とおっしゃるでしょうか。

意外と、、、 評価なさったりするのではないか、、、 なんて夢想したりもします。

男の体をもったまま(なぜならキリスト教の神は男なのである)徹底的な従順さをつらぬくことによって、完全な女性化(フェミニザシオン)をめざしたイエス。彼はそれをとおして謙遜のたいせつさを教えようとした。「このオカマ野郎」。そう、彼はひとりのオカマとなることによってひとつの文明をつくりだしたのだ。「男」と「女性化をめざしていく男」によってつくられる世界。すべてがここから生まれる。 (中沢新一『幸福の無数の断片』河出文庫,河出書房新社,1992年,41頁)

ぼくはこの世界に未出現のものにつながりをもっている。その未出現のものをこの世界に出現させるために、そしてただそれだけのために、自分の人生はある。ほかのことは、たいして意味はない。実現されてしまった現在には、たいして関心がない。実現されなかった過去と、まだ可能性だけの未来にしか、ぼくは興味をいだくことがない。 (中沢新一『ミクロコスモス Ⅱ』四季社,2007年,194頁)

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

Twitter


読書メーター

  • mittskoの今読んでる本
  • mittskoの最近読んだ本

鑑賞メーター

  • 最近観たビデオ
    mittskoの最近観たビデオ
2016年7月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

イーココロ

無料ブログはココログ