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2009年4月15日 (水)

古代的なもの

2年ほど前、中央大学の大学院で 一回講師をつとめ、インドのことを話した。

講義の最後に、出席の学生さんから聞かれた。

先生は結局、インドで何を学ばれましたか?

考えたこともなかった問いで、咄嗟に まったく無意識に出た応えは・・・

結局、人間どうにかなる、、、ってことです

インドでの人生は ほんとに大変で、いやなことも よいことも、いわばその極限にまで 露呈している。

それでもインド人は、なんとか毎日を、元気に ふんばってやり過ごしているのだ。

この力強さ。腰の強さ。柔軟で強靭な 生きるってことの力――

M・セールを読んでいて、このことを思い起こす一節があった。

結局のところ、古代のわれわれの先祖たちは、自然に起因する昔の必然性の時代に生きていて、種々の苦痛や飢餓、短い一生の後での病気による死、という法外な代価を支払ってはいましたが、それでもかなり平穏に生活していたにちがいありません。自分自身を管理すれば事足りていましたし、あるいは自分の役割にしたがって、時としては遠くにいることもありますが、ほとんどの場合は近くにいる、ほんのわずかの人たちの先頭に立っていれば十分でした。 (ミッシェル・セール 『解明 M・セールの世界』 262頁)

インドを「古代」に比定する こうした発想は、南アジア地域研究者から 大いにおこられそうだ。 その叱責は、もちろん合理的である!!

にもかかわらず、多くの人たちが インドから「古代的なもの」を感得しているという事実は、あいかわらずゆるがない。

この事実はなにも、<その人たちは ノイローゼである>とか、<近代のオリエンタリスティックなロマン主義の洗脳を受けているにすぎない>とか、そう言い切ってしまうことだけでしか、解釈できないというものでもないだろう。

地域研究者だけを 特権的な認識者として 上手にとっておく道理も、必要性も おそらくはあまり確かではないだろう。

おそらく、何か大事なものが やっぱりそこには露呈している。

それを、たとえば セールの上のようなコトバは、豊富な実例と、確固たる方法論のうえで、あからさまに示しているように思われるのだ。

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