シャーマン、ガンディー、カルマ・ヨーギン
<連載 中沢新一論> 閑話休題 (前便は こちら)
ちょいと気分を変えて、 中沢先生の著作から 断片的な読書メモ です
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僕は 南アジアの近現代史を専門にしています
とくに 「ヒンドゥー教とインド政治」 というのが研究領域で、、、
具体的には、 ヒンドゥー・ナショナリズム と 「マハトマ」 ガンディー の研究をやってきました
で、、、 次の引用です
シャーマンになるような人は、 人中に立ち交じって、 にぎやかにおしゃべりをしたり、 政治家のような演説をしたり、家族生活を楽しんだりするのを、 好みません。 人々から遠くに離れて暮らすことを好み、人生を楽しむことよりも、 むしろ苦しみを受ける体験を自分に引き受けようとする、 孤独と受苦を愛する変人たちでした。 目に見えない世界のことは、 こういう人たちにしか見えてきません。 彼らは現実世界の力や知識を少しも大事だと思わないかわりに、 現実の世界で無力であることによって開かれてくる、 知恵のほうが大切だと考えるような人たちでした。
『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』 (講談社,2002年) 125-6頁
ガンディーは、 ここで言われる 「シャーマン」 であったと思う
ただし、 彼は 「政治家のような演説」 をした
「現実世界の力や知識」 を全面否定はしなかったが、 やはり 「現実の世界で無力であることによって開かれてくる、知恵」 こそを最高のものと評価した
そうした変種の 「変人」 として、ガンディーはまさにあった
この変種のことを、 近代ヒンドゥー教は 「カルマ・ヨーガ」 という概念に収斂させていった
カルマ・ヨーガの修練をつむ人が 「カルマ・ヨーギン」 である
実際、 ガンディーもカルマ・ヨーギンとしての自己意識を、 言葉にして語っていた
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