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2009年5月17日 (日)

流動的知性とは (3/3)

<連載 中沢新一論> 前便は こちら

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ここで僕が言いたいのは、 <中沢思想は実証的ではない> とか

<仮説にもとづく印象論にすぎない> などという

当たり前のこと なんかではない

そうではなく、 中沢思想では、 実証なんてものには、そもそも

さほどの重要性も与えられていないのだ

中沢先生には 答えは もう見えている。 明確な答えの像――

それにそぐう学説が 一つながりの文章で表現されているのが

中沢思想なのだ

というわけで、 中沢先生は堂々と次のように言うのである

折口信夫についての評である

 いまの学者たちには、とてもこんな大胆な考えはできません。 そんなこと、 いくら古典をしらみつぶしに調べても、 どこにも書いてありません。 どんなにしても、 それを実証することができないからです。 しかし、 折口信夫は自分の考えに、 相当な自信を持っていました。 すぐれた詩人でもあった折口は、 文化というものの本質は 「ポエジー (詩)」 であると考えていましたから、 現実のものとしてあらわれた文化は、 どんなものでも自分が実現したいと考えている 「ポエジー」 の本質を、 そのまま表現することなどできていない、 つまり現実化できていない、 ということがよくわかっていたのでした。

 かつてあったものを、 そのものとしていくら研究したところで、 「ポエジー」 としての文化の本質にはたどりつくこができないでしょう。 それよりも、 現実の中にとりあえず実現されてあるものをよく見て、 そこからそれが 「あるべきであったもの」 を取り出すことのほうが、 ずっと意味があるのではないでしょうか。 こういう 「ポエジー」 の精神にみちた学問を、 もういちどよみがえらせてみようではありませんか。 荒唐無稽がいつか真実に変わるような学問。 人間を本当の意味で豊かにする知性とは、 そういうものでなければならないと、 私は信じます。

『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』 (講談社, 2002年) 166-67頁

かように 中沢新一思想は ヴィジョンである

中沢先生自身は、 「イメージ」 「直感」 などのことばを使うが

とくに氏らしい観念は 「秘密」 であろう

隠されてあるけれど、 たしかな実在の真理としての 「秘密」――

「実証」 の手続きを、 中沢先生は知らないわけでは無論ない

「科学」 のエロティシズムを直観する思想家であるからして

ゴリゴリの理詰めの議論にいくらでも付き合うことができる――

そうした学者らしい学者にもなりうる人物だ

しかし、 彼の思想では 「秘密」 のヴィジョンがすべてを圧倒する

だから、 実証の確度は あくまでも 添え物なのである

(修辞としての、 意匠としての、 スタイルとしての実証・・・)

ちなみに、 次のような言葉もある

資本主義は発達すればするほど、 流動的無意識という現生人類としての私たちの本性に接近していくことになるでしょう

『カイエ・ソバージュⅤ 対称性人類学』 (講談社, 2004年) 105頁

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コメント

  「私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。
 お前たちは人間を超克すべく何事かをなしたか?超人は大地の意義である。」
   ( ニーチェ 『ツァラトゥストラ』より )


 中沢氏にはニーチェの面ざしを見ることができます。


 「自分の意見を隠すか、さもなければ、その意見の陰に自分を隠すか、そのいずれかがよい。」
   ( ニーチェ 『人間的な、あまりに人間的な』より )


 しかし、ニーチェは次にような言葉も吐いています。

 「われわれのうちで最も勇気のあるものでさえ、自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは稀にすぎない」
    ( ニーチェ 『偶像の薄明』より )

 中沢氏のしたいことは、ニーチェの模倣か、それともニーチェを超えることなのでしょうか。

yokosawa さま>

ニーチェと中沢というのは、まったく考えてもみない比較でした

どうなんでしょうねぇ、、、
中沢先生は、もっと明るいですよね
おそらくは、ヴィジョンがもうすでにあるから、ではないでしょうか
人間の可能性、とくに庶民や女性や被差別民に秘められた(!)可能性・・・
それに対する 明確な肯定的評価・・・

そんなものを 中沢先生ははっきりお持ちであるような・・・

ニーチェと比べれば、ゴリゴリのヒューマニスト、という感じがしますが
いかがでしょうか

  たしかに、中沢氏の文章からはどの部分からも生の輝きみたいなものを感じます。でも、あまりに生き生きしすぎているから、私は表裏一体の暗い部分の存在を感じてしまうのです。

 優れた思想家に死の匂いがしないのに、何だか違和感を感じてしまうのは、私の片寄りなのかもしれませんが・・・。

yokosawa さま>

そうなんです、中沢先生は ご自身としては もうすでに救われていらっしゃる
ご自分としては、救いを必要となさっていない

「グル」です!

ニーチェは、不器用でカッチョ悪いところが、僕なんか とても好きです
行き過ぎで、ハチャメチャ(中沢先生より、よっぽど!)なんですが
クセになる、アクの強い、ドクの味がする 思想です

「死」についての思索、、、 僕の場合は、末木先生がいつも大師匠です
このテーマで、末木先生が奨めていらっしゃる本で
一度もはずれたことがありません

たとえば 『死と狂気』!!
これは、劇薬です!!
調子の悪いときには読まないほうがいいのですが
調子がいいときには意味がわからない、、、 そんな素敵な本です

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