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2009年5月29日 (金)

形而上学と思想史

<連載 中沢新一論> 前便は こちら

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中沢思想は形而上学であるのは、 もう明らかだ

ここで僕が 「形而上学」 と言うとき、 もちろん 必ずしも悪い意味ではない

間違いなく 「危険」 ではあるけれど、 即 「間違い」 「悪」 ではない

そのような形而上学は、 中沢思想において 思想史へと展開する

実証的史学ではないけれど、 これもまた思想史である

宿神 (シャグジ) 的思考は、 もともと緑したたる列島の自然とともに発達をとげてきた。 しかもその来歴は、 おそろしく古い新石器的思考 (野生の思考) にまで食い込んでいる。 この思考は諸存在をダイナミックな変身・変容の過程としてとらえている。 そこではもとより非情と有情の区別があろうはずはなく、 植物的な存在層を動いていた力=意識は、 なめらかな斜面を滑るようにして、 動物的な存在層で活動する力=意識に姿を変え、 そのまま連続的な変身過程をとおして、 人間の意識活動の中で動きはじめるのである。 [本覚論における] 「草木成仏」 などは、 本来のシャグジ的思考からすればあたりまえのことで、 それを仏教哲学が肯定しはじめたという事態が、 芸能の徒に本覚論に対する深い関心を呼びおこすことになったのだろう。

『精霊の王』 118頁 (ルビは括弧内に示した)

ご覧のように、 中沢先生の歴史記述は 「比喩」 を多様する

単なる修辞ではなく、 存在の深部様態の表現そのものである 「比喩」 ――

ここら辺りに グズグズ解決されないままの問題がある

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