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2009年5月14日 (木)

中沢新一の唯物論 (2/2)

<連載 中沢新一論> 前便 より つづく

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さてただし、 注意すべきは、 中沢 「唯物論」 は無神論ではない、 ということだ

いったいこのことは、 私たちに何を語っているのでしょう。 宗教は心の構造の深遠な表現であり、 それ以上でも以下でもない、 ということです。 しかも心の構造は人間のしゃべることばの構造によって決定づけられており、 「精神の考古学」 によれば、 このことばの構造はまた、 現生人類の脳におこった革命的なニューロンの組織替えの過程で出現した、 流動的知性の働きによって生み出されたのである。
 こう考えてみますと、 人間が完全な無神論でいることなどは、 原理的に不可能なことである、 と結論づけたくさえなってきます。 神々は長いこと人間の心の同伴者でしたが、 制度としての宗教が消滅するというような時代になったとしても、 現生人類としての心の構造が同じままであるかぎり、 この先もきっと、 心の構造の表現者であり隠れた同伴者であり続けるのかもしれませんね。

『神の発明 カイエ・ソバージュⅣ』 (講談社, 2003年) 155頁

あらためて 「唯物論」 への力強い言及を引用する

国家や経済のシステムの展開ばかりではなく、 宗教のような観念のシステムについても、 これを 「自然史の過程として」 研究することの重要性を力説したマルクスとエンゲルスの思想は、 この領域でいまだに有効性を失ってはいない、 と言えるかもしれません。 スピリットや魂 (たましい) にかかわる問題について、 「マテリアリズム (唯物論) 」 の視点を失うべきではないのです。 量子論のような物質科学が物質の領域で発見してきたことと、 神 (ゴッド) の問題のような心の領域の問題とは、 現生人類の脳にたえまなく 「スピリット的なるもの」 の発生している場所で、 必ずやひとつにつながりあっているはずです。 それを探求する科学こそ、 今世紀に私たちが早急につくりださなくてはならないもののひとつとなるでしょう。

同 117頁。 ルビは括弧のなかに示した

もちろん、 こうした 「唯物論」 を、 僕もきわめて大切なものと考えるのだ

宗教学と現代宗教は、 もっともっと真剣にサイエンスの知恵と切り結ばなくてはいけない

もっともっと大胆に、 サイエンスの宇宙観、 存在論、 生命論、 知性論を取り入れなければいけない

【メモ】

僕も以前 非常勤研究員としてお世話になっていた 南山宗教文化研究所 で、 「科学・こころ・宗教」 プロジェクト が進んでいる

とても意義ぶかい試みだ。 皆さん、 どうぞ一度ご覧ください

なお、 プロジェクトの中まとめとして 下の本があるそうだが (コンドウ未見)

市販はされていない。 注文は こちら から

  • P. L. スワンソン監修 『科学・こころ・宗教 ―― 科学から見る 「こころ」 の意義』 (南山宗教文化研究所, 2007年)

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