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2009年5月10日 (日)

根本的人間

<連載 中沢新一論> 前便は こちら

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旧石器時代 に人間の基礎的条件をみる視覚を、 中沢新一とエリアーデ先生は共有している

中沢先生が強い論拠を求める認知考古学は、 エリアーデの時代にはまだ十分に発達していなかったから、 論述の細密さは やや劣るのだけれども、

次のような エリアーデの言葉、 <根本的人間> の理念は、 中沢先生によく通じる

また長くなりますが、 すいません、 お付き合いください

しかし私はある種の原初的啓示が消滅しうるとは思いません。 もっともテクノロジカルな文明においてすら、 変わりえない何かがあります。 昼と夜、 冬と夏があるのですから。 樹木のない都市においてすら、 天体のある空があり、 常に星と月を見ることができます。 昼と夜、 冬と夏がある限り、 人間は変わりえないであろうと私は思います。 われわれは、 望まずして、 この宇宙のリズムに統合されているのです。 人は価値基準を変えることはできる ―― 夏、 夜、 種まきのような農民の宗教的価値基準は、 もうわれわれのものではない ―― けれども、 しかしこの光-闇、 夜-昼というリズムは常にあります。 もっとも非宗教的な人でもこの宇宙リズムの中で生きています。 彼はそれをとりわけ自分自身の存在の中に再発見します。 昼間の生活と、 それから夢を伴う眠り ―― 夢はいつも見ます。 もちろん、 われわれは経済的社会的構造という条件下にあり、 宗教的経験の表現は常に言語と社会という条件、 そうして利害関係という条件の下にあります。 けれどもこの人間の条件、 それをわれわれが身につけるのはここ、 われわれに諸々のリズムとサイクルが与えられているこの宇宙の中なのです。 われわれの人間としての条件、 それはこの根本的な条件から出発して身につくのです。 そうしてこの <根本的人間> 、 それは外見がどうであろうと <宗教的> と言うことができます、 なぜならば生命の意味づけにかかわっているからです。

エリアーデ 『迷宮の試煉』 (作品社,2009年) 155-6頁

エリアーデの引用は、 なぜか やたら長くなってしまいます・・・

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