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2009年5月18日 (月)

神話のイデオロギー作用

<連載 中沢新一論> 前便は こちら

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神話のイデオロギー的作用は、 もちろん疑いもない

神話の力を華々しく、 確信的に語る中沢新一は

この点をどう考えているのだろうか

おそらく白熊たちの主張は、 こうでしょう。 かつて人間と動物の間には、 対称的な関係がなりたっていた。 もちろん人間のほうが技術の力でまさっているから、 どうしたって現実には対称性などは実現できなかったけれども、 まだ優しい心を失っていなかった人間たちは、 神話や儀礼を通じて、 人間と動物との間に対称的な関係を取り戻そうと努力を重ねていた。

『熊から王へ カイエ・ソバージュⅡ』 (講談社, 2002年) 31頁

あるいは、 次の段落

また神話的思考は人々がまわりの世界にいつも対称性を回復しようと試みている社会の中でなければ、 本来の能力を発揮することはできません。 そうでない社会の中で、 神話の形式が利用されますと、 いまある社会の秩序を正当化したり、 権力者にとって都合のいい話がつくられることになりがちですが、 それでは神話の本来の能力はひどく歪められてしまいます。 神話はむしろいまある秩序はかりそめのものであって、 いつかは滅びていくものであること、 権力はどんなものもつかの間のものでしかなく、 ジャングルの緑や砂漠の砂に覆われて消えていくはかないものであることなどを、 教えようとするものです。 そういう神話がすなおに生きることのできる最適の環境と言えば、世界にとりかえしのつかない非対称が発生することをつねに恐れている、 対称性の社会をおいてほかにはないでしょう。

同 36頁

あるいは、 次の段落

こういうとき、 神話は現実の残酷さをカムフラージュするために、 こんなことを言い出しているのでしょうか。 いや、 そうではないと思います。 イヌイットでも誰でも、 狩人たちは自分たちのしていることが動物の殺害以外のなにものでもないことを、 よく知っています。 しかし、 彼らを突き動かしている神話的思考にとっては、 同じ残酷の現実が、 別の意味を帯びて、 高貴な喜びに輝いているようにとらえられています。

同 82頁

さらに次のようにつづく

熊が人間とひとつにつながっている世界の 「詩的な層」 においては、 日常の意識がとらえているのとは別の過程が進行していて、 その層に踏み込んでみると、 動物も植物も鉱物も水も風も、 ありとあらゆるものが一つの全体を呼吸しているのが理解され、 残酷と友愛が同居し、 現実性と詩とが結びあいながら、 「贈与の霊」 がその全体性を動かしている様子を、 ありありと実感されているのがわかります。

同 83頁

これらの言明では、 たしかに 「根拠」 は示されていないのだが

目配りだけはちゃんとされている

この目配りこそ、 中沢思想への批判をいつも難しくするものだ

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