イメージの論理
<連載 中沢新一論> 前便は こちら
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ヴィジョン・直観・イメージの論理について
などのエントリを書いてきました
このリストに、 さらにもう一篇をくわえたいと思います
- 真木悠介 『気流の鳴る音』 (ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2003年,原1977年)
イメージの論理もまた、 もうひとつの貧しい自己完結となる可能性をいつももっている。 けれどもそれが、 その中核に硬質の論理をもっているかぎり、 はるかに巨大な生活の生成力をもつことができるという可能性の方に、 いまの私は賭けたいと思う。
「あとがき」 230頁
今でも 《そっち方面》 の方々には よく知られた本
中沢先生と 真木 (見田) 先生の関係が どのようなものかは 知らない
けれど、 とってもよく似た思想軌道を描く お二人だと思う
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