「利得の観念」以前 (1/2)
<連載 近代とは何か、 近代性とは何か> 前便は こちら
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現代日本の僕らは、 シャチョーであろうと リーマンであろうと
仕事を通じて お金を稼ぐということが あまりにも当たり前すぎて
その歴史性が見えてこない
人間ははるか昔からそんなもんで、 これからもずっとそんなもんだろう、、、
なんて 軽く考えてしまう
しかし、 意外とそうではない
ということで、、、 前便 から引きつづいて、 次の本より抜粋
- ロバート・L・ハイルブローナー 『入門経済思想史――世俗の思想家たち』 (八木甫・浮田聡・堀岡治男・松原隆一郎・奥井智之訳,ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2001年)
同書の第1章 「前奏曲」 からの一節
この章は、 次回公開の YONSH に加えてある
この話題で、 またも西欧史に言及せざるをえないのは 大変残念
それらしく、 南アジアの事例を出せればいいのだが・・・
カリカットではこうだったとか、 サータヴァーハナ朝ではこうだったとか
グプタ期のタミル商人はこうだったとか、 ムガル期のバニアンはこうだったとか
言えればいいのだが・・・
(ハイルブローナーが 下の引用中で 「東洋文明」 について語っていることは、 どうもオリエンタリズムの匂いがするので、 その当否を 具体的に言えればいいのだが・・・)
それだけの知識力は 僕にはない・・・
大変みっともないことですが、 まぁ ともあれ、 以下引用です
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と、 ここまで書いてみたら ちょっと長くなってしまいました
引用自体も かなり長めになりますので、 次便にて
<つづく>
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