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2009年7月26日 (日)

神々の沈黙と意識の誕生

以前、 「科学・こころ・宗教」 というエントリ にて

宗教研究にとっての 自然科学の重要性に触れた

まずは直接に問題となるのが

  • 宇宙物理学 + 量子論 : 単なるメタファー利用ではなく
  • 生理学(脳など) + 進化心理学 : 心の哲学

あたりであろうか (そもそも これらをどうまとめてよいのやら・・・)

なかなか 信頼できる先行研究がないので

とりあえず 手当たり次第に読みすすめている

ということで、 大部の

  • ジュリアン・ジェインズ 『神々の沈黙: 意識の誕生と文明の興亡』 (柴田裕之訳, 紀伊國屋書店, 2005 [原1976] 年)

を読んでみた

この本が 意識論としてとくに優れているとは思わない

今や紋切り型の 「ポップサイエンス」 「疑似科学」 に通ずるところすらある

実際、 一部には、 トンデモ本ギリギリの際物という評価もあるようだ

読むんだったらもちろん パスカル・ボイヤー 『神はなぜいるのか?』 (原2001年) だろう

出来がちがう   しかし…

僕が注目したいのは、 原著出版の古さである

もう30年以上も前に、 こうしたことが言われているわけで

しかも 個別の主張はさておき (ときにトンデモ?)

着眼そのものや 文明論の見通しなどについては

たしかに参考になるものがあるのだ

たとえば、 比喩に関する議論

ただし まったく不十分にしか深められていないが…

少なくとも、 数ある宗教論の一古典として とりあえず勉強しておく――

それぐらいの価値はあるだろう

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コメント

何か、コメントをしてみたいなぁとは思っていたのですが、あまり知識のない分野なので、どうコメントしてよいか、難しいです。


超常現象を研究しなければ、宗教が理解できないということでしょうか・・・?
基本的に、超常現象は、宗教の演出にとって重要であっても、宗教の教えなどに関しては一番大事な部分ではないような気がしますが・・・

昔、森岡正博さんの本を読んだときに、そうだなぁ、と思ったのですが、
教祖の人が奇跡のようなものを起こしたり、空中に浮いたりしたからといって、その人の宗教の教えが正しいこととは関係がない、
という意味のことでした。(このブログの内容とはちょとずれたコメントかもしれませんが・・・)

また、憑依や悟りその他の現象についても、実際に憑依した、悟りを開いた、と感じた人がいたとすれば、それらの宗教に対する意義、社会的な意義などにについては、憑依や悟りその他の現象が自然科学的に解明されていようが、されていまいが、あまり関係がないようが気がするのですが・・・

ただ、超常現象が将来的に自然科学によってどれだけ検証できるようになるのか、ということについては、少し興味はありりますし、十分意義のある研究だと思います。

私は、世界中の現象が人間の力の及ぶ範囲内で、かなり科学的に説明できるようになったとしても、神様という概念を全く否定することはできないと思います(証明もできないと思います)。なぜなら、神様は、現象の背後にある「意志」というものを想定しているからです。それらはこの宇宙の現象をいくら調べつくしても、私たちが証明することができないものだと思います(いろいろ調べたけど神様という「実体」を見つけることはできなかった、と言える可能性はあると思いますが)。こころ(「こころ」というもの自体、人間が考え出した概念だと思うのですが)のメカニズムに対し科学的な説明がついたとしても、それらは
神様に関する説明・証明とは全く別の事柄だと思います。
(ただ、科学理論の進歩により、宗教の教えが影響を受けることはありうるし、実際そうなっているみたいですが)

・・・と、とりあえず書いてみましたが、宗教にもいろいろなものがあるので、そのあたりの論点が少しごっちゃになっているかもしれません。私の勘違いで、近藤さんの意図と、私のコメントがずれているかもしれません。


それと、時事問題は、苦手なのですが・・・宗教の違いだけで、人々が殺し合いをするようになるとは、私も思いません。

昨日は、いくつかの論点がごっちゃになっていて答えにくいコメントをしてしまったような気がします。すみません。

レヴィ=ストロースに関する本を読んだりして考えたのですが、確かに、社会科学からの考察では仮説にとど
まってしまう問題がたくさんあるような気がしています。それらを、本当に確かめたければ、自然科学的な手法
に頼らざるをえない部分があるのでしょう。ただ、実際にそれを行うのは、どうしたらいいのか? ちょっと困難な気もします。

・・・近藤さんが言おうとされていることも、こういうことだったのかもしれません(違うかもしれませんが)。
(前回のコメントは、私の理解がちょっと足りなかったかもしれません)


確かに、超常現象は本当にあるのかないのか、それを調べるためには自然科学に頼らざるをえない、普通に考えればそういうことですね・・・

ただ、

1.現象としてメカニズムを説明できる可能性のあるもの(本当に実在していようと錯覚であろうと)
2.現象の背後にある意思について考える場合(存在や現象に意味があると信じようとする場合)

2の場合は、人間が信じるかどうかの問題、科学で調べても答えの出ない問題だと思います。ただ、人がなぜそのように考えるようになるのか、という心理的問題なら調べることのできることだとは思います。


工房Miyaさま>

コメントありがとうございます。しかも二つも!
遅くなりましたが、二点につき コメント返しさせていただきます

==========

森岡先生がおっしゃったらしいことは、間違いなく(!)「ひとつの」宗教論として真っ当ですね
超常現象を「宗教的な価値」(なるもの)とは無関係、とみなす立場のことです

一方、超常現象をこそ 自らの人生と世界観における最重要なもの、とみなす「宗教者」もいます
たとえば、病気治し、死者との交流、などです
井上順孝先生などは、新宗教研究あがりの方ですから、こういうった人たちに
それこそ 何百何千とお会いになっているはずです
そこから、先の論文のような指摘にいたったのでしょう

一体、森岡先生らの真っ当な立場は、こうした人びとを どう評価するのでしょうか・・・?
間違いを信じる(虚偽意識)人たち、ということでしょうか
知識と知性を欠いた(低脳)人たち、ということでしょうか

この場合、宗教実践者ご本人ではなく、その観察者=分析者=記述者のほうが
当の実践の本質と実際を よりよく理解している、、、ということになりますね
「わかってない」のは先方で、当方こそは「わかっている」のですから

宗教学のなかでも宗教社会学、そのなかでも新宗教研究の分野では
こうした知的ヘゲモニー(権威と権力)に対して 強い警戒感があります
「未開民族」(笑)と触れ合う人類学者と ちょうど同じ警戒心です

そこから出てくる態度は
《己の正当化を一度カッコに入れて、先方の真理に身をそぐわせる》
というものになります
相手を自分の正当化枠組みに入れ込んでしまわないように きわめて繊細な準備をする――
こうした倫理的な態度があるわけです

井上先生は、それに対して あらためて再考をうながしました

「現象の背後にある意思」は、それが観念であるかぎり、まさに科学の範疇外ですね

一方、私たち宗教学者(とくにフィールドワークをする研究者)が、現場で直接お会いする方々の中には
そうした「意思」(あるいは、それに類するもの)は 単なる観念ではなく
この「現実世界」(日常的で感知可能な、生きることがおこなわれている時空間)にあらわれる力である
そのように信じ=生きている方たちが たくさんいます

これは、説明されるべきメカニズムのアウトプットなのではなく
それこそが、全存在と全認識との根底的なリアリティである――というわけです

これはもぉ まったく反科学的な信念です

そして再び、①で述べた論点に立ち戻ります
――そうした信念は、説明されてしまえば それでよい、、、のでしょうか

==========

以上、走り書きしてみました。もしまた何かあれば、ぜひお願いいたします

丁寧な回答をしていただき、どうもありがとうございました。
内容をよく読んでから、またコメントしたいです。

工房Miyaさま>

はい、ぜひまたご意見をお聞かせくださいませ

不躾にも、上から言いたいことだけ書いちゃったなぁ、、、と反省しておりました
工房Miyaさんのように、実身分をさらけだして 思想ブログをやっている方には
尊敬をこめて、あまり遠まわしな言い方をしないようにしているのですが
もし お気に障ったりしたら、すいません

これからも どうぞよろしくお願いいたします

いいえ、全然気に障るということはないので、どうぞご心配しないでください。

ここのところ、いろいろと難しいことを考える余裕がなかったので・・・
コンドウさんのコメントについても、よく考えてみますね。
そちらの問いかけについても、まだお答えしてないですね。

工房Miya さま>

ホッとしました  お忙しいなか、 お返事ありがとうございます

また、 お時間のあるときにでも、 ぜひご意見をお聞かせ下さいませ

ごぶさたしておりました。
頭の中が少し働くようになりましたので、コメントに対して少し回答したいと思います。
(たしかに、先日の私のコメントの文章もわかりにくいですね・・・)

○森岡氏の場合、反社会的な宗教事件をふまえての意見なので、そのあたりの背景も考慮した方がいいと思います。「超常現象を自らの人生と世界観における最上のものとする」宗教、というのとは少しニュアンスが違う気がします。

○「間違いを信じる(虚偽意識)人たち・知識と知性を書いた(低脳)人たち」についてですが、宗教を信じる側から見れば、反対のことも言えると思います。
 だからなおさら、お互いに少しでも理解しあうためには「一旦先方の真理に身をそぐわせて」みる経験が重要となってくるのでしょうね。

○「超常現象を自らの人生と世界観における最上のものとする」と字面だけを見れば、「法則」のようなものを思想にしてしまう唯物論と共通のものがある気がします。
 しかし、宗教を信じる人にとって、このような理屈は別に重要ではなく、苦しい人生の中で何かを良い方向に変えてほしい、奇跡を信じたい、そういった期待感みたいなものがあるのかな、と想像します(あくまで想像でしかありませんが・・・)。
 そういう人たちの前で、それは正しいとか、それは間違いとか、言うことはできない気がします。

○「説明されてしまえばよい」と言っているのではなく、結局、宗教に関しては、最終的には「信じるか信じないか」、という部分に行きつくのではないか、ということを言っています。

○人(あるいは宇宙?)の意識については、まだわからないことだらけなので、ここで断言することはできませんが・・・私たちの今の知識を超えるような発見があるのかもしれません。


コンドウさんのブログはもうだいぶ話が進んでしまっていますね・・・コメントが遅くなってしまってすみません。

工房Miya さま>

久しぶりのご訪問 ありがとうございます
あまつさえ コメントまで残していただき、大変うれしいです

=====

お書きになっていただいた事柄、 よく分かりました

いろんな宗教者、 ご信者さんに実際にお会いする身としては
Miya さんがまとめてくださったような 心構えとか 理解のしかたとか
そういうのが 重要、 というよりは 絶対不可欠になるんだよなぁ――
と 私自身 再確認です

私の理解も不足しておりました
失礼のあった点、 あらためてお詫び申し上げます

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