感性から理性へ
<連載 近代とは何か、 近代性とは何か> 前便は こちら
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かつて 「近代性とはなにか」 というエントリ で
次のように書いた
近代性とは 「人間主義、 個人主義、 合理主義」 に支えられた観念と制度の体系である、 と
- 神から人間へ (人間主義)
- 集団から個人へ (個人主義)
- 感性から理性へ (合理主義)
こうした三種の価値観シフト (認識論的には、 人間、 個人、 理性の概念化と定位) が、 近代性をもっともよく特徴づけるのではないか
逆から言えば、 神なき個々人の理性中心主義 こそが 近代性の極致ではないか
ここで「感性」 とは 「感情」 と 「直感」 のふたつである
平均的な近代人 で、 「感性」 を全否定までする人は まずおるまい!
したがって、 理性中心主義=合理主義 といっても 程度問題だ
しかし、 ヘゲモニーはたしかに理性におかれている――
この点は認めざるをえない
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ということで、、、
- 福岡伸一 『動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか』 (木楽舎, 2009年2月)
より 一節を紹介したい
あらかじめ言っておけば、 福岡先生は 単純な理性中心主義者ではない
人間の自由と自律についての美学と未来構想が 理性に重きをおく――
ト学会なら 「健全な懐疑主義」 とでも言いそうな
そのようなイデオロギーの持ち主である
もちろん ここでの 「健全さ」 をちゃんと論じるべきだが
そして僕も、 そうした立場には賛成だ
僕のほうが より折衷主義的、 中道主義的 だと思うが
それにしても 基本賛成だ
<つづく>
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