生まれてこなかったほうがよかった生
こちらのエントリ で ちょこっと触れた
- 中西新太郎 (編) 『1995年: 未了の問題圏』 (大月書店, 2008年9月)
「対論5 サブカルチャーと批評 杉田俊介 × 中西新太郎」 から
杉田さんの発言
冒頭の 『愛人』 とは 田中ユタカさん の漫画です
『愛人』 の世界は、 障害者や廃棄された生命の側に、 つねに寄り添おうとしています。 主要人物はみな難病者・障害者・遺伝子改造人間なんです。 そして重度障害者どうしが障害のある子どもを産む光景のなかに、 最後の希望を見る。 「生まれてこなかったほうがよかった生」 が深く肯定されることなしに、 自分で自分の生を祝福することはできない。 でもその子どもは、 未知の可能性を切り開くかもしれない。 「呪われたまま/赦されないまま/生きてなさい」。 それに賭ける。 それはナウシカの終わり方ともつながっている。 美少女は最後死んでしまうし、 青年も無残な死に方をするんだけど、 完結した 「二人だけの愛」 ではなく、 無数の子どもたちの傍に寄り添おうとする。 「生まれてきてよかった」 じゃなく 「生まれてきてくれてありがとう」 へとターンするんですね。 そのことでようやく、 自分の生が本当に肯定される
276頁
絶望にはいろいろあるけれど、 今の世の中 よっぽどラッキーでないと
絶望と無縁で 寿命をまっとうできない
それはすなわち、 幸せな日常にいつもベットリ影がはりついていることでもある
手がかりとなるものは 何か・・・?
僕には
- 「生まれてこなかったほうがよかった生」 が深く肯定されること
- 「生まれてきてくれてありがとう」へとターン
こうしたことは、 本当に手がかりになると思う
« ジベタリアン | トップページ | 情の論理しかない »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 島薗進 『ポストモダンの新宗教』 (2001)(2016.02.17)
- クザーヌスのお勉強(2015.07.21)
- 世間とは何か(2015.05.07)
- 近代経済人の宗教的根源(2015.04.23)
- 西ヨーロッパの宗教状況、あるいは世俗化と「見えない宗教」(2015.02.11)
「03A 思索」カテゴリの記事
- クザーヌスのお勉強(2015.07.21)
- 儒学を入れるしかなかった近世神道、そして尊皇倒幕へ(2015.05.04)
- 日本教における自然(2015.05.01)
- 日本教的ファンダメンタリズムの大成者(2015.04.29)
- 路上の神様―祈り(2014.11.30)
この記事へのコメントは終了しました。
« ジベタリアン | トップページ | 情の論理しかない »
コメント