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2009年7月27日 (月)

超常現象の民族誌

前便 よりつづく

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  • 石井美保 『精霊たちのフロンティア: ガーナ南部の開拓移民社会における 〈超常現象〉 の民族誌』 (世界思想社, 2007年)

博士論文をもとにした著書である

本書の最終段落を引用してみよう

超常現象の民族誌家は、 科学的な論理の光で異界を隈なく照らしだすことを目標とするものではない。 むしろ、 明滅する異界の一瞬の光をとらえ、 異界からの光が照らしだす日常世界の実践的倫理を追究することを目指すのである

284頁

この文章が端的に述べるのは

石井さん言うところの 「超常現象の民族誌」 とはなにか、 である

もう一段落、 引用しておきたい

こちらは少々長いが、 どうぞお付き合いください

本書でみてきたように、 精霊祭祀や卜占をはじめとする呪術・宗教実践は、 マクロな社会状況そのものを主題化するというよりも、 むしろきわめて日常的であり、 しばしば卑近な、 だからこそ切実な人びとの苦悩や欲望や願いの機微により深くかかわっている。 このように、 きわめて身近であり世俗的なものでありうる呪術・宗教現象が、 その一方で人びとの日常的な生活世界を超える呪術的現実の位相を開示し、 深遠な神話的時空の中に人びとを導き入れるのは不思議なことではない。 なぜなら、 おそらく呪術や宗教とは、 何よりも人びとの生きる日常的なリアリティについての実践なのであり、 人びとが日々心を砕き、 もっとも切実に希求している苦悩や願いにかかわるものだからである。 また同時に、 そうした一見ありふれた苦悩や願いこそが、 頻々と移り変わる歴史の変遷を通して、 人間の生にかかわるもっとも普遍的で深遠な問題を喚起しつづけるものと思われるからである

281頁

人びとの生きる日常的なリアリティ――

一見ありふれた苦悩や願い――

こうした石井さんの立場は

井上順孝先生 の論文 (前便 参照) における整理 (18頁) によれば

(3)  それが主張していることを否定も肯定もせず、 ただ当事者の一人称の言葉をできるだけ加工せず伝えようとするやり方

(4)  ある程度その世界に近づこうとする意識をもち、 相応の努力を払いながらも、 適当な方法を見いだせずにいるもの

という二つの立場の中間あたりだろうか・・・

「適当な方法を見いだせずにいる」 というのは、 むろん

いくらか保留すべきであるだろう。 しかし 石井さんは

人間の行為と身体において顕現する妖術や呪術、 精霊憑依の本質とはいったい、 何であるのか?

284頁

という問いについて

おそらく …… 十全に答えられることなく残るに違いない

と判断しているのだから

《要は 「超常現象」 って 科学的に 実在するって言えるのか?!》

という問いについての 「適当な方法」 は 「見いだせていない」

ということで、 さほど問題ないのかもしれない

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さて、、、 石井さんの研究の問題関心と文脈は

もちろん、 井上先生が整理したものとは はっきり異なる

実際、 井上論文は 本書文献評には挙げられていないのだから

「我田引水」 にならぬよう、 そちらをこそ紹介しておくべきだろう

<つづく>

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