ニヒリズムを超克する唯一の道
前便 よりつづく
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《明晰なベタ》、 あるいは 《コントロールされた愚かさ》 について
真木悠介 『気流の鳴る音』 別の個所から
真木先生ご自身の言葉から
戦士の使う新しい楯が 〈コントロールされた愚かさ〉、 つまりみずからの 意思を意志する ことであることをわれわれはすでに知っている
156頁: 傍点は太字で示した
われわれの行為や関係の意味というものを、 その結果として手に入る 「成果」 のみからみていくかぎり、 人生と人類の全歴史との帰結は死であり、 宇宙の永劫の暗闇のうちに白々と照りはえるいくつかの星の軌道を、 せいぜい撹乱しうるにすぎない。 いっさいの宗教による自己欺瞞なしにこのニヒリズムを超克する唯一の道は、 このような認識の透徹そのもののかなたにしかない。
すなわちわれわれの生が刹那であるゆえにこそ、 また人類の全歴史が刹那であるゆえにこそ、 今、 ここにある一つ一つの行為や関係の身におびる鮮烈ないとおしさへの感覚を、 豊饒にとりもどすことにしかない
同 212頁
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