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2009年7月25日 (土)

超常体験と宗教研究

かつて 井上順孝先生 は 次のように書いた

超常体験の処理が [研究者にとって] 困難な理由は明らかである。 それは超常現象の解明が、 現在の自然科学の能力を超えているからである。 ほかにも理由は列挙できるかもしれないが、 結局この点に収斂する。 すると、 超常現象をどの程度解明できるかは、 自然科学の発展に大きく依存していることになる。 この事実は、 はっきりと認めておいた方がいい。 しかも、 宗教学は、 この方法によるなら、 主導権は握れないということも明らかである。 生理学、 物理学、 医学などの領域の人々との共同研究ということはあり得ても、 そこで研究の主たるプログラムを提示するというわけにはいかないであろう

脇本平也・柳川啓一 (編) 『現代宗教学1 宗教体験への接近』 (東京大学出版会, 1992年) 21頁

「超常体験と宗教研究」 という論文のなかで、 である

この論文は 要するに

宗教研究とか言って、 結局 ヤバいところは素通り

何もないかのように進めちゃってるけど、 それでいいの?

一体 どうすんの?

という問いかけをおこなったもの

問題点の整理や、 研究の蓄積 (多くはないが) を整理している

====================

井上先生のこの論文を 僕は 大学院生のときに読んで

至極もっともだ! という感想をもった

もっともだけど、 すごく難しい・・・ そう思った

だから、 井上テーゼがその後、 学界レベルで追究されてはいない――

こうした現状を 簡単には批判できない

実際、 僕自身も そこをほとんど考えたことがないのだから

しかし最近、このあたりのことを (文脈は 当然 違えど)

研究の主題にしてやってらっしゃる人類学者がいる、 と知った

石井美保さん

である

<つづく>

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