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2009年7月 5日 (日)

童話と神話 (1/3)

授業をやっていると 思わぬところで

受講者の心を 傷付けることがある

「波立たせる」 ぐらいだったら、 むしろ願ったりなのだが

「傷付ける」 になってくると、 ちょっとさすがに 反省させられる

とくに、 僕が理解するところの 《宗教論》 は

人間の狂気や 「影」 に根ざしていないとどうしようもないものだから

(もっと穏当な、 「市民的秩序にかなった」 宗教論もあるだろうが・・・)

(そのようなものは、 僕の得意とする 宗教論 ではないものだから・・・)

不用意に発言すると、 思わぬ反応を呼びおこす

そうすると 僕は、、、 とても反省して、 少々落ち込むことになる

「かわいそうなこと しちゃったなぁ・・・」 とか

「失礼なこと しちゃったなぁ・・・」 とか

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先日の授業で、 まさに そういうことが起こった

《童話と神話》 というテーマに触れたときのことである

現代日本で (その他の 「先進国」 都市社会においてもそうだが)

《神話》 というジャンルが 自律的に存在することはむずかしい

そういう時空間で、 では、 《神話的想像力》 が消失したかといえば

もちろん 決してそんなことはなく

むしろ それは きわめてさかんに活性化し、 発露している

その代表格が 「文学」 「音楽」 「漫画」 などの 「芸術」 であり

僕ら以降の世代になじみ深いところでは、 「アニメ」 がある

「アニメ」 にも まぁ いろいろあるわけだが

《神話的想像力》 を意図的に、 直接的に 召還するものとして

ジブリディズニー がある

この二つの会社の作品における 《神話的想像力》 の起動――

これだけでも、 ちょっとしたエッセイぐらい書けそうだが

さらに もう一つの要素を 急いで付け加えないわけにはいかない

それは、この二つの会社が 「子ども」 のための映画を作っていることだ

すなわち、 「童話」 !

《神話と童話》 というテーマは、 二つの会社の製作過程において

意図的かつ明示的に 根本的な推進力になっている/されている――

このことに気づくのは、 宗教学への入門として まったく適している

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なぜ 《神話と童話》 は 直結し同一化するのか?

童話という まったく 「近代的な」 ジャンルはなぜ しばしば神話的なのか?

現代の神話はなぜ 童話というジャンルにおいて花開くのか?

そして

《童話=神話》 とは何か?

《神話=童話》 の特質とは何か?

<つづく>

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【メモ】

《宗教と芸術》 というテーマで 一年の講義かゼミをやってみたい――

以前から そう公言してきた

しかし、 これがなかなか難しい・・・

よい参考書がない! からだ

誰かご存知の方、、、 教えていただけませんでしょうか m(_ _)m

しかしそれにしても・・・

《宗教と芸術》 って、、、 ここでもまた 中沢先生が、、、

<連載 中沢新一論> は こちら

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