映画の頭脳破壊
こちらのエントリ に書いたように、 映画評論を読んでいる
仕事にしたくないので、 あくまでも 少なめに・・・
面白かったのは
- 中原昌也 『映画の頭脳破壊』 (文藝春秋, 2008年3月)
あっという間に読了した
雑誌 『文學界』 での連載を 単行本化したもの
2007年1月号から 2008年2月号まで
中原さんが 14人の論客と 新しめの映画を題材に対談している
どれもこれも面白かったが、、、 ひとつだけ紹介するなら
6 心は 『ゾディアック』 × 阿部和重
『ゾディアック』 は 僕にはぜんぜん面白くなかった
しかし、 中原さんは冒頭に こう切り出す
フィンチャーには何も期待しないで観たんだけれども、 これはよかった。 最後まで興奮して観られましたね。 トーンが一貫していて禁欲的じゃないですか。 その押さえどころを今回はちゃんとやっていて 「つかんだ」 という感じがしましたね
81頁
「あれ・・・? そうだったけ・・・?」 と僕は思う
対談相手の阿部さんも 中原さんほどの感銘は受けていない様子
中原さんの評価ポイントは、 上記のように
- トーンが一貫していて禁欲的 ・・・ 押さえどころを今回はちゃんとやってい [る]
というところにあり、 阿部さんもそれには同意している
さらに中原さんは、 この映画を
何か新しい映画を観たという興奮はちょっとあるかもしれない。 『デジャヴ』 (トニー・スコット) を観たときもそういうことを思ったけど、 今回も似たような印象がある
93頁
とまで言う
これは、 完全に僕とは異なる感想だ
あらためて、 中原さんの論点を追ってみよう
- 昔の映画では簡単にできていた、 本当のリアリズムとは少々意味の違う、 ささくれたリアリティを盛り込むのに成功しているな、 と。 それをリアリティとはあまり関係なさそうな [・・・] フィンチャーがいとも簡単にやってしまった (82頁)
- [映画の舞台が] 七〇年代のど真ん中ということで、 やろうと思えばこれ見よがしに時代性を出すことができた。 その頃の風俗なんかをもっと入れられたはずなのに、 それすらも排しているでしょう。 その手堅い選択もすがいなあと思って (84頁)
- [ 「これだけ物語として弱いものを、 よくここまで一篇の映画に仕上げたなというところで感心するよね」 という 阿部さんの発言を受けて] その通りですね。 これを二時間半という長い時間引っ張っただけでも、 何かすごいものを見た気がしました (88頁)
- 単調な電子音。 まあ、 だから何かすごいよね。 余計なものが本当にない (90頁)
- 今回の映画あ音響が結構よかった [・・・] 音響と言うより空気としてある音という感じですかね (92頁)
- そこ [音響効果] はやっぱり洗練されていた。 抑えが効いていたんですね (93頁)
- 不明なものをまとめていって、 現実という不明瞭なものから、 映画という時間を作るわけですよ (同)
ふむふむ、、、 なるほど、、、 わかったようなわからないような、、、
僕なぞは 『ファーゴ』 (ジョエル・コーエン) と引き比べてしまっていたから
このような観点が出なかったのかもしれない
あるいは、 もはや中原さんは 映画の作り手の側から
映画評論をおこなう、 その一歩手前まで来ていて
一介の消費者/鑑賞者を任ずる僕とは、 そこが違うのかもしれない・・・
などなどと、 思いをめぐらさせてくれる一冊でありました
あらためて・・・ お勧めです!
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