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2009年8月 5日 (水)

専門知と公共性

<読んだ本>

  • 藤垣裕子 『専門知と公共性: 科学技術社会論の構築へ向けて』 (東京大学出版会, 2003年)

副題にあるとおり、 「科学技術社会論」 (STS) の教科書である

理系学問 (ザ・科学) と政策決定のあいだの問題領域を

理論的に走査した労作

サイエンティストではなくても、 研究教育を生業とするわれわれには

多少なりとも肌感覚でわかることをば

理論的に 精密に 記述したうえで

課題を明確化し、 それへの指針を打ち出している

本書の主眼は 理系学問と公共性とのコンフリクトであるからして

「社会科学」 もほとんど蚊帳のそとである。 したがって

「人文学」 などは もぉ ほとんど何も触れられない

これはとても残念・・・ なのだが・・・

では、 人文学がこの領域に何を言えるのかといえば

それはまったく心もとないかぎり

近代とは何か、 近代性とは何か――

この疑問をもって本書を手にしたが

STS業界の緊張感ある議論に触れられたのが 何よりの収穫だった

【メモ】

  • アマゾンでの読者レビューの評価はかなり高い!
  • 「科学技術社会論学会」 のHPは こちら

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コメント

  「政治学、あるいは歴史学の場合には、学問が進めば進むほど歴史的な現象が現在起こっていることの必然性を理解することになるので、進めば進むほど批判力が低下する。つまり、批判しても無理だからということになる。」
  (加藤周一著 『私にとっての20世紀』 p83)

  文系学問の欠点はまさにそこにあると思います。

 「研究の方法は厳密に実証的で論理的でなければいけないのだけれども、しかし、どういう歴史の話題を、科学的に研究するかは、科学の中から出てくるのではない。そうではなくて、価値判断の中から出てくる。だから、価値判断が学問の中に入ってくるというのが、単純化すればヴェーバーの考え方です。それは今でも生きている。」
 (同上 p83)

 理系学問においても、この点においては同様のことが言えるのではないでしょうか。

 そのうえで、この価値判断において、その対象として念頭に置かれるのは、いったい何がふさわしいのか。ここのところで、公共性との共存か敵対かに分かれるかと思います。

 私自身を中心に据えた時は?
 一般的にメジャーであるといわれている考え方を中心に据えたときには?

 ここで私が注目したいのは、サイレント・マジョリティーの存在です。彼らは味方なのか、敵なのか。柔和なのか、強固なのか。取り込めるのか、批判されるのか。
 公共性を考えるとき、この見えない存在こそが、実は最大の難関に思えるのです。

yokosawa さん>

いつもコメントありがとうございます。先日は、メールに返信せずにすいませんでした。いま思い出しました m(_ _)m

=====

加藤周一はほとんど読んだことがありません
『日本文学史序説』 はすごかったかなぁ・・・ 程度の記憶しかないのです
いい機会なので、読み返してみますね

引用していただいた加藤先生の文句、 とくに二つ目がですね
ちょっと単純化しすぎというか・・・
そんなように僕には感じます

事態はもっともっともっともっと 複雑で
それゆえに 簡単に解けないものになっているように思いました

まぁ、誤読かもしれませんが

=====

STSは、実際の問題が生じる場面にかかわりますから
「サイレント・マジョリティ」という政治的概念というよりは
具体的な生活者、群集ならぬ人びと、、、 に注意をはらっているようです

科学者と「人びと」の双方が 知識と知性をたくわえ
合意形成をシステムとして、哲学としておこなっていく――
藤垣さんの著作から読み取れるのは、 そうしたヴィジョンです

中島岳志さんがいつも
「自分は、終局的には大衆を信じるという意味で、保守だ」
みたいなことを言っておられるのを思い出します

僕はまだ、そこまで割り切れないでいます
中途半端です

  私が元の仕事の関係でこちら側からの目線から見てしまうのは、わたしの片寄りです。でも、どうしても反応してしまうなぁ。三つ子の魂・・ってやつですかね。

 公共性の面からいえば「ひとびと」の存在は大きいですが、学問に公共性が必要かという問いには、私もうまく答えられません。   
 
 理系学問(特に先端技術系)にとっては大切でしょう。なぜなら、おカネと結びつかなければならないからです。資本主義社会において「ひとびと」を無視しておカネにはならないはずです。
 さて、それでは「ひとびと」を無視しないで進むかと言えばそうではない気が・・。出かかったくしゃみは止めるのが難しいのです。「今の世の中にとって大切です」の一言で、済まされてしまうのかもしれません。

 一方文系学問にとっては、公共性よりも大切な何かがあるように思います。「ひとびと」の批判にさらされようと、主張すべき何か。かつてマルクスがそうであったように、カネにはならないけれど、未来のために考えなければならない何かです。
 サイレントマイノリティーは無視されていいのか・・なんて考えるときりがないのですが、そんなところもあります。

 メールの返事は期待していなかったのでお気にせずに。
いろいろな人がいるということです。

yokosawa さん>

「公共性よりも大切な何か」 というフレーズに ドキリとしました

これは大きな問いかけです

カネ/資本主義/公共性/未来・・・
この辺りにちゃんと考えるべき問題がありそうですね

ご指摘、 ご指導 ありがとうございます

=====

「サイレント・マイノリティ」 と公共性の問題は ホントに大きいです
どこからどこまでが 公共性に含まれたり、 反映されたりするのか・・・
そんな問題ですよね

そもそも、 個々の人びとですら ひとつの声になることがない――
まずはそこが出発点なのかなぁ、 と思っております

肌で外気から区別される 個々の人びとですら
内側に多数の声をかかえ、 しかも外側との無限大の関係においてつくられる

こうしたことのゆえに
ひとつではないワタシ、 そしてアナタ、 そしてあのヒト、 このヒト――

したがって、 「公共性」 などというものは
誰にとっても (!) 抑圧的で、 選別的で、 制御不能な
《アーキテクチャ》 にならざるをえない

まずは ここが出発点で、 そのうえで
それでもやっぱり より強く抑圧されやすい、 されている 「声」 が
あるはずで、 それはいったいどんなだろう・・・
という風に 考えをすすめていかねばならないと思いました

=====

取り急ぎ
コンドウ

  今朝はたいそうなことを主張してしまいましたが、職場で思い返して、自分の中の<公共性>という言葉があまりに漠然としているので、混乱しました。
 ― マルクスは究極の公共性を生み出そうとしたのでは・・ ―
 ― 公共性と公共性と公共性・・・なんだか多様化してくるぞ・・ ―


 というわけで、きちんと整理するために、J.ハーバーマス『公共性の構造転換』と齋藤純一『公共性(思考のフロンティア)』を読みます。

 読みかけの本が山積みになってしまって大変です。
 現代思想8月号「特集・・経済学の使用法-キーパーソンは誰か」
 思想地図vol.3 「特集アーキテクチャ」
 は、おもしろい<雑誌な>のに読み終わりません。

 とうとう上のが本棚の大整理をして、❝いらない本は売ってきなさい❞宣言をされました(涙)

 でも、今職場でまじめに自治について考えなければならず、この勉強は重要だと、自分に喝をいれてます。
 

yokosawa さん>

お仕事は、、、 子ども福祉関係、、、 でしたっけ?!

現場でのお仕事、 ほんとうにご苦労さまです

=====

『思想地図』 は (不遜な言い方がゆるされるなら) やっと (!)
おもしろいのが出ましたね

ご本人たちが言うほど、 《アーキテクチャ》 が新しい問題視覚とは
まったくもって 思いませんが
僕の関心のど真ん中のコトバを与えていただいたようで
とてもありがたかったです

あの世代の爆発力には いやみではなく、敬服しています
僕は ものを書くことの意義が見いだせなくなってしまっていますが
ヒトの成果だけは勉強させてもらっているわけですから
生産者への感謝は ゼッタイに忘れないようにしよう、 と思ってます

追記:

齋藤純一先生の 『公共性』 はいいぞ! と
ある信頼できる友人が かつて言っていましたっけ

僕はまだ読んでないのですが
本棚にあるのはわかっていますので
僕も 読んでみますね

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