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2009年8月25日 (火)

未来は若者たちのものである

ちょっと前の記事で恐縮だが

高村薫 さんの AERA での連載 「平成雑記帳」

2009.5.25 号 (69頁) のものは

現代の青年たちを 「夢がない」 とは言うまい。

社会への諦観と醒めた目は、 冷静さに過ぎない。

と題されていた

とても力のこもった文章だった

二段落目にこう書かれている

当たり前のことながら、 漠として薄明るい未来と、 未知ゆえに無限に思われる可能性の二つが揃わなければ、 生き惑うという状態は起こらない。 惑う前に今日の仕事をこなさなければ食べてゆけず、 当てもなく思いめぐらせるような未来もないのが、 〈いま〉 という時代である。 正確には、 未来は確実にあるのだが、 それが明るいものになるとは思えず、 またさらに、 未来は自分がつくるのだという青年本来の意志をもとうにも、 現状から推測できる己が可能性は限りなく小さいということである。 そんな現代の青年たちに、 生き惑う理由自体がないのは当然のことである

69頁: ルビは省略

大学教員の立場で 「青年たち」 と日々接している僕の実感も

まさにこのようなものだ

また、 就職浪人で 本当に苦しかった日々を思い返しても

〈いま〉 の閉塞感は まったく他人事ではない

高村さんはつづける

これを 「夢がない」 とは言うまい。 青年たちはそれなりに正確に時代を見ており、 それをつくりだしたのは自分たちではないという諦観と、 自分たちが社会を変えることはほんとうに可能なのかという見極めの間で、 醒めているだけだろう。 実際、 彼らが社会を変革しようと志しても、 それ以前に親の世代が困窮すれば、 若い世代は自分が望むような教育を受けられず、 そのまま社会に出たあかつきには、 自身の生活も困窮して結婚すらままならない。 子どもをつくるなど、 夢のまた夢である。 そうした厳しい連鎖を、 青年たちは冷静に見定めているに過ぎない

同: ルビは省略

本当にそのとおりだ

〈いま〉 の日本の青年たちと接していると、 僕はインドのことを思い出す

あのきびしい日常、 へばりつくように、 がむしゃらに

したたかに、 しぶとく生き抜いていこうとする意思の固まり――

そこから 振り落とされた人びとを 本当には誰もケアなんてしない――

唯一のセーフティネットは 家族・親族――

カースト制度の生命力の根源は まさにここにある――

規制と因習にとらわれつつも、 人びとの相互扶助のネットワークとしての

カースト (ジャーティ、 ファミリー) ――

高村さんのコトバにもどろう

全文引用したいところだが、 著作権にうるさいアサヒだから

それは 決してゆるされない (もちろん、 当然である!)

最終段落を引用させていただく

そうして行き着くのは、 おそらく刹那的で不安定で、 ひたすら個人の日常を生きるようにな社会だと思うが、 今日の繁栄を優先して、 彼らに教育の機会均等や、 誇りある労働の機会を保障せず、 未来の安定も与えなかった私たちは、 そのときになってようやく、 青年たちが五月病を患った時代を懐かしむのかもしれない。 社会は、 己が人生に惑う理由さえ失った青年たちの醒めた眼を、 もう少し恐れてもよい。 とくに、 未来のかけらもない補正予算案を通して漫然としている政治家たちは

同: ルビは省略

来る衆院選にむけ、 この記事を再度味読しておきたい!

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