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2009年8月 7日 (金)

システムと精神の変化

こちらのエントリ にてご紹介した

  • 藤垣裕子 『専門知と公共性: 科学技術社会論の構築へ向けて』 (東京大学出版会, 2003年)

科学技術社会 (STS) 論の分野において

「課題を明確化し、 それへの指針を打ち出している」 本、 との解説をいれた

それは具体的にどういうことか

本書の最終段落を まるまる 引用させていただく

長くなりますが、 ご容赦願います

なお、 注目したいのは 「姿勢」 「精神」 「態度」 という三つの概念である

これらと 「システム」 という概念との対語関係が 重要だろう

科学的知見は今まさに作られつつあり、 書き換えられる知識である。 したがって、 科学的合理性も社会的合理性も変化しうる。 我々は、 この変化しうる性質を組み込んだ システム 作りを考える必要がある。 ここで必要なのは、 科学者集団の生産する知識だけで (つまり科学的合理性だけで) 科学的判断 〈judge〉 ができる、 という立場から離れ、 つまり専門主義から一歩離れて、 テクノクラティックモデルからも距離を取る 姿勢 である。 かつ、 ここに共通するのは、 「一度定めた基準」 を科学的判断 〈judge〉 による確実で厳密な 「硬い」 基準とせずに、 いつでも見直しができるようにして、 利害関係の異なるひと (地域住民もふくむ) たちによる話し合いによる合意形成を続けていこう、 という 精神 である。 ここにあるのは、 科学的判断 〈judge〉 で決めたことは揺るがない、 とする硬い 態度 ではない、 柔軟性である。 権威の発生は [ママ] このような硬いモデルから発生しており、 市民はこれに疑いの眼を向けている。 「つくられつつある」 科学観は、 このような 精神 と柔軟性を要求する。 いつでも見直しができる意志決定の可変 システム と、 責任のありかた、 および公共の妥当性境界の責任論を、 これから作っていく必要がある。 これは妥当性境界論および科学技術社会論の今後の課題である

214-15頁: 太字は引用者による

ここで 「システム」 とは具体的な制度のことだろう

一方、 「姿勢」 「精神」 「態度」 は 常識/通念/共有感覚のこと

すなわち

制度と権力と権威に接する面に生ずる 集団的な認知と価値の枠組み

のことだろう

これらを変化させるのは 実に大変な作業となるはずだ

それに果敢に挑むことを宣言する本書、 そしてSTS業界は

やっぱりすごいなぁ と思う

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