直感に頼るな
<連載 近代とは何か、 近代性とは何か> 前便 よりつづく
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- 福岡伸一 『動的平衡: 生命はなぜそこに宿るのか』 (木楽舎, 2009年2月)
鳥取県のある高校、 オーサー・ビジットの企画に招待された 福岡先生
講演会では 「なぜ学ぶことが必要なのか」 というテーマで話をした。 学校で勉強なんかしなくても、 実社会で体得する直感や経験則のほうが生きていく上でずっと有効ではないか――。
いいえ、 それは違うと思います。 かつて私も高校生の頃、 同じ疑問を深く感じていた。 ようやく最近になって、 少なくとも次のように言えると思うに至った。 「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、 私たちは学ぶのだ」 と
58頁
さらに、 その直後のまとめの部分
よく、 私たちは、 脳のほんのわずかしか使っていないなどと言われるが、 実は、 それは世界のありようを 「ごく直感的にしか見ていない」 ということと同義語だ。 世界は私たちの気がつかない部分で、 依然として驚きと美しさに満ちている。
このことから、 私たちは重要な箴言を引き出すことができる。 「直感に頼るな」 ということである。 つまり私たちは、 直感が導きやすい誤謬を見なおすために、 あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、 勉強を続けるべきなのである。 それが私たちを自由にするのだ
60頁: ルビは省略した
《お気楽・お手軽 反近代》 は、 単純な反知性主義に陥りやすい
昨今の大学崩壊の大きな要因のひとつが、 まさにこれだ
学生たちは 知性の意味や価値 を見失っているのだ
ということで、 あらためて、、、
近代とは何か―― 知性による自由の獲得が可能と考えられ、 実際にそれが大衆規模で追求された時代である
近代性とは何か―― 大衆にとっての知性による自由の獲得という理想の掲揚、 およびその制度的実践である
【メモ】
ライアル・ワトソン を絶賛し、 その著作を翻訳している福島先生は
もちろん 「ニューサイエンス」 の薫陶をうけているとみなしてよい
福島先生の本がバカ売れして、 権威ある賞を得ている事実が示すのは
玉石混交のこの領域を 今一度 評価しなおすべきときがきている――
ということだ
これは、 宗教学が得意とする分野であろう
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